「
親切に 道を教わり 間違いと 気づき戻るも もう日が沈み」、「スマホ見て 訪ねて無きに 首ひねり データのミスと 指摘されるや」、「古びれて 読めぬ看板 面白き 内容変わり 別の価値持ち」、「用なさぬ ものは捨てるが 当然か ペットにペッと 唾吐く人も」
駅前の林が阪急所有の土地であることは、林の中にあるふたつの立て看板から明らかだ。それらは開店したばかりの売店の南北に設置され、北のものは古く、南は新しい。どちらも阪急と桂警察の名称が併記してあり、看板の文言に反する行為が発覚すれば警察が飛んで来ることを示唆している。嵐山は西京区が右京区から分離してからも何年もの間、右京区の太秦警察の管轄であった。この立て看板は桂署となっているから、たぶん古くて20年ほど前の設置ではないか。最初の写真のように看板の文字が半分ほど消えて即座には内容がわからない。剥げ具合は新しいフォントとして使えそうな面白い表情があって、役目を全く果たしていないが、阪急としては2枚目の写真のように、かなり遅れて売店の南側に新しく立てたので、北側の古いものはひとまずそのままにしておこうということなのだろう。ペンキで文字を書いた看板はどれも赤が黒より先に消える。そのことをペンキ屋は熟知している。黒一色では無粋なので、特に注意させるべき文言を赤で書くことは理解出来るが、赤い文字は黒で細く縁取りすればどうか。しかし、そういう看板を見たことがない。2枚目の看板の奥の地面は昔は池で魚もいた。いつの間にかすっかり枯れ、看板の手前辺りは京都バスの警備員が駐在する場所になっている。池ではなくなったので、阪急としては売店に営業させることがつごうよくなったと言える。とはいえこの元池に土盛りをして整地までするつもりは今のところはないだろう。あるとすれば売店の売り上げが予想以上によく、仮設小屋を本格的な建物にする考えが浮上した時だ。立て看板の文言は、阪急が許可すれば営業が可能という意味であって、阪急のやることに警察は口出しは出来ないはずだ。思うに、このふたつの看板は売店の営業許可を告げていて、看板を撤去すれば許可を得ない露店が林の中に出現するかもしれない。露店でなくても首から下げた板におにぎりや飲料を載せて歩道を行く人々に売ろうとする者も出て来るだろう。嵐山公園には昔から地元の親分が経営する屋台が渡月橋のすぐそばと中の島南端にあるが、厳密に言えば警察は黙認で、現状以上に屋台を拡張しなければよいとの考えだろう。つまり物事には例外があって、何事も厳しく取り締まることには無理がある。警察も多忙だ。少々のことは現場で適当にしてくれとの考えではないか。半年ほど前、中の島すなわち嵐山公園北端でブラス・バンドが演奏していて、路上ミュージシャンであったと思うが、そうした大道芸人は毎日のことではないので、林の中で演奏させてもいいのではないか。あるいは阪急が雇うか。