「
ミーハーの 意味は知らねど ヒーハーは 即反応の ミーハー多し」、「使わねば やがて錆びつき 動けぬは 機械も人も 同じと知りつ」、「スマホ捨て 街に出ようと 昭和人 鞄に本を 必ず入れて」、「習慣で ラジオ体操 する人は 体動かす 気分よさ知り」
昨日は地元小学校で自治会加入世帯を対象とした区民体育祭があった。この区民というのは、地元小学校を中心とした学区のという意味で、小学校が出来て今年は51年目で区民体育祭も同様で、自治会長を通じて各世帯に配られたプログラムにもそのことがタイトルとして記されている。小学校が出来て51年目ということは、それ以前は別の小学校に子どもたちは通っていたのだが、田畑に建売住宅がたくさん立って他府県から移住者が増え、子どもが増えたことで地元に小学校が必要になったからで、元は苔寺近くの学区の小学校に、それ以北の、つまり渡月橋に至る地域の子どもが通っていた。その小学校が三つに分かれて三つの学区になったのが半世紀前で、ここ20年ほどは少子高齢化が急速に進み、いずれわが学区の小学校も児童数の激減からふたたび昔のように古い学区に統合されるかもしれない。膨れたものが萎むのはあたりまえと言ってよく、人口の増減は人の息と同じで、吸っては吐くを一世紀単位で繰り返していると思えばよい。もうひとつ思うことは、人の細胞が7年ほどですべて入れ替わるらしいが、わが学区の半世紀経てば創立当初の関係者の9割以上はいなくなり、昔のことを知る人はほとんどいない。それでも昔のまま体育祭が開催出来るのは、関係者が少しずつ入れ替わって来たからで、伝統はそれなりに受け継がれている。あの人がいなければ成り立たないということは全くないと言ってよく、誰もが誰かの代わりをすることは出来る。それは芸術ではないかと言えば、人気芸術家はいつの時代もいて、あの巨匠でなければ絶対にダメということはなく、芸能人と同じく、生きている間が華で、死ねばさっさと次の新しい人が大きな顔をする。話を戻して、10日ほど前、区民体育祭に参加したいかどうか、参加するなら弁当が必要かどうかの記入する文書の回覧があった。筆者が15年ほど前に自治会長を4年務めた頃、またその後も2,3回は体育祭に参加したが、コロナ直前辺りからは参加しなくなった。還暦を過ぎた高齢者はたいていそうだが、今年は思うところがあって久しぶりに参加することにした。わが自治会は初めてのことだが、去年から女性Sが自治会長になった。ほとんど専業主婦と言ってよい人で、また大いにやる気があるので最低でも4,5年は続けてほしいと筆者はSに伝えている。筆者が自治会長をやっていた時、女性にその役割を継いでほしく、何人かに声をかけた。しかし古老を初め猛反対に遭った。結局10年ほど前に他府県から嫁いで来たSが自治会長になったので、筆者の思惑は10数年ぶりにかなえられた。
体育祭はSと、もうひとり筆者が初めて知る女性Aが誰をどの競技に充てるかの表を作ったようで、その細かい文字がびっしりと並ぶ表を見ると、エクセルを使いこなせない高齢者には無理な仕事で、若い人が携わるべきであることを知るだろう。体育祭は小学校の校庭を使って行われ、14の自治会は自前でテントを運んで組み立てねばならない。どの自治会でもテントを運ぶ車を用意出来るし、わが自治会も昔はそうであったのに、テントを運べる車を所有する世帯がなくなった。それでSは簡単に組み立てられるテントを25000円ほどで購入した。自治会の名称が黒々と入っていないのは残念だが、薄いビニールなので、ペンキで書くことは無理だろう。SとAは次々に始まる競技に誰を集め、指定場所に集合させるかに忙しい。競技が終われば参加賞を初めとした景品を本部テントに受け取りに行き、それを参加者に配らねばならない。かつて筆者もその仕事をしたが、各自治会には体育委員がいるので、彼らに任せもする。たぶんAは今年の体育委員なのだろう。テントの下でAとたぶん30分ほど話したが、そのことはこの体育祭が健康維持と地元住民の懇親というふたつの意義を謳っていることにかなうだろう。Aの顔を初めて見たので自然と声をかけると、4,5年前に千葉から転居して来たとのことで、子どもはおらず、Aもフルタイムで働いているとのことであった。彼女は植物好きで、その点で話は弾んだ。