人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●『発見された日本の風景 高野光正コレクション』
ーチューブ あんたは管で 中身なし マカロニ食って 腹を下して」、「理想化を しては見惚れる 美人画の 顔は変わるも 人気は不滅」、「写真には 負けぬと描く 細密画 理想を盛れる 利点は強し」、「要らぬもの 省いて描く 絵画とは 画家の個性の 表現なりや」
●『発見された日本の風景 高野光正コレクション』_d0053294_23135728.jpg 一昨日は阪急阪神の一日乗車券を使って家内といっしょに神戸市立博物館で展覧会を見た。その後、何年か前に入場券を入手していた神戸北野の「風見鶏の館」を見学し、大阪難波に出て、今日紹介する展覧会を高島屋で見た。同じ題名の展覧会が以前あった。そのチラシを探すとすぐに見つかった。2年前の9、10月に京都国立近代美術館で開催され、「美しかりし明治の旅」という副題がついていた。同展では「一人の美術コレクターが英国をはじめ海外において発見し、収集したものです。」とチラシ裏面の紹介文にあって、そのコレクターの名前が伏せられていた。コレクターが生存し、その売名を公立の美術館が行なってはまずいからだろう。本展は同展から2年後の、しかも百貨店での開催で、副題が「高野光正コレクション」に変わった。本展のチラシ裏面に高野氏についての説明がある。1939年、名古屋市生まれの実業家、父は浅井忠の水彩画73点を東京国立博物館へ寄贈した。光正氏はクリスティーズのオークションで鹿子木孟郎の「上野不忍池」を落札したことがきっかけでアメリカで日本人作家の情報を現地の知人から入手しながら作品を蒐集し、アメリカで作品が少ないと見て英国に拠点を移し、現在700点ほどを所蔵している…云々とある。700点全部を展示するには会期を分けて展示替えする必要がある。筆者は2年前の京国近美での展覧会を見ず、また図録を確認していないが、チラシを見比べる限り、同展と本展の内容はほぼ同じで、100数十点の展示であったと思う。また浅井忠の水彩画を集めた父に倣ってか、本展で展示された作品の大半は水彩画であった。油彩画に比べて水彩画は脆弱ではあるが、平板で軽いので輸送はしやすい。木材の支持体ゆえの厚みのある油彩画のように大げさな額縁の必要がないからでもあるが、本展は水彩画のやや軽い印象とは違って極細密の描きぶりが目立つ作品が中心となって、絵画の見どころがあまりわからない人でも感心する長所と言うべきものがある。これは簡単に言えばわかりやすいということで、写真のような写実を思えばよい。今は誰でもスマホで精密な写真を撮ることが出来るので、写真のありがたみが少ないが、人間がじっくり時間をかけて写真のように精密に描く絵に対しては絵に関心のない人でも素直にすごいと思うだろう。そこから進んで画家独自の味わいがどのように感得されるかに絵の見どころがあるが、写実絵画はある程度器用な人なら誰でも描けるのに対し、強烈な個性となると話は別であるからだ。
●『発見された日本の風景 高野光正コレクション』_d0053294_23143750.jpg 抽象絵画はさておいて、画家の個性は写実を基礎に画面をどう構成するかという、現実そのままではないが、より現実らしく見えることを目指すところに内在する。撮影者は構図や光の当たり具合を考慮してシャッターを押すが、意識が及ばないものまで写ってしまう写真とは違って絵画は何を選んでどう配置するかという取捨選択、一筆ごとの決心が前提となり、写実的に描いても、写真以上に個性が刻印される。ただし、その描き手の個性や思想を邪魔と思い、写真のほうが絵画よりも面白いとする立場はある。さて、今日最初に掲げる図版は2年前の京近美での展覧会のチラシで、笠木治郎吉の「牡蠣を採る少女」と題する水彩画が掲げられる。高野氏がこの作品をチラシ全面に採用したのは700点ほど所蔵する作品の中で最も気に入っているうえに京近美の学芸員も高野氏のコレクションを代表する作と認めたからだろう。笠木の作品で次に迫真的である作は、京近美のチラシ裏面に掲載される10点のうち最も大きく、また右上隅つまり筆頭に印刷される「提灯屋の店先」だ。同作は本展チラシの表側上部にさらに拡大されて印刷され、高野氏が笠木の才能に瞠目していることがわかる。「提灯屋の店先」は京近美と本展のチラシにカラーで印刷されはするが、どちらも一部が欠け、今日の2枚目の図版は本展のものからスキャンした。