「
ベンチにて ブックエンドの 高齢者 予期したほどに 老いは恐れず」、「いつまでも 元気でいたし お互いに 花首垂れて なおも倒れず」、「人のみが 絵を描き残し 愛でるのを 不思議がるのは 不思議ではなし」、「描き終え 間もなく忘れ また描く 無我の境地は 時間の無駄か」

今年はわが家の鶏頭は写生したくなるほどには成長しなかったので、散歩や買い物途中で見かける鶏頭になおさら目が行く。写生しにくい場所である場合は写真を撮るだけに済ますが、
9月8日や
9日の投稿はそうであった。8日の投稿の花はここ2、3年毎年同じように咲き、またその家の奥さんから描いてもいいかと訊いたこともあるのに、今まで1枚も描いていない。その理由は花の背丈がかなり低いからで、かなりしゃがみ込まねばならないのはまあいいとして、背後に車がよく通り、その邪魔になるからだ。9日投稿の花はそこから50メートルほど北の有栖川沿いの道路につながる坂道で、しかも日陰に咲いているので、やはり描く気になれなかった。筆者の行動範囲はとても狭いが、嵯峨はまだ大阪や京都の市中よりは家の周りに花がよく咲いていて、今は珍しくなっている鶏頭の花に出会う可能性はかなり大きく、写生もしやすい。それに写生していると、その花を育てている人は必ず好意的に接してくれる。筆者が若者ならもっとそうだろう。今日の写真は嵐電の鹿王院駅の南で先月21日に写生した鶏頭の花だ。その日は2枚描き、2枚目が紙の下に半ば透けて見えている。この花もここ2、3年は毎年全く同じといってよいほどに咲き、
2年前に本ブログに写真を載せた。花の形が鶏冠鶏頭の一部を拡大したような珍しさで、同じように咲くものをほかの場所では見かけない。しかし背丈は50センチほどで、弱弱しく、女性っぽい艶やかさがある。道路からわずかに凹んだモルタルを敷いた狭い場所にその花のプランターがあって、すぐそばに窮屈に座り込めば往来する車はどうにか避けられ、去年は数枚描いた。住民に断りを入れずに描き、高齢の奥さんが表に出て来ると挨拶をする。21日もそういうことになった。奥さんは言葉数は少なく、描くなら勝手にどうぞといった風だ。そのことは去年から知っていたが、今年は買い物に出かける前か、奥さんは筆者に背を向ける直前にこう言った。「最近嵐電の線路沿いによく咲いているのを見かけたけど。」「そうですか。描き終われば確認しに行きます。」そして2枚描き終えて自転車で東へと走った。西は線路際に道がないからだ。ゆっくり自転車を走らせ、車折神社前に着いても鶏頭は全く見当たらない。「さては嘘だったか、あるいはもう花は終わって根こそぎされたか…」と思って帰宅した。それはさておき、2枚でも描いたのはよかった。奥さんはすぐに全部刈り取り、数日後にはプランターの土の上に花がたくさん散らばっていた。そうしておくと来年また同じように咲くという。