「
連続の ドラマのごとき 人生と 思える人の 長寿はしかり」、「囲い込む 面積多く 勝負つき 囲碁に逆らう 小国の異議」、「国境の なきこと歌う 夢想家に 物騒家言う 核を増やせと」、「駅前の 雑木林に フェンス建て ここは私有地 公園でなし」

昨日に続いて阪急嵐山駅前の東にある林について書く。昨日は2年前の6月20日撮影の写真を載せたが、今日は最初が7月5日、2枚目が7日に撮ったもので、芝生に立ち入らせないフェンス設置の工事が始まった。この様子を見たをので昨日の林の中の駐輪場の写真を撮った。最初の写真は右奥が嵐山駅前広場で、南を向いている。2枚目はホテル花伝抄の北に隣接する大きな駐車場沿いの歩道から林の芝生を向いて撮った。芝生の中に入るなという工事で、なぜフェンスが必要なのかわからない。筆者が知るだけでも半世紀はフェンスがなかったから、芝生の中に何か建物が出来るのかもしれない。松尾駅や嵐山駅の駐輪場は無駄な空き地として放置していることがもったいないという理由で出来た面も否定出来ない。これは昭和時代の家ならば小さくても庭があったのに、一家に一台は車を所有するようになってからは庭は贅沢とされ、駐車場となったことに通じている。芝生や植木のある庭を無駄と考えるのは貧しい思想だが、日本は貧困国家に邁進していると喧伝される。わずかな無駄も許さず、ちまちまとした節約が美徳とされ、芝生や植木は公園で充分、あるいは金持ちだけが持つものという暗黙の了解が出来、かくて鉄道の駅舎のすぐ際の植栽を潰して駐輪場とすることが歓迎される。つまり、自然豊かな観光地の代表とされる嵐山のひとつの玄関口である阪急嵐山駅周辺の阪急所有の土地は、10年前に建ったホテル花伝抄からもわかるように、利潤を生む施設に貸す方策が採られるようになり、たぶん今日の写真の林や芝生はいずれ何かが建って営業を始めるだろう。阪急が会社であるからには利潤の追求は当然だ。また長年工事中の淡路駅とその周辺を思えば、わずかな土地でも有効利用したいことは理解出来る。地元住民の意向をいちおう考慮するとはいえ、土地は法律を守ればどのように使うことも自由だ。地元住民としても代が変わって遺産相続の問題に直面することがわかっているからには、遊休地と化している畑やや古くなった家屋は少しでも高額で業者に売りたいから、たとえば嵐山駅前広場の50メートルほど西にあった広い庭つきの料理店は、主が元気な間に引退し、そこにホテル花伝抄の建物と瓜ふたつのマンションが建った。その住民が自治会に入ってくれるかと甘い考えをしたものだが、そういう人は皆無で、また半数以上の部屋は別荘として所有され、普段は明かりが灯っていない。同じことはマンションだけに限らず、駅のすぐ近くの一戸建ての家でもあって、主に東京の、しかも中国人が嵐山や嵯峨の不動産を購入している。嵐山や嵯峨は利潤を生む土地と目されている。

