「
もう終わり 花首垂れて 種落とし 次に賭けるや 必ず勝つと」、「集まれば にぎやかになる 下手な絵も 吾が育てた 花なればなお」、「出会いとは たまたまのこと それがよし 生きる楽しみ 未知への期待」、「重力に 負けずに立てと 花教え くたびれ枯れて 役目終えるも」
4日後の「ザッパロウィン24」で配布する「お土産」の手製紙袋を半年ほど前に作り上げておいた。そこに鶏頭の花を描く。これを筆者が人前で話す機会ごとにやって来て、今回は写真のとおり、9枚目となる。たくさん並ぶとにぎやかで楽しい。鶏頭の花は自分が裏庭で種子から育てたもので、絵を描くのはこれまで必ずライヴ当日、花を目の前にしてのことであった。今年は例年にない猛暑続きであったせいか、育てた鶏頭の花は思うように成長しなかった。種苗会社から購入した種子は半分を4月下旬であったか、早蒔きし、もう半分を確か6月下旬に蒔いたが、後者は全く発芽しなかった。予想ではその遅蒔きの花が11月まで持ち、それを描くつもりであった。また早蒔きはすべて小さな花を咲かせただけで早々と枯れてしまった。さて「お土産」のジャケット絵をどうしようかと悩んだ。別の場所ではまだ生き生きと咲いていて、何日か写生に通うなどしたとき、大きな枯れた花をひとつもぎって持ち帰った。まがごくわずかに赤が残り、また堂々たる大きさだ。それを手製の陶器の小さな酒器に差してパソコンの前に置いて眺めながら、今回はそれを描く気になった。しかしこれまで自宅の庭に植えた鶏頭を描いて来たので、枯れてみすぼらしくてもそれを描くのが筋ではないかと思い直し、2,3日前に枯れた花の茎から適当に2本を折り取った。それを酒器に差した途端に絵の構図が決まった。そうして今日それを用意した正方形に近い紙袋に33枚描いた。2時間強要した。いつものことながら、下絵も準備もなしにぶっつけ本番で最初の1枚を描き、その後1枚も失敗がない。また描いた絵を見ずに毎回新たな気分で実物を前に描くが、最初と最後の絵はほとんど同じになる。これは最初の挑戦で完成していることであって、筆者はその最初の出会いというべきものを大切にし、また信じてもいる。それはともかく、やはり自宅の庭の鶏頭を描いてよかった。枯れた花は見どころがないようだが、絵にすれば構図や絵具の布置を考える必要があり、その美意識によって見どころが生まれる。それくらいの自負を持っていなければ描く技術で個性を発揮し、食べて行くことは無理だ。この「お土産」は筆者が語り手として呼ばれるから作るのであって、その機会がなければない。「ザッパロウィン」にしても客の入りが少なくなればレザニモヲはやる気を失うから、今後も何とか盛り上げて行きたい。それには客の期待を高めるべきであって、回を重ねるごとに変化がほしい。そのわずかな一助に筆者の「お土産」が機能すればと思っている。