「
ヴィオロンの 音色を載せて 東風が吹き 馬は草食み 犬は居眠り」、「季語なしを 語気を強めて 諫めらる 規則破るは 馬鹿か偉人か」、「風運ぶ 馬のにおいに 慣れし子が ガソリン臭の 自動車を追い」、「馬の絵に 感心するは 馬知らず 競馬以外に 馬見る場なし」
今年の時代祭はわが自治連合会から馬に乗る男性をひとり選ぶことになっていた。そのことを知ったのは2、3年前だ。筆者が住む西京区は平安講社の第十一社となっていて、学区すなわち自治連合会は18、9ある。曖昧なことを言うのは、人口減少で併合する学区があることと、自治連合会が機能して平安講社に属していても時代祭の行列には参加しない場合があるからだ。前者は大江学区など、西京区の西端にあり、後者は洛西ニュータウンが該当する。ニュータウンに自治連合会があるのに時代祭に関係しないかという理由は、学区内に神社がなく、地元の祭りがないためと聞いた。ニュータウンには小さな神社はあると思うが、それを中心とした地域の祭りはないだろう。それゆえ時代祭にも関心が希薄と聞いた。これは自治連合会の会長たちが積極的に動けばどうにかなると思うが、ニュータウンは他所から新たに来た人が集まり、地元意識でまとまることは難しいのだろう。わが学区は去年50周年を迎えたが、これは洛西ニュータウンの歴史と大同小異で、3000世帯のうち8,9割は他府県からの移住者とその子孫だろう。それでも他の学区と同様に時代祭に関与しているのは、住民の1,2割が代々地元に住む人たちで、彼らが自治連合会を創立し、その伝統が半世紀の間、保持されて来ているからだろう。つまり自治連合会の会長は代々地元に住む人という不文律がある。それに異議を唱える人はないではないが、半世紀くらいでは難しい。筆者が自治会長になる直前までの前任者は同じ自治会内で旅館を経営する社長Nの代理を10数年務めていたSで、いっそのことSが自治会長をすればよかったのに、Sはより古い家柄でしかも現役で嵐山を代表する旅館を経営しいるNに遠慮していたのだろう。それでSが作る回覧文書はいつも「自治会長代理」と自称していた。今はNもSも亡くなって古いしがらみは希薄なので、去年からは40代の女性が自治会長となった。30年ほど前、地蔵盆で法輪寺の境内に集まっていた時、SがNに小さな声で次のように話しかけていた。「あの大山さんやったら、いずれ自治会長をやってもらえると思いまっせ。」「ふむ、なるほど」といったようなことで、NもSもいずれ若手に自治会長を任せようと人物を探っていたのだろう。それはあたりまえのことだが、筆者は全くの他所者で、自治連合会下で最初に出来た自治会の代表者になることは本当はふさわしくない。代々続く家は何軒もあって、適任者を選ぶには困らないからだ。ところがSが筆者を指名したのはそれなりに理由がある。
そのことをここに書くのはまずいが、簡単に言えば古くからの住民の誰もが適任者とは言えないというあたりまえの理由と、誰かに任せると必ず別の誰かが陰で文句を言う可能性が大きいからだ。これは言い換えれば代々住む人たち全員が仲よしとは限らないことを意味する。ところが、もちろんそうした内実をSが筆者に言ってくれるはずがない。自治会長を4年、その副を2年務めた間にいろんなことが次第にわかるようになった。そして他人には絶対に言えないことをいくつも知ったが、そこから思うことは「幸福とは何か」で、それは社会的立場や豊かな経済力はほとんど関係がないという真実であった。Sは割合寡黙で、筆者があることを相談すると、筆者の自由にしてよいが、最悪のことを想定すべきという人生訓のようなことを言われたことがある。その意味は当時はわからなかったが、10数年経ってなるほどと思う。簡単に言えば、正義感が強いのはいいとして、それはいわゆる世間知らずの甘ちゃんを示すだけで精神的に傷つくのは自分のみとなる場合が多いという現実だ。筆者はその意味で70歳を超えても青年のままのところがあって、金銭面では特に正直かつ潔白を旨としているが、世間の常識ではそれが馬鹿の典型であると嘲笑する場合のほうが多い。誰にもわからなければ少しくらいずるいことをしてもいいと思い、またそれはずるいことではなくごく当然の役得で、実行するのがかえって人間的でよいとする風潮は根強く、実際そのように世間は動いている。自民党の裏金問題も大多数の自民党支持者は仕方なき必要悪と思っている。それが日本の正体で、潔癖や清廉という言葉を口にすると陰で大いに嫌われる。さて、いつもの癖で即興で書き続けていると予想しない話の展開になって来たので話を変える。平安講社第十一社に属する自治連合会の名簿では筆者が所属する連合会が筆頭に挙げられている。