「
点検を 重ねて気づく 不具合は 時の推移で 必ず生まれ」、「淡々と 木切る与作を 見習いし 量産するも 作品売れず」、「愚痴を言う 相手おらずに ひとり酒 酔うてさびしさ 上から見つめ」、「いつまでも 美しきまま 過去の人 ありがとさんと そっと呟き」
今夜松尾の桂川の土手沿いの店で学区民運動会の打ち上げ会があった。予想外に人は多く、100名近かった。2時間ほどの宴会の最後辺りで、高齢のある役員から筆者がスマホを持っていないことを指摘され、LINEでの連絡が出来ない不便さを言われた。スマホを持たなくても不便を感じず、ここ数年は腕時計もせずに外出するが、物を持って歩くのは何となく面倒臭いからだ。筆者はSNS上で他者から頻繁に連絡があることを億劫と思い込んでいて、フェイスブックをせず、X(ツイッター)でも誰もフォローしていない。それでグループLINEの仕組みは何となくわかるが、その一員にはなりたくない。ある場所でそのグループLINEをしている者同士が筆者の傍らで、面と向かって言えば済むことを、LINEでやり取りしている場面に遭遇した。ふたりは筆者に聞かせたくないことをLINEで交信したのだ。その様子は嫌なものであった。筆者が疎外感を覚えたからというより、その男女の親密さを見せつけられたからと言ってよい。筆者が使っているメールやXのダイレクトメールでも交信は出来るが、ごく限られた人としか通信を行なっていない。時代遅れの人間であることは仕方がない。程度の差はあれ、誰でも老いるとそうなって行く。スマホを持たなくてもパソコンで自分のブログがスマホでどう見えるかはわかるが、実際のスマホを操って自分のブログを見ることはまずないので、ごくたまに他者のスマホで筆者のブログを見せてもらって気づくことがある。そういう機会が時代祭の当日にあって、パソコン本位で作っているブログ画面を修正する必要を感じた。それは各投稿の最後の一行「●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→」が一行ではなく、スマホでは3行に分かれて表示されていたからだ。それは美しくない。早速それと同じ文章を画像で表示させることにした。その画像はパソコンでは中央に小さめに表示されるが、スマホではスマホ画面幅いっぱいになり、思惑とは違うが、目立ってよい。さて次に、昨日はある人から相談を受け、その人の家で話し込む中、タブレットで筆者のブログを表示してもらった。これまで気づかなかったが、タブレットではパソコンと同じように表示される。そこで前述の画像の文言から「タブレット」を省いて作り直した。一昨日の投稿を早速その改作画像に変えて再投稿した。もちろんこの文章の次の画像はその改作画像だ。スマホやタブレットを使っているとすぐにわかるであったが、少しずつ気づいて思いどおりの形になって行くのもいい。