「
嗅ぎ分ける 力鈍れば 去り時と 虫でも気づき 人もそうあれ」、「在ることの 不思議思いて 次気づく 在るは変わりて いずれは見えず」、 「年の差は 生きる限りは 変わらずも 死ねばいずれは 追い抜き抜かれ」、「いつまでか 知らぬがよしと 口つぐむ 心地よき湯に 浸り花見る」

「風風の湯」の露店風呂には男女とも桜の古木が植わっている。それが今は満開で、散った花びらが湯の中に落ちて来る。その風情を10年毎年味わっている。家の風呂では無理なことで、嵯峨のFさんが少々の雨でも毎日利用していることは大きな湯舟をひとり占め出来る気になれるためだ。花伝抄の宿泊客などの一見客で混む時間帯はだいたい8時までで、そのことをFさんも筆者も知っているので、やがて同じ時刻に利用するようになって来た。5キロや10キロほど離れたところから週に一二度訪れる常連客は午後5時頃に入ることがあって、以前よく顔を合わせていたのにすれ違いになることがあるが、Fさんと筆者はほぼ同じ時間に利用するようになった。「風風の湯」の営業開始当時からほぼ毎日利用しているTさんもそうだが、上桂駅から電車でやって来るにもかかわらず、入湯時間は30分ほどでFさんは呆れている。85Mさんは今は89か90歳のはずだが、家風呂では掃除が面倒で、また大きな湯舟は何よりも楽しみで、「この風呂がなかったらとっくに引っ越している」と何度も口にする。5,6年前に大阪市内から渡月橋にほど近いマンションに転居したのはいいが、買い物の不便から魅力を感じず、「風風の湯」がなければまた繁華な街中に住むだろう。奥さんが大のサッカー・ファンで、TVで重要な試合がある場合は筆者とは違う時間に利用し、季節によっては2時間ほど早めるが、だいたいは同じ時間帯に滞在する。Fさんと85Mさんはコロナ頃から経済や政治の話が嚙み合わず、傍で見ているとふたりは言葉を交わさない。ところが85Mさんは元来話し好きで、外国人であろうと誰かれかまわず日本語で話しかけ、場合によっては30分ほども若者を離さない。相手は日本語があまりわからない場合は多々あるが、それにかまわずにお決まりの話題を提供し、いわば講釈を垂れる。90近い年齢であればそれは仕方がない。しかし筆者と話す時は耳はしっかりしていて、受け答えはしごくまともで老化を感じさせない。芸術の話はあまり出来ないが、それでも時に辛辣な意見が実情をまともに衝いていることがある。筆者は政治経済の話はFさんにも85Mさんにもしない。それでFさんとは噛み合う話題がないが、老人会の世話を去年からやるようになったFさんは出会った頃とはかなり人が変わって温和になった。老人会の世話を本当は引き受けるつもりはなかったようだが、筆者が平安講社の役でそれなりに多忙であることにいくらかは触発されたと思う。新しい出会いを面倒と思うか、逆に楽しいと思うかで老境は大きく違って来る。
