「
ロケーション いつも同じも 面白き 同じようでも 変化は必須」、「少しずつ 皺が増したる 花命 はかなきことを 知りつ味わい」、「むら雲の 満月の夜に 狂い舞う 蝉の叫びに 湯の客見上げ」、「鶏卵を 月に見立てて 鉢に載せ 割らずにうどん 全部すすりて」

1週間前、嵯峨のFさんが「風風の湯」にかなり遅くやって来た。筆者が上がろうとしていた夜9時頃で、理由を訊くと老人会の行事があったとのことだ。Fさんは去年の春に地元老人会の長から頼まれてその役割を引き継ぎ、それ以降日常が大きく変わった。多くの同世代と毎月何度か会うことになり、外出の機会が増えた。相変わらず土日は競馬の馬券を買うのに祇園まで市バスで通っているが、ほとんど家にこも切っての生活からよく歩くようになった。「風風の湯」からの帰り、家内がごくたまにFさんの姿を見ることがあるが、家内が言うには以前よりFさんは若返ったとのことだ。老人会は女性が8割で、Fさんより若い人もかなりいて、それなりに親しくなった女性たちとたまには昼食を奢るので、若返ったひとつの原因は、老人会に入らねば、またその代表者にならねばなかったはずのそうした異性との談笑であることは間違いがない。ただし噂好きの人がいるから、特定の個人とあまり親しくしてはならない。そこは「風風の湯」の常連の仲でも言える。話をするのは「風風の湯」の中だけであって、それ以外の場所では会わず、連絡もしない。老人会の集まりも同様のはずで、会合時だけの付き合いだ。それでいいのであって、それだけでも日常の気分は変わる。ところで、Fさんは毎日「風風の湯」に自転車でやって来ることは面倒ではないらしい。それは親しい人と話すことを楽しみにしているからではない。それは二の次であって、最大の理由は風呂好きであるからだ。毎日訪れることは常連でも特別に珍しいと思うが、筆者が知らないだけで、異なる時間帯に毎日利用している人はいるかもしれない。筆者はFさんのように、多少の雨が降っていても、また自転車で10分ほど要し、さらには渡月橋をわたってまで風呂に行くことはしない。つまりそれほどの風呂好きではない。それはいいとして、同じ13日の夜、「風風の湯」では大きなガラス窓が開けられていて、そこから一匹の蝉が大きく鳴きながら浴場に飛び込んで来た。天井近くを舞っているので捕まえられない。またすぐに天井の片隅に止まって鳴き止むので客は気にしないが、突如また鋭く鳴いては飛び回り、やがて露店風呂のある外へと飛び去ったが、30時間ほどしてまた入って来た。湯に落ちると溺れ死ぬから、その時は以前コガネムシにしたように、タオルで掬って救ってやろうと心がまえしていたが、蝉も湯気が上がるところには近寄ってはならないことを知っているのだろう。Fさんにその蝉の話をして先に帰った。今日の満月の写真はつい先ほどわが家から見上げて撮った。
