「
ギター弾く ピエロ囃すや お祭り日 調子外れは お笑いの意図」、「音楽の 鳴るスピーカー どこ隠す 姫たち乗せた 台車の下に」、「鼓笛隊 同じメロディー 3時間 奏でて歩く 時代祭に」、「おとなしく 時代遅れと 思われり 時代祭の 音なき列は」

今日は題名にあるように、昨日無事に終わった時代祭の裏方の末端事情について書く。またそれは時代祭全体ではなく、西京区すなわち平安講社第十一社の筆者が携わっている学区に限り、他社のことは何も知らない。各社同士の交友はなく、またほとんどの社は他社の行列をまともには見ていないと思う。社同士の意識の張り合いはないが、社を代表する人たちは時代祭当日に自社が不祥事を起こさないようには気を配っているはずで、他社の事情を慮る暇はない。時代祭の学区代表は京都市全体で200人ほどで、行列が京都御苑を出発すればみんな帰宅するはずで、筆者のように行列を見ながら平安神宮まで歩道を歩く代表はいないはずだ。平安神宮まで歩くのはわが学区から裃姿で歩く2名をそのままの姿で一緒に車に乗ってわが家に戻るためだ。他の学区の裃姿や担当の行列に参加する人たちは、時代祭に携わる関係者しか立ち入れない平安神宮の応天門の北の広場のとある場所で到着後に着替えをし、担当学区が手配したバスに乗って担当学区の小学校に戻るか、裃一式が所属する学区の持ち物であれば風呂敷に包むなりして自宅に持ち帰る。2年前は筆者は朝6時に担当学区の小学校の体育館に連れて行かれ、そこで裃を着付けてもらい、担当学区が用意したバスで京都御苑近くまで乗せてもらったが、体育館で着替えた私服は名札つきの大きな布袋に入れられ、平安神宮の着替え指定場所に運ばれた。そして行列が応天門をくぐって到着すると、着替え指定場所に行って私服に着替えた。時代行列の衣裳は担当学区が持ち帰り、点検のうえで後日平安神宮に返却するが、裃は業者から借りている人や自前で所有する人、あるいはわが学区のように自治連合会が費用を出して作った場合がある。レンタル料金は1万円と聞くが、手入れの手間を思えばレンタルがいいかもしれない。黒紋付と裃その他の小物など、行列参加に必要なものを自前で揃えると、黒紋付が化繊か絹の違いにもよるが、全部で最低7,8万円はする。つまり7,8年使えば元が取れるが、20年は使えるだろう。ただし途中で何度か洗濯に出す必要はある。レンタルの裃はひどいもので、紋は平安神宮のものではなく、ほとんどがヨレヨレになっている。筆者は着用後は手入れをするので、ほとんど新品同様の折り目正しさを保っている。着付けもしっかりしているからだ。筆者の次に代表になる人物がキモノの手入れの方法やたたみ方を知らず、着付けもあまり注意しない場合が予想される。そうなるとレンタルに切り替え、着付けも担当学区の専門業者に任せることになるかもしれない。

第十一社の裃姿で歩く人は40名ほどで、その半数弱が担当学区に時代祭の当日の朝に赴き、いわばついでに業者に無料で着付けをしてもらっているが、そうした裃の着用者の着付けが多くなる場合、担当学区が着付け業者に支払う金額は高くなるようだ。去年からわが学区は裃で歩く人を1名増員したので、第十一社の代表から自前で着付けをしてほしいと言われた。聞くところによると裃の着付け代は4000円が相場で、2名分の8000円を自治連合会に支払ってもらうことは気が引ける。そこで去年YouTubeで着付けを学んだ。今年は時代祭の2日前の夜にその映像を見直し、家内をモデルに練習した。最低15分要することはわかっていたので、今年の裃姿で歩く2名には20分ほどの時間差でわが家に来てもらう手筈を整えたが、ふたりともほぼ同時、しかも早めにやって来た。ふたりの着付けを計40分で済ませて8時45分に作業を終えた。話は変わる。裃2名と筆者を京都御苑まで運んでくれる人を探さねばならない。裃は肩が出っ張っているので、後方の座席に2名以上は乗れないので、なるべく大きな車がよい。その目論見がうまく行かなければタクシーを利用するしかないが、副代表である女性のご主人が出勤前に乗せて行ってくれることになった。その車が来るわが家に来るのが9時の約束で、わが家の前で記念撮影などしている間にその車がやって来た。担当学区の小学校に無理を言って着付けを頼めばそれは出来ない相談ではないが、朝6時から7時までの間に2名をその小学校までどう運ぶかの問題がある。また小学校で裃に着替えると普段着は平安神宮に運ばれるから、行列が終わった後、平安神宮で脱いだ裃をおおざっぱなたたみ方で風呂敷で持ち帰る必要がある。そのことは避けたい。というのはあまりに狭い場所で全員が衣裳を脱ぎ、レンタルの場合は裃をそこに放置すればいいが、私有品であればていねいに扱って確実に持ち帰る必要がある。20年ほど前の話だが、裃姿で歩いたわが自治会のとある人は、その裃が自治連合会が出費して作ったものとは知らず、他の裃姿の人たちを真似て平安神宮に脱ぎ捨てて帰宅した。そしてレンタル業者は自分たちの商品と思って他の裃と一緒に持ち帰り、結局裃は行方知れずになった。それをまた作るのに当時20万円ほどを自治連合会が出費したそうだが、そういう面倒な騒ぎを避けるには、裃姿のまま、着付けた時と同じ場所に戻って着替えるのが一番よい。しかしそうなれば裃2名と筆者が平安神宮で落ち合い、3人一緒にわが家に戻らねばならない。着付けした筆者が裃を脱がせる必要があるからだ。家内が出来ないこともないが、裃や紋付を脱がせて下着姿を見るのは嫌なことだ。それに後の整理を思えば脱がせ方も慎重にしたほうがよい。紋付の下に着る白地の下着キモノは着用者に洗濯してもらうので、その采配も必要だ。

