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●『荒木経惟 花人生』
百合の ラッパの部屋に 赤茶ジミ 雌蕊巡りて 戦いの跡」、「虫寄せに 蜜を蓄え 待つのみの 花を咲かせる 用意整え」、「ドクダミに 毒はないとの だみ声の 花売り婆の 白き歯並び」、「胡蝶蘭 蝶の連なる 形模し 誇張のなきに 見事な乱舞」
●『荒木経惟 花人生』_b0419387_22553710.jpg祇園にある何必館は館主の好みで村上華岳と北大路魯山人の作品を常設展示しているが、別の面として特定の写真家の個展をよく開催する。今回はアナーキーをもじってアラーキーという渾名でバブル期に女性のヌード写真で有名になった荒木経惟の花に絞ったの写真展で、4月1日からおよそ4か月間という長期の展示で、筆者は今月20日に見た。荒木の写真展は、20年近く前と思うが、祇園のとある会場で開催されたのを見た。それ以外では京都では有料の展覧会はなかったと思う。今回も祇園でとなったのは、荒木の1971年の結婚当時の思い出もあってのことだろう。荒木は新婚旅行で京都を訪れ、八坂神社前の市電の停留所で妻を撮った写真などが前述の展覧会で展示されたと記憶する。撮影の時間帯にもよるが、その写真にはほとんど人が写っておらず、外国人観光客で大賑わいの現在とは違って71年はまだ普段の京都市内は人が少なかった。妻を被写体にした新婚旅行記は『センチメンタルな旅』と題して自費出版されたが、妻は90年に亡くなり、当時荒木が落ち込みながら、「もう(写真家)としておしまいだね」とTVで語っていたことを思い出す。筆者が荒木の写真を知ったのは白夜書房の『写真時代』という半ばエロ本のような写真誌で、そこに毎回森山大道のいわば真面目な写真が数ページにわたって載っていたこともよく覚えている。81年から88年まで発行された『写真時代』のたぶん半分ほどの号を筆者は所有するが、長年紐でくくったままにしている。当時の荒木の写真は若い女性の煽情的なもので、それに添えて日記のような長文が毎回載せられ、その独特の文体に舌を巻いたものだ。『写真時代』当時の荒木は40代で、最も活力旺盛な時期であったのではないか。それは森山大道も同様かもしれない。現在のような陰部丸出しのポルノ全盛とは違って、当時は女性の下半身のヘアを見せるヌードが大いに話題になり、エロに関しては完全に動画の時代になった今の若者は『写真時代』の女性の裸の写真に何ら欲情しない場合は多いだろう。『写真時代』はインターネットの登場に場所を譲ったのだ。また『写真時代』は赤瀬川源平など、東京の芸術系文化人がよく執筆し、その点を筆者は羨ましいと思ったものだ。大阪や京都人は入る隙間がなかったからで、東京で有名になるには東京で暮らさねばならない現実を目の当りにした。『写真時代』当時、筆者は妹の友人のグラフィック・デザイナーのE君と月一度会ってレコードを貸し借りしていた。E君は東京に出たいと言いながら、結局大阪に留まってやがて仕事が減少して事務所をたたむことにもなった。
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 数年前にE君と久しぶりに会ったところ、「お兄さんが伝統工芸の世界に進んだのは正解でしたね」と言われ、返事に困った。友禅染は京都が本場であるし、それで筆者は京都に移住したが、どの世界でも収入を得ようとすれば、つまりその業界でプロになるのであれば、誰にも負けない技術をまず身につける覚悟が必要だ。その気概は筆者にはあったし、今も保持しているつもりで、友禅でなくて別の創造的な仕事を選んでいたならば、それに伴ってどこへでも移住したと思う。それはさておき、『写真時代』に今の東国原英雄が無名時代の写真が2,3ページ載ったことがある。20代の裸のきれいな女性の開いた股間にむしゃぶりついている写真が何枚か掲載され、東国原の全裸の立ち姿もあった。女性は笑顔で何枚かの1万円札を両手に握り、つまり被写体になる代わりにモデル料を受け取ったのだが、その意味で売春ではないと読者に伝える意味合いがあったのだろうが、実際は売春だ。同じように女性の陰部にむしゃぶりつく赤塚不二夫の巻頭カラー写真を載せた号もあったが、赤塚は女性を全く選ばなかったようで、写る女性は醜かった。東国原がその後ビートたけしに弟子入りし、やがて有名になる。その原点に宮崎県から出て来て東京の有名人と交友し、時にポルノ写真のモデルのようなことをしてTVに盛んに出る人物になって行くことを同時代的に筆者は眺めながら、東京に出て著名人と知り合いになって馬鹿騒ぎをしなければ名を売ることが出来ない現実の一端を垣間見た。もちろんそれは人間として面白みがあることを周囲の有名人に認めてもらえることが第一条件だが、その最初の関を超えるにはまず上京しなければならない。それほどに東京は日本の中心で、地方では全国的に有名になることは不可能だ。あるいはお笑い芸人は大阪のヨシモトに所属すればTVで名を顔を売ることが出来るが、『写真時代』に搭乗した文化人となると、大阪では誰ひとりいない。