「
気落ちする 人を笑わせ 気落ちする 鏡のピエロ ひとりで笑い」、「階段を 上り下りして 足腰を 鍛えて臨め 首脳会談」、「高き場所 立って味わう 王気分 落ちる恐怖も あればなおさら」、「滑り台 山の上から 麓まで 摩擦で尻を 火傷で泣けど」
今月1日に嵐山の福田美術館で見た橋本関雪展について昨日投稿した。今日は残りの写真を使う。とはいえ左に掲げる1枚だ。これは同館3階から2階の踊り場、そして1階を見下ろした眺めで、エレベーターを使わないのであればこの階段を1階まで降りることになる。写真右手から外光が差し込むが、その自然光は写真左手の展示室には一切入らない。右手の外は桂川が階段を下りる方角に向かって流れていて、昨日載せた最後の写真は今日の写真の撮影位置から左を向いた状態だ。右端にわずかに見えている建物は廊下続きの別室で、本館とはL字型につながっている。今日の写真を撮ったのは3階建てのわが家の階段とよく似ているからだ。わが家も1階から3階まで、2階の踊り場を介して階段で一直線につながっていて、3階から1階の玄関ドアが見下ろせる。1985年秋、息子がまだ赤ん坊であった頃、台風が去った翌日、家内と市バスに乗って売りに出ていた現在のわが家を見に訪れた。電話をすればしばらくして桂から販売業者の中年女性がやって来た。3階の階段口から1階を見下ろすと、開け放たれたドアから乳母車が見え、そこに息子が眠っていた。それ以降古くなる一方のわが家をリフォームせず、10数年前に売りに出た隣家を買い、本が増えるだけの人生が続いている。大地震その他、世の中は変化は大きかったが、さして波乱を経験せずに生きて来られたのは、日本が平和であることのほかに筆者が変化をあまり好まないからだろう。自宅はいつもきれいに整えておくのが常識人であることは知っているが、他人にどう思われても平気という気持ちが年々大きくなり、部屋の掃除をほとんどしない。たまに片隅に大きな綿埃をたまに見つけてぎょっとするが、適当にそれらを摘まんで捨てるだけに済まして澄まし顔だ。歴史に名を遺す人物でない限り、どういう家に住んだかは記憶されず、筆者は家などどうでもいいと思っている。「風風の湯」の常連Yさんはこれまで20数回転居を繰り返して今は一軒家に住んでいるが、部屋数が多いと掃除が大変で、高齢夫婦のみでは一部屋で十分と言う。大きな家は自惚れを満たすには最も手っ取り早い持ち物だ。そういう自己顕示欲は他にロレックスの時計や高級外車の所有があるが、筆者はどれもさっぱり関心がない。王様気分になるにはほかにいくらでも方法がある。筆者なりに毎日王様気分で気ままに過ごしていて、このブログにしても誰からも注意を受けることはなく、好き勝手だ。しかしそういう人生は乞食のものとされる。筆者は乞食ではないが、人のつながりが乏しいのはそれに近い人種だろう。
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