京近美展のチラシ裏面に10点も掲載されるのはいいが、図版を傾け、また他の図版に被さってレイアウトされるので半数が全体図がわかる状態でない。今日掲げる図版は全図が印刷される作品を選んだが、A4サイズのチラシに10点、しかも文章も載るので、一作品の図版の大きさはかなり小さい。それでカメラで撮影せずに今回はスキャナーを使ったが、裏面が透けてしまい、画像加工の際に明度や彩度を変えた。話を「提灯屋の店先」に戻すと、右下に提灯に絵や文字を書き入れる男性、その左に仕上がった提灯を手に持って脚立に乗った女性に手渡そうとしている少年、そして体を反って鴨居をつかみながら軒下に提灯を吊るす女性の3人を描く。これは家族とみなしていいだろうが、男性の風貌に女性は似合わず、夫婦ではなく、娘と孫と言ってよい。そういう人間ドラマを想像させるほどにこの絵の女性は若く、美しく描かれている。高野氏がこの絵に魅せられたのは、この女性の顔や仕草、そして着衣の下に想像出来る生々しい肉体ではなかったかと思う。笠木の生没年やこの絵の制作年は不明だが、明治期は間違いないとして、当時の女性はこの絵に描かれるようにもっぱら小柄なキモノ姿であった。この絵の頬を赤らめた笑顔は清潔感があるので、仏像の着衣の襞を思わせる下半身の陰部の膨らみは猥褻な印象は与えないが、それでも視線はそこに誘導されるように女性が配置されていて、一種のあざとさが感じられる。それは画家の意図であるはずだ。またそれは正確に鑑賞者に伝わる。
●『発見された日本の風景 高野光正コレクション』_d0053294_23150727.jpg
 笠木は明治期における理想の女性像を追求したのだろう。それはもちろん美の典型を描くという思いと鑑賞者へのサービスを併せ持ち、春画とは一線を画す全くの健康美だが、西洋画のヴィーナスといった神話に登場する女性像ではなく、どこにでもいる働く女性を画題にしている点でややもすると社会主義国家の労働者賛歌の前兆を感じさせる。しかし笠木は鑑賞者が自作を見て心地よくなってほしいとの思いは強くあったはずで、現実にはなかなかいないような美人を描く、つまり理想化を思ったはずだ。そのことは「牡蠣を採る少女」でも言える。同作の横向きの女性は堂々たる雰囲気で遠くを眺め、ほとんど日本の「ミロのヴィーナス」と言ってもよいほどだ。笠木がそうした西洋美術の名品をどれだけ知っていたのかはわからないが、情報が乏しい当時、写実に徹しつつ女性は理想化して描くという態度に、先のあざとさという言葉とは反対の笠木の女性の美に対する正直なこだわりがあったと見ることも出来る。今日の3枚目の図版は中央の「漁網を編む男性」は「提灯屋の店先」の男性と同一人物と言ってよいほど見栄えのしない現実味を帯びた労働者だが、両脇の2点は絵本の挿絵か漫画に近い、不自然に理想化された少女像で、あざとさはより顕著だ。笠木は横浜で土産物としての絵を描いていたというが、こうした農家の女性の写真を撮ってそれを外国人に売ろうとしてもモデルの現実味からして人気は得られなかったはずで、その点絵画、また手軽な水彩画であれば、女性の顔を夢見るようなあどけなさ、あるいは健気さという雰囲気をまとわせて描けば、日本の思い出をよいように抱いてもらえるうえ、絵に関してほとんど何もわからない人でも単純に美しいと思って買うだろう。笠木の本領はそうした売り絵にあったから、その観点で「提灯屋の店先」や「牡蠣採りの少女」を見れば、またあざとさが目につくが、この2作については真面目で高度な技術がまず目につき、あざとさを超えて真実味のある抒情性が伝わる。「ミロのヴィーナス」のような女性は古代ギリシア時代にいなかったはずだが、いてもおかしくないと思わせる説得力があることと同じで、それはドミニク・アングルが描く「泉」や「海から上がるヴィーナス」がもっと生々しい現実味のある女性の裸体像とへ変遷し、日本ではごく慎ましく笠木が描く若い女性像となったと言えよう。高野氏がそこまで視野を広げて笠木の女性像を捉えているかどうかは知らないが、古代ギリシアから続く美術史の中で明治期の笠木が描いたような西洋人を目当てにした売り絵がどういう立場にあるかを考えることは楽しい。また明らかに売り絵であったとしても、そうではない目的で描かれた絵画より純粋ではないとは全く言い切れない。そうしたことが明らかになるのは1世紀は経たなければならない。
