「
A面と B面に分け 位づけ 表と裏も あることわかり」、「駄菓子屋と 市民会館 隣り合う 寝屋川市には 名物乏し」、「目に映る すべて気づかず 意識せず されど雰囲気 誰しも覚え」、「去年とは 違う眺めも また楽し 次の変化に 意外を期待」
5日前に訪れた寝屋川市民会館のすぐ西側の裏通り沿いにある植え込みについて去年か一昨年に書いた。秋の花がたくさん咲いていて、アコーディオンのコンサートのほかにはそれを確認することもちょっとした楽しみだ。同じく市民会館のすぐ西には駄菓子屋があって、4日前も子どもたちや2,30代らしき人も入っていた。一度入ってもいいが、どういう菓子が並んでいるかは想像がつく。それで店の外観の写真も撮らない。今日の写真はその店の前にある植え込みで、菊の花はまだひとつも咲いていない。代わりにノゲイトウが花盛りで、この思わぬ出会いは寝屋川まで訪れた甲斐があったと受け止める。今年のわが家の鶏頭はさっぱりであったが、その代わりに各地で面白く咲くものをいくつか遭遇して撮影し、写生もした。このノゲイトウは桃色と白の二段がまえの色合いが長い飴のようなお菓子に見えるが、この花は鶏冠鶏頭と同じヒユ科であることは即座にわかる。花の形は全然違うようでも、どことなく似ているからだ。そのどことなく似ている外観は植物の分類学者にしても真っ先に気づいたことだろう。しかし同じ科に属しはしてもやはり鶏冠鶏頭とこの野鶏頭は形にかなりの差がある。鶏冠鶏頭のほうがはるかに面白いが、野鶏頭も鶏冠鶏頭を絵にする場合の添えものには使える。畳2枚と同じ大きさの二曲屏風に描くとして、鶏冠鶏頭のみよりかは野鶏頭など他の鶏頭の花の仲間を添えるほうが賑やかになってよい。交響曲的と言い換えてもよく、筆者は多彩な作品を好む。野鶏頭と槍鶏頭がどう違うのか知らないが、鶏冠鶏頭のようには形が多彩ではないことが想像される。「槍」というからには細長く尖った形で、色合いは赤を中心にさまざまだろうが、花穂は先端がふたつに割れていたり、もっと奇妙な形の冠状になっていたりすることはあまりない気がする。ただし筆者が注意深く見ていないだけで、野鶏頭、槍鶏頭もいろんな形があるかもしれない。そういう情報はネットではほとんど得られない気がする。筆者の狭い行動範囲で見つける鶏冠鶏頭でも今年は変わった形のものを見つけたから、気に留めれば、つまり強く意識すれば新たに気づくことは多いだろう。何事もそうで、わかって気になっている、あるいは全く無視いていることがある日、にわかに存在が意識の中で拡大される。そしてそういういわば些細なことを楽しむことの出来る人は老化の速度が遅くなる気がする。またそうして興味は広がり、意外なところで自身が知らない知識を豊富に持った人に出会うことがある。別段そのことを希求していないが、たまたま話を交わして予想外の面白い時を過ごすことはままある。