「
聴くほどに 味わい深き 音楽も 愚痴る人あり 世間は広し」、「カフェラテの 絵見て想うや 空の雲 次々変わり 見飽きず楽し」、「動物を 象るケーキ かわいいね パクリと食べて ああおいしいね」、「食べたいね かわいいほどに おいしいよ 柔らかいほど 甘味もあるし」

今日は午後から歴彩館に調べものに行った。その帰り、西の空を見ると今日の写真のように二筋のジェット機雲が西方向に伸びていた。この二機が同じ夕暮れに同じ方向に飛ぶことは嵐山でも確認出来る。どの基地に向かっているのか知らないが、日本の上空を監視しているか、練習のためか。写真の右端が歴彩館の建物で、写真中央奥は駐車場と思うが、車に乗らない筆者はその有無に無関心だ。2か月ほど前、同じ自治会内に住む仏師のOさんから電話で以前と同じことをまた訊ねられた。時代祭に少しは関係すると思うが、秀吉時代の権力者に公家から嫁入りしたある女性の衣装がどんな形をしていたのか、何か資料を持っていないかというのだ。秀吉時代の権力者の女性の衣装については有名な肖像画が伝わっているので、それらからどういう形のキモノでどういう文様をつけていたかはわかる。つまり悩む必要はないと答えたが、Oさんは公家から嫁いだのでその出自を誇るために十二単にこだわっていたのではないかとの考えだ。ならばその実在した女性がどれほど公家意識があったかという、調べてもおそらくわからない話になるし、また武士に嫁ぎ、開放感もあって時代最先端の染織文様を施した小袖を愛好した可能性もあって、想像の域を出ない話だ。
鴨川東畔の出雲阿国の銅像を作った彫刻家は、昔の屏風などに描かれる阿国の姿を参考にしたはずだが、キモノの文様まで気にすることはないので割合楽な仕事であった。Oさんが受注するその公家出身の歴史に名を遺した女性の木彫りも衣装の形だけの話でそう難しくはないと思うが、髪型をどうするかは重要な問題だ。平行線を保ったまま電話を切り、10日ほど後に、歴史的な資料の調査は歴彩館に行くと懇切丁寧に協力してくれると電話で伝えた。Oさんが歴彩館やそれ以前の京都府総合資料館の存在を知らなかったのは意外で、勉強不足が過ぎる。車で外出するOさんであるから、歴彩館に駐車場があるかどうかが問題だが、筆者はあると答えた。行ってなければ近くの駐車場に停めることになるが、歴彩館近辺にそうした駐車場はない。その後Oさんと話していないが、時代祭を見てもヒントは得られないと思ったので声をかけなかった。Oさんが彫る予定のその公家出身の女性像は衣装や髪型もそうだが、顔が一番厄介ではないか。出雲阿国像は平凡な顔つきで、出雲大社の巫女をしていたという雰囲気は出ているが、日本の中心の京都で喝采を浴びたのであるから、とても目立つ器量、愛嬌はあったはずだ。そういう考えで時代祭では毎年若い女性から選んでいると思いたい。となれば芸能人かその卵がふさわしいか。