話が回りくどくなったが、全国的に有名になるには、一般にはスキャンダラスと思われることでも平気で出来なければならず、その一例が『写真時代』を作った文化人にあったということだ。そしてそれはアナーキーであることと、その強力な武器としてエロが一番手っ取り早かった。21世紀になってそのエロはネットが独占し、現在の過激な表現は何において最も可能であるかを考えさせる。言葉を使っても今は「一風変わった」、あるいは「考えの偏った馬鹿」程度にしか受け取られず、『写真時代』に関わったような文化人の居場所がネット空間でたとえばX(ツイッター)などで形成されているのかどうか、そうであるとしてそれがどこまで過激で面白いのかと筆者は疑問に思う。ネットをうまくつかって有名になっている人は大勢いるようだが、彼らがどれほど過激すなわち面白いのか、筆者にはさっぱりわからない。
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 荒木は1940年生まれで、筆者より11歳年長だ。荒木の昭和世代が日本の現代文化を形成して来たが、誰でも年を取り、荒木が若い女性の裸で飯を食うことは80年代で終わったのではないだろうか。それに数年前、かつて撮影した女性からセクハラ行為があったことをネットで晒された。そういうことは大いにあったろうと筆者は『写真時代』を見ながら思ったものだが、先の東国原の例にあったように、若い女性が1時間かそこらでは稼げないような大金を受け取ることと引き換えに自分の裸を撮影させることを了解する女性がいることは確かで、AVに出演したい女性がわんさかいるという現実はそのことを証明している。確かに若気の至りでそういう「春を金に換える」行為を後になって悔やむことはよくあることで、またそのことは大いに理解出来るので、荒木が昔の行為を訴えられたとしても同情出来ない場合があるが、そこに大人としての自覚を女性が持つべきという社会の常識をもっと若い頃から教える何かが必要だ。結局のところ、閉鎖空間で行なわれた男女の性にまつわる出来事は女性はよほど警戒してかからなければ駄目という話に落ち着く。荒木が撮影した裸の女性の顔はどれも美人と言ってよいが、ほとんどが笑顔ではなく、醒めた表情が多く、情欲を催させるものではあまりなかったと思う。彼女らの醒めた顔は荒木の醒めた眼差しに呼応したものであったかどうか、それは場合によりけりでああったはずだが、憑かれたようにそうした写真を撮りまくった荒木は前人未踏の写真の分野の先頭を走っている自覚はあったろう。誰も撮らなかった写真を撮ることは写真家の夢であり役割であるから、対象がエロであれグロであれ、自分だけしか撮れない何かを信じて邁進することは芸術家としては正しい。ただしそれは相手、しかも若い裸の女性あってのことで、冷徹であってもそのことで相手の心を傷つけることはあり得る。その点は森山大道は違った。荒木は女のエロに絞ったところにいずれ復讐される定めを抱えていたとも言える。しかし女性から訴えられて裁判になったことはないはずで、そこは写真家とモデルという距離はそれなりに守ったと想像する。あるいは守らなくて肉体交渉があったとしても、女性がそれでよければ問題は起こらない。そしてそういう女性もかなりいたのではないか。そのような現実は闇に消え、結局残るのは公にされた写真しかなく、それが長年の風雪に耐えて鑑賞に堪えるかどうかが問われる。荒木の写真集は膨大にあって、その大半を見ることがない筆者が荒木について書くことは無理を承知で、今日は花の写真についてであるから、それに関して思うことを書こうという気になった。というのは、筆者は荒木のように花の写真を撮らないが、長年花の写生はして来ているからだ。しかし写真と写生では共通点はあるものの、違いのほうが
 今日の2枚目の写真は本展のチラシの表側で、3枚目がその裏面だが、裏面の説明にはこうある。「…一貫して撮り続けるテーマに花があります。荒木が初めて撮った花は、少年時代の遊び場であった東京吉原の浄閑寺の彼岸花でした。」この説明の「吉原」と「彼岸花」はその後の荒木の写真を予告している。前者は女で、後者は本展に代表される花の写真だ。そして双方に共通性があると思うのは誰しもで、花は植物の性器とされ、荒木の撮る花の写真は女性器を連想させるものが目立つ。荒木は『写真時代』の頃は女性の顔とその女性の性器を並べた写真集を出したいと言っていたと記憶するが、性器の形が顔に表われるのが真実かどうか、男女ともに普段は異性の顔を見るしかなく、そのことで性的な妄想が時に働くので、やはり顔を性器とはある程度は相関関係があるかもしれない。しかしその見方には重大な欠陥ないし先入観があるだろう。顔は誰でも見られるが、隠している性器をその顔から判断するとして、顔には別の面があるからだ。それは知性の多寡だ。その要件を持ち出すと、それが性器とどう関係するかという別の疑問が浮かび上がる。荒木がそのことを考えずにただ女性の顔を性器を見比べる写真集を夢想していたとすれば、女性には知性は必要がないという女性蔑視につながる考えが覗く。