したがって代表者の筆者の名前が名簿の先頭にあり、会議その他の集まりでは筆者が最前列の右端に座り、発言も最初に求められる。第十一社は10数年前に右京区から独立して設立され、歴史は浅い。右京区の一部として機能していた時代は、30数年に一度しか時代祭の行列担当が回って来なかった。これでは地元住民への認知が深まるはずがない。第十一社が出来た理由は、時代祭をパリで開催した時、フランスのある知識人から室町幕府の行列がないことを指摘したからだ。フランス人でも日本の歴史に詳しい人はいくらでもいて、そうした知日家から指摘されて時代祭の行列を拡張する契機を得た。外圧に弱い日本と昔から言われるが、自分たちで大改革が出来ないことは周りを見渡しても納得のいく人は多いだろう。ともかく右京区とは別に西京区独自で第十一社を創り、そして以前の行列では欠けていた室町幕府を担当することになった。
断っておくと、各地域の時代祭の行列担当は時代が固定していて、第十一社は永遠に室町幕府を毎年輪番性で学区が担当する。先に書いたように西京区には18ほどの時代祭を担当する学区すなわち自治会連合会があるが、少子高齢化に伴ってその数は減って行く一方であることは目に見えている。また自治会に加入する世帯数はどの自治連合会でも年々減少し、3割台のところもある。そうなれば集まる自治会費が減少し、時代祭に参加する番が回って来た時、その経費をどう捻出するかの問題がある。わが自治連合会はコロナ禍の時に初めて行列担当の番が回って来たが、その時の資料を見ると経費は200万円ほどとなっている。これは10年ほど前から少しずつ自治連合会が時代祭のために割いて貯めて来たお金で、コロナのために行列をしないことが決まった後、その浮いた資金は自治連合会創立50周年記念事業に使われた。次にわが自治連合会が時代祭を担当するのは14,5年先で、また10年ほど前になればわずかずつ自治連合会は貯金するのだろうが、自治会加入世帯が現在よりもっと減少すれば200万円を蓄えることは容易ではない。そのひとつの実例を去年担当した学区の代表から直会の席で筆者は聞いた。その自治連合会では削りに削って90万円ほどで時代祭の行列を担当した。よぶんと思える部分を徹底的に省いた結果で、またそれは自治会加入世帯が3割台という少なさからして仕方なき、また当然の方策であった。したがって数年前にわが自治連合会が弾き出した200万円の予算は前例を踏襲してのことに過ぎず、新たな考えでどうにでもなる金額であったと言うべきだ。90万円に抑えられた理由を訊くと、なるほどと思う一方、関係者全員が強く協力し合ったためであったことがわかった。それはその学区の連合会の会長や平安講社の代表がかなり行動的かつ前例の無駄を省くことに意欲的であったからだ。その代表は50歳くらいで、若手に任せると大胆な方策が生まれると思ったものだ。各学区の平安講社の代表の平均年齢はたぶん70代後半で、50代から90代までいる。90近い年齢では新しい考えを出してそれを実行することはもう無理で、50代が中心になるべきと思う。しかし年齢を重ねるほどに名誉職と思い、また生き甲斐になって、元気なままもっと高齢になり、代表を続けることになる。筆者は全くそのつもりはなく、代表は5年で充分と思っている。自治会長も4年務めた後にまた引き受けてほしいという意見が何年も続いたが、筆者は筆者にしか出来ない創作をやりたいのであって、誰でも自治会長くらいは出来る。それで総理大臣もやりたい人がくじ引きで毎年交代すればいいと思っている。そうなればよほどの悪政も一年で終わるではないか。それが甘ちゃんの考えであって、悪政を敷く者は必ず終身代表となり続けられる法律を作る。
さて、第十一社は輪番性で時代祭の室町幕府の行列を担当するが、その人数は40名弱だ。誰がどの役をするかは担当する学区に一任されているが、室町幕府は5人が馬に乗らねばならず、そのうちの4名を輪番性で各学区からひとりを選出する仕組みになっている。それでどの学区も3年に一度は馬に乗る人を見つけなければならない。わが自治連合会では今年がその年に当たっていて、誰を選ぶかは代表の筆者に任されていた。いろいろと声をかけて誰も引き受けてくれなければ筆者が乗るつもりでいた。これには平安講社本部に馬を提供してもらうために12万5000円を支払い、その半分を連合会、もう半分を自己負担せねばならない。この半額ずつの負担はだいたいどの学区も採用していて、去年までは10万円と切りがよかったのに、物価の上昇などから25パーセント値上げになった。それで今春、わが自治連合会は5万円しか負担しないと言うのを、筆者が談判してこれまでどおり半額負担の形にしてもらった。