●『発見された日本の風景 高野光正コレクション』_d0053294_23152942.jpg 笠木は高野氏によって発掘された画家としていいのだろうが、京近美展の「美しかりし明治の旅」という副題は、同展や本展で展示された高野氏のコレクションから納得出来るとして、実際に明治が美しかったかどうかとなれば、それは現在が美しいかどうかと同じ問題であって、たとえば笠木が女性を理想化して描いたから明治が美しく見える言える。笠木の人物画は労働賛歌であって、苦しみを一切見せない。提灯を吊る女性は紅潮した頬で仕事をいかにも楽しんでいる様子で、それはかなりの部分、笠木が描く時の思いであったろう。提灯屋の主が熱心に本業に勤しむのと同様、笠木はせっせと絵筆を走らせ、職人芸を見せようとした。それは外国人を驚かせようという意識であって、手抜きをせずに写真以上に細密かつカラフルに描こうという矜持の賜物だが、高野氏はそういう明治の職人芸的な売り絵にも芸術性を認め、そのことは全部ではないが、笠木の作品に表明されている。前述したように高野氏が絵画を蒐集したのは、父の浅井忠コレクションを意識し、浅井に続く日本の美術史に残る名画家の作品を求めるのではなく、最初に購入した鹿子木孟郎というかなり渋い画家の作品から想像されるように、これまでほとんど光の当たらなかった、あるいは埋もれた画家を「発見」したからだろう。これは自分の審美眼を信じることであって、定評のない作品に新たな価値を付与することは賭けのような冒険だが、自分が最初に発見して世に紹介したという誇りを持つことは出来る。そうして美術ファンは笠木の存在に気づいたが、笠木の女性像がその後どういう影響を他の画家に及ぼしたかの研究の道が同時に開かれた。笠木の生没年が不明なのでその点は想像に任せるしかないとして、婦人雑誌や子どものための雑誌の挿絵の人物像やあるいは映画俳優のブロマイドといったものとのつながりをまず思う。となれば現在のアニメのキャラクター、また誰もがみな同じような顔に見える若手俳優や歌手にもつながり、笠木の女性像は古代ギリシアから現在までの女性美の中でどういう役割を果たしたかという、美の本質に深くかかわる命題において一考する必要を思う。それはもちろん明治期の他の画家が描いた女性像も動員しての話だが、黒田清輝のあざとさの典型と言ってよい「湖畔」、また黒田が学んだラファエル・コランが描く、やはりあざとさの典型としての女性像が有名であり、笠木が黒田の絵画をどう見たのかという疑問が湧く。それはともかく、笠木については今後の新発見作を通じて研究が進むはずだが、埋もれた作品を買い集めて公に展示することで美術史は書き変えられて行くし、そういうことは西洋ではこれまでよくあった。現在無名の画家の作品は割合安価で買えるので実業家でなくても絵画収集は出来るが、探す時間が問題だ。笠木が描いたのは明治の美人を含む風俗画だが、高野氏の着眼はそうした系譜のみではない。
●『発見された日本の風景 高野光正コレクション』_d0053294_23170038.jpg
 本展では風景画が半数を占め、それらは現在の日本に訪れる外国人観光客が理想とする「美しき日本」の典型と同じで、一世紀経っても日本の魅力的な風景には変化がない。ただし、本展で展示された風景画に描かれる点景としての人物は今は望み得ない。笠木が描く職人や美女はみなキモノ姿で、それは今も装えばどうにかなるが、それでは現実味が乏しい。また風景も明治とは基本は同じでも点景としての道路や鉄塔など、人為的なものが目立つので、その意味では明治の美しさはもはや存在しない。明治が今より絶対的に美しかったかどうかは誰にも決められず、今は今の美しさがあるだろう。そうであるから外国人観光客が押し寄せるのではないか。そこで現在の画家が描く絵画が一世紀後に「美しかりし令和への旅」と形容されているかどうかだが、悲観的に見る向きが多いとしてもそうとばかりは言えない。そのことを笠木の作品に見るとすれば、繰り返しになるが、働く人の美しさで、彼らが自分の立場に誇りを持っているように描かれる。この満ち足りた幸福感が今の労働者にあるかないかとなれば、明治と状況が同じと見るかそうでないかの問題になるが、牡蠣採りや提灯作りが今は特殊な手仕事となり、日本の仕事を代表しているとは言えず、機械が生活の中に占める役割が大きくなっている。そういう現在にあって美しい人物を普通の労働者に担わせることが現実的かどうかだ。これは言い換えれば笠木の時代には顕著であった手仕事が今は激減し、笠木のような細密な絵画よりはもっと単純に描くことで芸術を標榜し、また面倒な写実絵画より手っ取り早い写真でいいではないかという思いが大きくなっている。ただし堂々巡りになるが、そういう現在であるので笠木のような理想的写実絵画が美しく見える。