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●『ZAPPA PLAYS ZAPPA』ツアー続報
今日は堺や大阪の難波に行って来た。天気がよかったこともあって、予定以上に目的が消化出来たが、たくさん歩いたので疲れた。



それで、今夜はブログに書く予定をしている展覧会の感想のうち、最も古い先月9日に見たものについて書いておこうと考え、途中まで書いたが、書き終えるのが深夜3時頃になりそうなので途中で断念した。それでこういう時のためにまた昔の日記を持ち出す。昨日、アメリカの大西さんからメールで、ザッパの息子ドウィージルのツアーが日本で実現出来ないか、その可能性を今一度探ってほしいと言われた。このブログでこの件について詳しく書くのは初めてのことと思うので下記にそのメール内容を引用しておく。

そういえば、先日お伝えしました、ZAPPA PLAYS ZAPPA のコンサートですが、ナポレオンもテリー ボジオも参加します。(全コンサートでは、ないかもしれませんが。。。)そこで思うのですが、元々、ナポレオンから日本でのコンサートの希望だったので誰かとは、こちらも幾つかのアイデアが、あった訳です。GRAND MOTHERS それとも PROJECT OBJECT などなどです。残念ながら、この2つのメームヴァリューでは、なかなか日本のプロモーターの反応ももうひとつです。そこで、ひとつ思うのですが、このZAPPA PLAYS ZAPPA を何とか、日本でコンサートとして出来るように、働きかけるのは、如何でしょうか?もしかしたら、誰か日本のプロモーター?それともザッパファミリー側が、既に動いているかも知れません。と言うのも、最初に彼ら(ザッパファミリー)からの連絡では、ヨーロッパ、アメリカの後、日本にもと考えている話だったのを記憶しています。スケジュールが、半年も遅れたので、果たして日本に来る話が、どうなったか?は、分かりません。アメリカも大して多くないです。
そこで、レコード会社のMSI でしたっけ?その他、強力な処が、音頭を取ったらどうかと思うのですが。。。。。来日30周年にもなる絶好の機会です。時期的に今が、ラストチャンスのように思えるのですが。。。。。せっかく、ザッパファミリーが、こんな美味しい企画を作ったのですから上手く乗ったらいいと思うのですが。。。。。名前もザッパファミリーのオリジナルですし、また、ナポレオンもテリーもいるし、スケジュールが、合えば、ヴァイもゲストですから大きな話題性は、十分です。何とか、誰か、お知り合いの方々にもう一度、あたっていただけないでしょうか?



足かけ2年前から元ザッパ・バンドのメンバーも来日公演を希望していて、その実現に向けて以前いろんな人に当たった。だが、なかなか興行的に難しいこともあっていい話に進展しない。日本におけるザッパ人気はごく一部の人のものであるうえ、さらにザッパのいないバンドとなればなおさら関心を抱く人は少ない。今の若者にザッパの音楽がリヴァイヴァルのような形で沸騰すれば話は別だが、そんな機会もなかなかない。それを言えばドウィージルの今回の『ZAPPA PLAYS ZAPPA』のツアーは、ある意味では若者にザッパの音楽の魅力を伝えるいい機会になるはずだが、CDも出ていないではどういう音楽を演奏するのか誰にもわからず、ツアーを招聘するのはかなり無理があるだろう。日本ではまずCDが出て、それが話題になれば演奏家を呼ぶ話が出るというのが通常のパターンであるからだ。ドウィージルの今回の企画の人気が日本で話題になるとしても、現在の欧米ツアーが終了した後、それがCDになってからであろう。そしてもしCDがあまり売れなければそれっきりになる可能性が大きい。筆者には日本の今の20代が聴く洋楽がどういうものであるのか、ザッパやその関係のミュージシャンの音楽がどの程度知名度があって魅力的な存在なのか、まるで雲をつかむようにさっぱりわからないが、一方で筆者の世代がどうなのかとなれば、ザッパのいないザッパ曲演奏バンドのライヴに期待を抱くのは、熱烈なファンの中でもまた限られる。レコード会社がうま味を感じればこういう話はすぐに実現化もするが、ザッパのCDを日本のレコード会社が現在はもう出していない実情を考えれば、これまた打つ手がない。結局ファンが自分たちで動く方法しかないが、そのファンも一致団結には遠く、筆者の書くことに関しても悪口ばかりがネット上に流れ、むしろザッパのことでは前面に出ない方がよいほどだ。何だか暗い話ばかりにになってしまう。この零細ブログに書いても効果は期待出来ないだろうが、読者に何かアイデアなりがあれば書き込んでいただきたい。
●『ZAPPA PLAYS ZAPPA』ツアー続報_d0053294_12303837.jpg
●2001年9月18日(火)朝
今日もちょうど1ページで済ます。昨夜は馴染みの中古レコード店に行って、『大論2』の広告のページ数と予定価格を書き換えた。その店では床屋談義のように、よく話をして帰るのだが、昨夜はテロ事件から始まって話が盛り上がった。その数十分の間、途中話を割り込んで来た若者があった。「お話に興味がありましたので、つい割り込まさせていただきました」などと、礼儀をわきまえる男で不愉快ではなかった。「よくここへは来るのですか?」と訊ねるとそうだと言う。しかし店員はきょとんとしていて、顔は知られていなかったようだ。筆者は10数年通い続けていて、ここ数年でようやく話を交わすようになった。今日は5枚買ったが、この1、2年は必ず1割ほどまけてくれる。他の人はそうではなく、顧客だけのサーヴィスなのだろう。しかし筆者は行くたびには買わないし、買っても安いものばかりを選ぶから顧客とは全く言えない。ドライな商売ばかりでは味気ないはずだし、筆者のような知った顔が毎週のように来るのは退屈しないのであろう。『大論2』の広告も貼ってくれと言わなくても、次に行くとちゃんと目立つところに貼ってくれてあった。中古レコード店は京都には少なくないが、このようにいつも話をするのはここだけだ。しかし客がいっぱいの時は当然遠慮してそっと帰る。話を戻す。文章の量をきりよく詰めるというのは『大論2』ではかなり意識した。手書き原稿を打ち込んで仮に50行になり、しかも文末が改行して2、3文字進んだところで終わるとする。推敲の際、まずこの2、3文字を削って、文末が行の終わりあたりで収まるようにする。そうしておいて今度は言いまわしを変えたりして5行を40行ほどに圧縮する。この段階でかなり無駄がなく固い文章になる。次に書き足すことが見つかって45行に増える。さらに推敲してそれをまたどうにか40行にする。以上のようなことを繰り返し、途中に洒落なども加えて、きりのよい文章量で最大の言いたいことを含むように工夫するのだが、それはその段落内でのことであって、その前後やその章、そして全章の中での位置を絶えず考慮する必要がある。そうして無駄のない文章だと思っているものがゲラ刷りされた時、章の末尾がページ最初の1、2行のみで終わっているのを発見した時はがくりと来る。そこまで予想して書くことはできないからだ。そのあまりに余白が多く、無駄を感じさせるページを解消するには、はみ出た1、2行を削ればよいのだが、それをするにはその前ページを大改造する必要がある。『大論』ではそこまではしなかった。しかしページ数をできる限り抑える必要のある『大論2』では、そういう土壇場での工夫も必要になるかもしれない。


●2001年9月19日(水)夜
本職に終日没頭。一歩も外に出ず。郵便物も届かず。書きたい話はなし。
by uuuzen | 2006-05-04 22:59 | ○『大論2の本当の物語』
●狭い京都の狭い世間 >> << ●『古九谷浪漫 華麗なる吉田屋展』

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