「
時経てば 枯れるは定め 知りつつも 晩秋過ぎて 鶏頭は立ち」、「鶏頭の 茎の曲がりや 龍に似て 若冲描く 姿想いし」、「陽射しよし 土も肥えたり タネもよし 小さき鉢に 似合わぬ花を」、「世話好きの 人のお陰と 花は笑む 限られし場所 不足に思わず」
先月21日に嵐電の鹿王院駅近くで鶏頭の花を写生したことを
今月8日に投稿した。毎年鶏頭の花を同じプランターで同じように咲かせる家で、特別気を遣っていないとのことで、10月末頃に全部引き抜き、細かく切ってプランターの土に被せておくと、自然と翌年開花するという。陽当たりがよい場所でもないので、土に養分が豊富なのか。鶏頭にとって養分豊富な土はどのようなものなのか、筆者は毎年種子を蒔いて育てているのに理想的な花が咲かない。それはさておき、先の家は昔は散髪屋であったことを嵯峨のFさんから聞いた。ご主人が亡くなって廃業したが、散髪屋の面影は残っている。どうでもいい話だが、Fさんはその家から東100メートルほどの散髪屋に通っている。5年ほど前までその店のすぐ近くに銭湯があったが、廃業したのでFさんはやがて「風風の湯」に来るようになった。また営業出来そうなほどに外観は以前のままで、誰かに経営を任せてもいいのにと思う。その廃業した散髪屋から100メートルほどのところにも銭湯はあって、薪で湯を沸かしているのでとても熱いらしい。さて、
13日は7日に目撃していた鶏頭の写真を投稿した。13日は別の場所でも鶏頭の写真を撮った。それが今日の3枚で、早速今日は写生した。咲いているのは車折神社の北門すなわち嵐電の車折神社前駅のすぐ北だ。以前投稿したことのある「嵐山劇場」が昔あった場所と言ってよい。今は比較的新しい住宅が14,5軒建つが、Fさんは以前は変電所であったと言う。ネットの「今昔マップ」を見ると遅くて1961年から、早くて97年まではそうであったことがわかる。8日の投稿では元散髪屋の奥さんが筆者が写生している様子を見て、車折神社近くの嵐電の線路沿いに鶏頭が咲いていると教えてくれたことを書いた。その日、車折神社の北門前まで線路沿いの民家を見たが、鶏頭はなかった。昨日家内と自転車を連ねて嵯峨に買い物に向かった時、家内は以前に一度だけ走ったことのある細い道を三条通りから北上しようと言った。筆者はその道は行き止まりと思っていたので、その時もそう言ったが、家内は筆者の言葉に耳を貸さずにその道に入った。完全な直線ではなく、やがて嵐電の線路が見えた。車折神社の境内から50メートルほど離れたところに出て、目の前が踏切だ。そこをわたって突き当りを西30メートルほどによく行くスーパーがある。いつもは三条通りをもう100メートルほど西に行って車折神社の南門の西側の道を北上して線路の手前を西から東に向かうのに、家内はその日は境内の東側を走って線路に出た。踏切はプラットフォームの東西にある。
東の踏切を線路を北にわたる時、筆者の眼前に見事な鶏頭の花が目に入った。その途端、先月21日に元散髪屋の奥さんの言葉を思い出した。その話は本当であったのだ。しかも3週間ほど前だ。その頃に知っていれば3週間早く写生を始められた。車折神社の北門まで行きながら、もう2、30メートル走って東の踏切を北にわたっていれば気づいたのに、線路の北側とは思わなかった。北側は民家の裏手が線路際まで迫っていて、花を咲かせる場所はほとんどないからだが、角家ならば角地がある。驚いたのは鶏頭の背丈が筆者と同じくらいあることだ。しかもさほど大きくない植木鉢だ。人の背丈ほどの鶏頭は初めて見た。残念なことにあまりにせせこましい場所に密集していて、道路に倒れないように紐で括られている。まず注目したのは今日の最初と2枚目の写真のように、1本のみ茎の先端がかなり曲がっている。若冲の有名な著色画に「鶏頭の蟷螂図」があって、その鶏頭は茎が一回転している。それは想像の産物であろうか。おそらくそうではない。若冲はそのようにひどく曲がった茎の鶏頭を見たのだ。それは1万本に1本あるかないかの確率だろうが、そういうきわめて面白い形の鶏頭の茎を見つけ、それで写生する気になったのだろう。鶏頭は背丈は極端に低いものから身長を超えるほどに育つものもあり、また花の形もさまざまだが、茎に注目すると、今日の写真のようにひどく曲がる場合がある。これは成長するのに障害物があるからではない。この1本のみが他とは違って直立せず、90度かそれ以上曲がっている。今日は最初にその1本を描き、2枚目は近日中に撮影して投稿するが、太さ5センチほどの極太の茎の1本で、残念ながら先端が2、3か所切られている。切られる前がどのような状態であったかわからない。3週間前ならまだ切られていなかったのではないか。あまりに背丈が大きく、たぶん2メートル以上はあったはずだ。それですぐ際の嵐電のプラットフォームに寄りかかったのだろう。人の通行を邪魔してはならず、そのために紐で括られているが、背丈があまりに高ければそれでも倒れかかる。風がよく吹く場所であるからだ。今日は写生しながらその風が身に沁みた。中腰で立ったまま2時間ほど描き続けていると、熱中して寒さが気にならなくなりはするが、写生帖の紙が風でめくれ上がり、鶏頭は終始揺れ続ける。おまけに急に時雨が降り、紙が濡れて鉛筆が動かない。描いているとその家の奥さんが家の側面に隙間なしに並べている植木鉢の手入れに出て来た。愛想がよく、年齢は筆者と同じくらいだと思うが、耳が遠いので話が噛み合わない。ともかく、写生の邪魔はしない態度で、また鶏頭は切って持って帰ってよいと言われたが、それはしない。生きているのを描きたいからだ。しかし奥さんはいつ全部根こそぎしてしまうかわからない。1週間か10日は描くつもりでいる。