「
昼間なら 怪しまれぬと しゃがみ込み 知らぬ民家に 咲く花描く」、「明日はない 今日眼前の 花描く 烏うるさき 我は関せず」、「亡き妻が 愛でた鶏頭 育てれば 見事な花と 褒める人あり」、「ああここに 確かにあった 鶏頭の いくつかの鉢 盛りを過ぎし」
昨日の投稿の続きを書く。16日の午後に時代祭の次第書を配っている途中で見かけた鶏頭の花を翌日写生し、18日は気になっていたその家の玄関前で咲く花を写生しに出かけた。写真を撮るにはどう体を向けても賑やかな背景が映り込む。写生するのであれば写真は不要だが、参考に撮っておきたい。そこで思いついたのは花のすぐ背後にスケッチブックの白いページを広げ、その状態で撮影することだ。左手にスケッチブック、右手にカメラを持ちながらの不安定な姿勢であるので花を傷つけるかもしれず、そう思うと家の人たちが出て来ない間にそそくさと済ますに限る。そうして撮ったのが今日の写真で、玄関前に置かれた2,3の鉢で最大の花ふたつだ。写生したのは最初の写真の花で、これは鶏冠鶏頭の変種で、鶏冠風ではあるが、くねくねと襞が曲線を描かず、細かく縮れた状態が密集している。そのため注意深く描くのは骨が折れる。同様の大型ながら、すでに朽ちて褐色になって垂れたものがあって、盛りの時期はとっくに過ぎている。もっと早く見つけていれば盛時の状態を写生出来たが、たぶん猛烈な暑さのためにそれは無理であったろう。玄関前に座り込むのは勇気がいるうえ、かなり無礼だが、幸い家の主とは面識が出来ている。しかし1枚だけどうにか描き終えて立ち上がったところ、家から誰かが出て来る気配がない。それでそのまま帰宅し、翌日19日は家内の誕生日でどこかに食事に行こうかと言いながらぐずぐずしてしまい、今日はまた同じ花を描きに出かけた。天気がよかったからでもあるが、風が強く、スケッチブックの紙が何度もめくれ上がる。苦心していると、主が出て来てまた語り始める。「わたしの娘も絵を描いていたんですが、事情があってやめてしまいました。まあ、こうして描いていただけるのはほんとに光栄なことでありがたいです。」そう言いながらも筆者の手元を覗き込もうとはしない。そして家の中に戻った後、また出て来て筆者に紙袋を手わたす。「これをどうぞお持ち帰りください。」中身は洋菓子であった。鶏頭の花を家の周囲に咲かせるほどに惚れ込んでいる人で、何年か前に同じように咲いているのを見かけたことがある。他人の家の花を描くには勇気がいるが、幸いなことにこの家の人たちは親切で、あまり気兼ねせずに済む。来年も同じように咲くはずで、描きたくなる開花状態であればまた足を運ぼう。今日の2枚目の写真の花も描いておきたいが、明日は鹿王院近くで咲く鶏頭を描く。雨では写生出来ず、また花が終わりと見れば育てている人は花穂を切り取ってしまうので、見かけて描きたくなれば即座にそうする。