「
布石には ならぬ無駄石 いとおしき 思いどおりに したくもなきに」、「どう咲くか 場所と栄養 運任せ 形と色の 千差万別」、「結局は 自然任せの 人生と ようやくわかり 雀に米を」、「来年に 期待はせずに 今讃え 小さな栄華 じっと味わう」
7のつく日に1割引きで野菜や果物を売る小さな店が嵯峨にあることを3、4か月前に知った。よく行く嵯峨のスーパーとは方向が少し違い、その店の前はたぶん2,3年に一度ほどしか歩かない。先日の7日、家内とスーパーに歩いて行った時、1割引きの日であることを思い出し、いつもの道を外れてその店に行った。形や色が悪い商品が多く、1割引きでもまあまあの価格だ。商品にならないような柔らかい、あるいは部分的に真っ黒になった柿が一山777円で売られていて、その場で買いたかったが、家内が反対した。店の前に数人の客が商品を見繕っているのに誰も店の端に置かれたその柿に目もくれない。それでスーパーからの帰りにまだ売れ残っているならば買うことにした。店はきれいな柿とそうではないものを選り分け、売り物にならないものを一山で売ることにしたのだ。さて、店を後にしていつものスーパーへ向かい、これまでほとんど歩かなかった道を歩く羽目になった。すると今日の写真の鶏頭の花を見かけた。カメラを持っていなかったので、撮影は今日になったが、背丈が低い花の割りには花はとても大きく、鶏冠状になった大花の脇に小さな花が咲いている形がとても面白い。こうした自然の造形は人が室内でいくら考えても思い浮かばず、そうした自然の造形との出会いはとにかくたくさん歩いて自分の目で発見するしかない。他人が撮った写真では駄目だ。自分で見て描くことで、写真はその参考に過ぎない。この鶏頭は他の植木鉢に混じって育てている人がそれなりに愛好している様子が伝わる。驚くほどに立派な花ではないが、自宅脇のごく限られた道路際の面積にいかに育てるかを楽しみにしているようで、来年もおそらく同じように咲くはずだが、ただしこの写真以上にはならないだろう。家内が先に歩いて行くのをかまわず、少々立ち止まって眺めた。さてその当日、スーパーで買い物を済ました後、今度はこの鶏頭の咲く道とは違うルートで1割引きの八百屋に行き、30数個で777円の柿がまだあるかどうかを確認した。相変わらず2、3人の客がいたが、やはり誰もこの柿には関心がない。皮膚病に罹ったような色や形で、そういうところを除けば半分くらいしか食べるところがないかもしれない。しかし家内が眉をひそめるのをかまわずに買った。帰宅して数えると32個で、まともなものはないが、早速最も柔らかいものを2、3個食べたところ、とても甘い。黒くなった箇所は柿渋のせいで、そうした柿も味は申し分ない。今年は柿が不作であることは近所の柿の木からわかる。毎年数百の実をつける古木に数十しかない。冬場に野鳥が困る。