「
海原を 思い起こすや 草地にて ベンチに座り 歩む人見る」、「気がつけば 石のベンチの 撤去あり 背よりも高き フェンス建てられ」、「壁の隅 座りて思う 吾ここに 座禅をするに 寄る壁はなし」、「壁越えて 自由を得たし 貧しきは 金を稼げず 目の前に壁」

今日の写真は2年前の7月5日に撮った。今年6月21日に投稿した写真の残りで、阪急嵐山駅前の広場を越えた林の中にある草地だ。工事はすぐに終わって黒い見通しのよい筆者の背丈より少々高いフェンスが出来た。今日の最初の写真は草地の南方、2枚目が北側で、2枚目の写真の右下に仮設フェンスのごく一部が写り込んでいる。丸2年の間、フェンスはそのままで草地は変化がない。フェンス建設の少し前か、最初の写真の左手奥にあった石のベンチが消えた。かなり古いもので横並びにふたつあって、たまに観光客がそこに座って道行く人を眺めていた。この草地は背後、左右が木立であるため、舞台の趣があって、ベンチに座っていると道行く人から目立った。ベンチの存在は草地に入っていい証拠で、阪急所有の土地であることが立て看板などでは記されず、公園と思われていたはずだ。
本ブログに写真を載せたことがあるが、2010年春の駅前広場の改築やホテル花伝抄の建設に伴なって広場から土手道に至る車道と歩道の区別のない地道が舗装された際、歩道に沿った北西角の細長い土地が町名を冠した公園となり、その名称を刻んだ山形の大きな石碑が建てられた。公園と呼ぶにはあまりにも小さく、ひとり座り用の石柱が2,3あって、飲み物の自販機も置いてあるが、枯れ葉が多く、また草地内の石のベンチよりはるかに目立つ歩道際でもあって、人がくつろいでいる様子をほとんど見かけたことがない。すぐ近くに桂川沿いの嵐山公園があるので、こうした形ばかりの公園は不要だが、道路を整備した折りに林の一部を公園にする必要が生じたと想像する。これは阪急にとっては土地を京都市に提供したことになるが、その見返りはあったはずだ。それはともかく、素朴なままで残っている土地を有効利用する方向性は2010年から顕著になった。林の向い側は林の何倍もの大きさの土地が駐車場になり、林もいずれ樹木が全部伐採されて同じ憂き目に遭うかとなれば、駐車場はいつも半分以上の土地が空いたままで、充分足りているから、林は別の用途となるだろう。それが2年もフェンスで囲ったままでは、この林沿いの道を通って嵯峨のスーパーや「風風の湯」を利用する身とすれば、あまり気持ちのいいことではない。それに、跨ぐことの出来ない高さのフェンスで囲ったことの理由がわからない。フェンスがなかった頃も草地に入り込んで寝転ぶような人はいなかったからだ。ゴミや雑草はなく、視覚的にも開放感があってよかった。この草地の片隅に鶏頭の種子を勝手に撒きたいが、立ち入ることが出来ないではどうしようもない。