とはいえ、彼女と同じように話をする機会は来年彼女と筆者が体育祭に参加してのことだが、彼女が体育委員であればその役割は来年は他の人に移るので、もう二度と顔を合わせて話す機会はない可能性が大きい。一方自治会長のSとは地蔵盆を初め、何度か話をし、筆者は正式ではないがいわば相談役のような立場で意思を共有することは出来る。体育祭が地元住民と懇親を深めるにはよい機会とはいえ、年一度、しかも積極的に話しかけて話題が共有出来るかどうかにより、若い夫婦がたくさんいても全く言葉を交わさない場合のほうが多い。これは競技に参加する多忙さも原因になっていて、理想は体育祭の直後に打ち上げの会を開くことだが、そういう機会を若い夫婦は好まない場合もあるだろう。SやA以外に今年は数人と話し込んだが、全員筆者の子ども世代で、それはそれでよかった。「風風の湯」の常連Yさんの姿が隣りのテントに見えないので、自治会長に訊くと、腰が痛いので欠席したとのことで、せっかく高齢者同士で話が出来ると思っていたのに残念であった。そう言えば5,6年前、体育祭に出た時、顔を知らない60代の女性がひとりいて、彼女とずっと話しをしたが、彼女が老人会の委員になった時にわが家に挨拶に来た時、筆者は誰かわからなかった。彼女は覚えてくれていたので、まあ体育祭は確かに初めて話を交わして知り合う機会にはなっている。
筆者は平安講社の代表なので、当日は本部テント横の特別席で来賓扱いの身分で座っていなければならないが、今回そのことをすっかり忘れていた。運動場を挟んで斜め向かいの本部テント辺りを見ると、自治会長や各種団体長が横並びになって連合会会長らの挨拶を聞いている姿が小さく見えた。それでもそこに駆けつけることをせず、朝8時半からの開始の際、筆者はわが自治会のテントの下にいたままで、最初のラジオ体操の際はテント前に出てそれをみんなと一緒にし、その後はテントに戻って連合会会長や体育振興委員、それに小学校校長の挨拶を聞いた。競技が始まれば自治会長はテントに戻って大わらわで、筆者を含めた各種団体の長も来賓扱いで座ったままでいるより、最初から自分が所属する自治会のテント下にいたほうがいいではないか。さて、児童が中学生になるともうその夫婦はこうした行事に参加しない。逆に言えば、子どもが地元小学校に通っているので半ば仕方なく参加している。私学に通わせている家庭は自治会に所属せず、ほとんど顔も名前も知らないままに成人して行くので、地域の懇親には限界がある。今年知ったが、この体育祭のために体育振興委員会に自治会加入の一世帯当たり300円の臨時徴収があった。これが3、4年前から始まったらしい。年度初めに自治会費から自治連合会にまず納入し、そこから体育振興委員会や少年補導委員会などに予算が振り分けられるが、体育振興委員会が独自で自治会から加入世帯に応じたお金を自治会長から直接徴収することがいつの間にか決まっていたのだ。この体育祭では毎年自転車や米、日用品がくじ引きで参加者に与えられ、各競技に参加した人にも成績の応じて日用品がその場で配布され、昔と同じような景品が同じような量、用意されていた。物価高を思えば体育振興委員会が自治連合会から与えられる年間予算のみでは苦しい台所事情であることはわかる。自治連合会から分与される予算額は最も大きい体育振興委員長は、連合会会長に継ぐ権力者だが、今年体育振興委員長の名司会ぶりを目の当たりにすると、地元住民の懇親を本気で考え、実行している様子はよく伝わった。少子高齢化が進み、高齢者向きのゲームが多くなり、子どもよりも大人が目立った。連合会会長は今年51回目の体育祭が100回を目指して続くようにと挨拶を締めくくったが、その頃には昨日参加した大人は全員この世におらず、また少子化から小学校が統合されてなくなっている可能性がきわめて大きい。そうなっても住民がいる限りは自治会やそれをまとめる連合会は必要で、懇親のための何らかの行事は行われているだろう。しかし自治会加入世帯の割合が3割といった程度になれば、自治会が機能するだろうか。何とか魅力ある地域を保持ないし目指すには、結局住民相互がまず顔見知りになるしかない。
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