往路は副代表に頼んでどうにかなったが、復路の車をどうするか。幸いそれは裃のひとりの奥さんに頼んで了承を得た。ところが時代祭の数日前になって、その裃着用のご主人は息子が代理で歩き、自分は復路の自動車の運転をすると言い出した。裃2名は生年月日や名前を予め平安講社本部に届け出て保険をかけてもらっていて、今さら別の者が歩くとは言えない。ところが2日前に予定どおりにご主人が歩き、奥さんが車で迎えに来ることになった。奥さんは車の運転には慣れているが、平安神宮のある岡崎辺りは道がよくわからないらしい。奥さんは車を平安神宮からほど近い警察署の近くに停め、裃2名と筆者はそこまで歩き、4人で帰って来た。タクシー代くらい自治連合会に負担してもらってもいいが、タクシーを呼ぶのにスマホが必要で、筆者はそれを所持しない。ま、来年は来年の風が吹く。今年は馬乗り役を選出する必要があったことは昨夜も書いた。彼は平安神宮が所蔵する時代衣裳を着るので昨日の6時には担当学区の小学校体育館にひとりで赴き、祭りの後は往路と同じくそのままの姿で貸し切りバスで体育館に戻り、そこで私服に着替えた。今年は秋になっても台風がよく発生し、天候が危ぶまれたが、裃2名と合流した途端にわずかに雨粒が降り始めた。そうそう、このことを書かねばならない。裃隊はどの時代の行列でもその後方を歩く。いわばにぎやかしだ。当日は関係者しか入れない平安神宮の広場で待つ筆者は、次々に応天門を入って来る行列の中から第十一社のそれを見つけ、わが学区の裃2名と合流せねばならない。そのために去年は比較的目立つ格好で出かけた。お互い姿を見つけて一時も早く合流しなければ、それだけ帰宅の車を長く待たせることになるからだ。去年は広場に入って来た裃のひとりから大声で筆者は呼ばれた。ふたりの距離は50メートル以上はあって、筆者はわからなかったが、彼は筆者の姿を認めた。今年もだが、裃のひとりはスマホを袖の中に忍ばせた。そして平安神宮内に着いてすぐに奥さんに電話し、合流した3人で駐車場まで歩いた。途中で他の学区の裃を着たひとりを見かけた。彼は裃をほとんどはだけ、全くだらしない恰好で歩道にしゃがみ込み、スマホに見入っていた。せっかく凛とした着付けが、汗をかいたのかどうか、半ば脱ごうとしたらしく、あまりに無茶苦茶で武士の正装の意識がまるでない。人がたくさん歩く場所でのそのだらしない恰好はあまりに興ざめで、やはり裃2名を車でわが家に連れて帰ることはよい考えだと思った。今日の最初の写真は京都御苑の第十一社の集合場所で、正午の出発まで待つ。2枚目は裃隊を除いた担当学区の行列全員、3枚目は裃隊の出発、4枚目は昨日の3枚目の写真と同じく馬乗り役で、京都御苑内での晴れ姿。紅白の幔幕が両側に迫り、多くの観衆を前に歩くのは高揚感がある。

