「
期限あり 慌てて対処 得気分 己が人生 無期限でなし」、「名月や 雲に覆われ 目が迷う どれだけ待てば 姿見せるや」、「今は駄目 もっと後なら 見えるかも ほかのことして 気を紛らせば」、「満月に 吸い寄せられて 見入るのは 引力のせい 不思議ではなし
」

今夜はスーパー・ムーンとやらで満月が大きく見えるという。去年もスーパー・ムーンがあったように思うが、何度もあればスーパーの安売りのようでありがたみがない。「スーパー」と聞けば筆者は「スーパー・マーケット」を思い、スーパーマンから連想する「超」よりも「安い」を感じる。なのでスーパー・ムーンはその意味でもありがたみを感じない。ましてや今夜は7時頃に満月の写真を撮ろうと思って外に出ると、厚い雲に覆われてその在り処がわかる程度で、やはりありがたみがない。今月は駄目かと思いつつ、日付が変わる直前に月が昇っているはずの方向を眺めると、今度はくっきりと見えるではないか。それで今日は2枚撮った写真を上下に並べる。中秋の名月だが今年はあまりに猛暑でそれを愛でる気分から遠い。ところで先日スーパーで値引きシールのある月見団子を買った。細長くて白い餅を漉し餡でくるんだタイプで、漉し餡は夜空で、その中心に満月があるとの意味づけだ。この月見団子は団子が棒状であるから、実際の満月が筒であるとの見立てだ。それは不自然なようだが、古代中国の三星堆の遺跡からは目玉が筒状に飛び出した造形の青銅製の仮面が発掘され、球体を強調するには円柱形にすることが効果的であることを古代の中国人が知っていたことになる。まさか三星堆の青銅製の仮面を昔の日本が知っていて月見団子を造形したのではないはずだが、人間の考えることは数千年経ってもあまり変わらないことを思わせる。しかし月見団子の餡でくるまれた筒状の餅は餡の布団にくるまれているので三星堆の仮面の飛び出した目玉のように露骨ではない。えげつなくない分、日本的と言ってよい。それはさておき、中秋の名月を愛でながら月見団子を頬張るという情緒を持ち合わせず、安売りされていたので買っただけのことだが、和菓子の製造業者は中秋の名月が近いのでせっせと製造し、それは商売としては当然のことながら、季節感を楽しませようという考えあってのことで、営業努力をしている。それは当然ではあるが、考えてみればありがたいことではないか。その商人のサービスといったことを筆者は見習うべきと時に思うが、生活するため、すなわち収入のためにこのブログを続けているのではなし、読者へのサービスを考えない。またそのサービスがどういう形で文章に表われるべきかを考えたことがなく、気の赴くまま好き勝手を書いている。とまあ、今夜も即興で以上を書いたが、書き始めから予想外の話に広がって自分で楽しんでいる。それが読者へのサービスになっていればいいが、反応が全くわからず、雲に包まれた満月状態の自分を想う。