しかし馬乗りの練習その他、よけいな費用と数日を負担してもらう必要があり、サラリーマンではよほど休日をたくさん取れる人でない限りは無理だ。それで70代以上か、自営業者で出費にさほど問題のない人が乗ることになる。第十一社が右京区から分離する以前は、楠木正成役になるのに300万円負担したという話を聞くが、それが大げさにしても百万円以下ではないだろう。時代祭全体で馬は80頭ほど出て、第十一社の12万5000円はおそらく最低ラインの金額と想像する。それを支払っても乗りたい人を3年にひとりを見つけねばならないが、筆者の前任者の代表は他人に声をかけるのを嫌ったのか、馬に2回乗り、それ以外の年度は裃姿で行列に参加した。それは代表として何もかもひとりで負担してご苦労なことではあったが、時代祭について地元で認知が行き届かなかった恨みはある。筆者はそう思うので、自分が馬に乗るのは該当者がどうしてもいない場合に限り、若い誰かに乗ってほしいと思っている。経済的負担を我慢すれば自分が乗るのは簡単なことだ。それよりも他者を説得してその気にさせるほうが難しい。筆者はそういう営業的なことは大の苦手だが、代表を引き受けたからには精いっぱいやるしかない。さて、わが学区には14の自治会があって、その筆頭は筆者が所属する自治会で、去年は筆者が声をかけて2名の裃を着て歩く人を選んだ。今年は隣りの自治会からそのふたりと馬に乗るひとりを選ばねばならなかった。隣りの自治会には顔見知りが何人かいるので、まず彼らに声をかけると全員が固辞した。どうしても隣りの自治会から選ばねばならない理由はないが、決めたからにはそうしたい。そこで隣りの自治会長の女性Tに相談すると、彼女とは昔から顔見知りであることも手伝って、筆者が困っているのを見かねて、「自分の息子に馬に乗らせる」と言ってもらえた。
彼は長身で30代半ばであるから、室町幕府の行列の先頭を行くのでかなり目立つはずだ。しかしサラリーマンであるので有給は時代祭当日だけに取りたい。筆者は前任の代表から詳しく聞いていなかったが、馬に乗る練習は1日だけでいいと思っていたのに、周山の馬場でするその練習の後、淀の競馬場に通って4回も乗るという。なお80数頭の馬乗りのうち、9割以上は淀の競馬場で乗馬の練習をするが、第十一社は淀ではあまり練習にならないので、周山で行なっていると聞いた。今日の写真は一昨日の23日にその馬場で撮った。筆者は馬に乗らないので練習の様子を見に行く必要は本来ないが、第十一社の代表格から車に乗せるのでぜひとも一度は見ておいてほしいと言われた。筆者が馬乗り役を躊躇した理由のひとつは周山まで行く足がないことで、その点は便乗させてもらえることがわかって安心した。しかし淀の競馬場でさらに4回も練習することを筆者は知らず、したがってTに伝えていなかったので、Tの息子さんは有給を取るのに大変だろう。馬乗り役がいったい練習に何日必要なのか、それが文書でまとまっていれば筆者としても人探しをしやすいのだが、今回知ったのは代表格の間での連絡不足もあって、ぎりぎりになるまでわからないことが多々あることを感じた。馬場の人たちはみな親切で、代表格が淀の競馬場ではなく、この周山の個人経営の馬場を利用する理由がわかった。一昨日は5人の馬乗り役のうち3人が集まり、ふたりは個人的に淀で練習すると聞いた。足並みが揃わないのは仕事のつごうがあるからだろう。3人の個人レッスンが終わった後、ログハウスのような母屋で昼食をいただき、しばし談笑して各人が車に乗って現地解散した。筆者は周山は初めてで、天気がよかったこともあってちょっとした遠足気分になった。馬場の経営者の女性と話す機会があって、筆者は質問した。「時代祭に黒牛が牛車を引きますが、あの牛はどこから調達するのですか」「あれはそこにいます。わたしとこが育てている牛です。牛は3歳になると屠られます。時代祭の牛は3歳で、牛車を引くと筋肉が張り、肉の味が落ちると言われてどの業者も提供したがらないのです。それでわたしとこが祭専門に一頭育てています。時代祭や葵祭、それに北野天満宮のずいき祭など、けっこう出番があるのです」時代祭に登場する80数頭の馬はその周山の馬場だけでは間に合わず、他のいくつかの馬場から調達する。それで一昨日乗った馬が祭当日に当たるとは限らず、練習は馬の感触を鞍を通して知るだけだ。それに祭当日の鞍は時代考証した木の鞍で、練習時の乗り心地のよいものとは違う。だが練習するに越したことはない。時代祭で馬に乗るのは70歳が限度らしく、3年後筆者が乗るとすれば76歳になっている。それではもう無理だろう。2枚目の写真の下は馬場で飼われている巨大なグレートデンだ。
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