では真面目にきっちりと手仕事をするという美徳の復権があるのかとなれば、機械化によってそれは趣味か一部の高級な人々のためのものとなっている現状は今後も続くはずで、その予感を笠木が感じていたかどうかの疑問につながる。京近美展や本展は笠木に最も焦点が当てられたと言ってよいが、その数は少なく、明治期に来日した外国人画家やその後の日本人画家の写実的な絵画の作品が並べられ、そうした他の二流画家と言ってよい中で笠木の作品の個性が際立っている。4枚目の図版はロバート・チャールズ・ゴフの「江の島」で、看板や垂れ幕、暖簾の日本の文字や記号への興味がわかる。6枚目の図版はチャールズ・エドウィン・フィリップの「赤地蔵尊」で、筆者はこの画家の名前を初めて知ったが、同作はとても印象深かった。それは地蔵に手を合わせて拝む若い女性の素直さで、その同じことが今はなくなったとは言わないが、明治期ではなだ人々は現在よりも信心深かった様子がこの絵画から伝わる。エドウィンもそう思ってこの絵を描いたはずで、それはやはり「美しかりし明治」の一端であろう。
●『発見された日本の風景 高野光正コレクション』_d0053294_23203546.jpg
 紹介が前後するが、5枚目の図版は五百木文哉の「日光東照宮の神庫」で、写真でも同様の雰囲気は可能とは思うが、当時はカラー写真はなく、現実味を醸すには彩色した絵でなければならなかった。そこにまだ画家の存在価値もあった。五百木の名前は知っているが、まとまった作品の展覧を目の当たりにしたことはなく、日本の写実絵画の系譜を調べ直す必要を思う。この五百木の作品を見て思い出すのは近年の人気が高まっている川瀬巴水だが、五百木のこの水彩画が外国にあったとすれば、川瀬の木版画が外国で人気があることの理由がわかる。それは一言すれば写真のようでありながら緻密に描かれた絵画ないし木版画ということで、抒情性は当然ながら、今はもう絶えたと言ってよいいわば超絶技巧に見どころがあるとの評価だ。それを職人芸として看過して来た恨みはあって、じっくり腰を据え、多大な時間を費やして創作した作品に正当な評価を与えようというのは自然なことと言える。即興的に描かれた抽象絵画の迫力は認めるとして、そうした絵画は誰も模倣出来ない技術というものがない。いわば思いつきの産物で、そうした一種の騙しとも見える作品に人々は賛同しない時代が回帰して来ていると言える。6枚目の図版は本展チラシの裏面から採った。右上にチャールズ・ワーグマンの作品があり、昔筆者が見たワーグマン展の図録があったはずと思いながら探したが、見つからなかった。それはさておき、日本ではワーグマンの作品のまとまった紹介は昔からあって、そのことを知る者からすれば本展はワーグマンの影響を受けた日本画家の作品が中心となっていることがわかる。笠木とワーグマンの関係は知らないが、写真のように描く能力、すなわち見た瞬間にその場面を脳裏に焼きつけ、そのまま描くことの出来る才能を持っていたワーグマンの絵画が当時の日本人画家を驚嘆させたことはよく理解出来る。画家もいろいろだが、動的な存在を一瞬で記憶してそのとおりに描ける能力はどの画家にもあるものではなく、場合によってはとても不器用な画家もたくさんいる。ワーグマンはその意味で視力がカメラと同じ能力を持ち、写真を使わずに日本のさまざまな事件現場ないし群像を、時に極端にデフォルメ、つまり漫画的に描いた。ワーグマンはジャーナリストであったので、絵画の専門家ではなかったが、それでも特異で卓抜な描画能力があった。写真を見てそのとおりに描くことは子どもでも出来るが、写真のように現実感のある絵画を描く才能は画家の中でも特殊と言ってよい。そのワーグマンの絵画と笠木のそれを比べると、後者は理想化が強く、即物的に描いた感じはない。これはどの人物も現実感に乏しいと言えそうだが、昭和ですらレトロの美しさがあると喧伝される現在、明治は大昔で、当時にもあったあざとさや西洋絵画を真似した写実も美しいものとして眺められるようになっている。
●『発見された日本の風景 高野光正コレクション』_d0053294_23205978.jpg


by uuuzen | 2023-09-09 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、... >> << ●第4回 大ザッパ会@大阪心斎...

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?