あるいは、知性の高い女性の顔と性器を見比べる写真集と、IQの比較的低い女性の場合はどうかという、おおまかに2種の写真集を計画したとしても、知性の有無が美形とどう関係するのかという別の問題があることに気づくから、結局知性も女性の顔から判断し、なおかつ彼女らの性器を比較するという考えであったかもしれない。しかし女性の顔の多様性に比べて性器はさほどでもないと筆者は思うので、顔と性器の比較写真はどうでもいいものに感じる。顔の好みは千差万別であるからこそ世の中はうまく男女の関係は運んでいるが、やはり大多数が美女と思う顔はあって、そうした女性の性器を見たい願望は大きいだろう。となれば荒木の夢想は、美女を選び抜き、彼女らを口説いてその性器の写真を撮らせてもらうという実現にはおよそほど遠いものとなって、平均かそれ以下のごく普通の顔の女性を撮影するしかない。そういう写真集が売れるかとなれば、それはわからない。顔と性器が本当に対である証拠はないからで、性器の写真は結局つまらないという結果になる。昔は俳優のブロマイドがよく売れたのは、きれいな顔から時に性器や性交渉を想像する楽しみがあったからだ。その隠されたものが露わになれば最後には味気無さしか残らない。人間はそれには耐えられず、それゆえ美女の顔だけを楽しむことを男は永遠にするだろう。暴かれた現実を目の当りにするより、空想に耽るほうが楽しく、手に届かない間こそが幸福を感じる。その役目を果たしているのがスターと呼ばれる人たちだ。
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 さて、美しい女性の顔を見るのは男なら誰でも好むが、花となればさほどでもない。花の名前などチューリップか薔薇以外は知らない男のほうが圧倒的に多いはずだ。その理由を考えるに、花は美しいとして、また花が女性器を連想させるとして、男は単純に、つまり本能的に女性と合体することを目指すのであって、花を見て女性器を思う者はまずいないからだろう。花には雌蕊と雄蕊とそしてベッドになぞらえ得る花弁があるが、花は女性器そのものではなく、植物の開け放たれた性交部屋だ。そして性交は虫か風を介して行ない、またその性行為は乱交だ。また性交部屋ではあるが、茎や葉を省いた花全体がどこか女性器を思わせるのも確かで、荒木がそのことに気づいたのは少年時代だろう。彼岸花は女性器らしくはないが、その色合いは昔の女性のキモノの裏地と同じ真っ赤で、彼岸花に女性の秘部を連想することは少年であっても正しいことだ。つまり荒木は少年時代に花に関心を抱きながらやがて女性の性にも目覚め、その双方を長年撮り続けて来た。となれば女性ないし女性器と花が重なって見える、あるいは見させることは自然なことだ。ましてやかつてモデルになった女性から批判されると、より花の写真を撮ることに傾く。そのひとつの成果が本展となった。本展の図録は廉価版とサイン入りの豪華版が売られ、後者は筆者と家内が入館した直後に入って来た30歳くらいの男性が購入した。カメラを持っていたので荒木のファンの写真家の卵だろう。廉価版は3000円ほどであったと思うが、買わなかった。そのひとつの理由はかつて盛んに撮った若い女性のヌード写真に通ずるものであったからだ。同じ写真家の作品であるので当然だが、花の持つ美しさよりも妖しさに魅せられているところが、卑近な言葉を使えば、「えげつない」と思えたからだ。そのえげつなさこそ荒木の写真の持ち味で、表面的な美しさの奥にあるえげつなさを晒すことが本意なのだ。それは女性器を赤裸々に真正面から撮影したいという願望と同じだが、荒木の女性ヌード写真は緊縛状態やその他えげつなさを特徴、売り物とし、女性器への解剖学的な関心はほとんどない。一方、花は雌蕊、雄蕊、花弁が全開状態で咲き、それは解剖学的と言えばそうだが、あまりにあっけらかんとしてそのままでは卑猥さは全く感じない。そこで荒木は花の写真に手を加える。絵具で加筆したり、小動物やオブジェと一緒に撮ったりして、花の緊縛写真といったものを提示する。全部がそういう写真ではないが、本展ではそういう写真が目立った。いかに花を撮って人間の女性の性を感じさせるか。それは84歳になっても写真を撮り続けることの活力の源泉になっていることは間違いない。女の性は死んで灰になるまでと言われるが、それは男も同じで、女性に関心がなくなればもう死んでいるも同じだ。
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 荒木の花の写真にエロティックさをがあるとすれば、それは最大限の誉め言葉で、女性の肉体を撮ることが難しくなって来た時に少年時代から関心を抱き続けている花を撮りまくることはひとつの救いであった。しかしそういう男の性を悲しみと捉えることも出来る。そのことも荒木は自身を振り返りながら充分に知っているだろう。写真に加筆することを他の写真が行なっているのかどうかは知らない。写真はシャッターを押すだけでよく、そこに描き加えることは邪道であると考える写真家が多いとたぶん思うが、芸術にこれしか駄目という法則はない。とはいえ、描き加えるとその打ち止めが問題で、際限なく手を加えることになりかねない。そこを荒木はおおむねほどよい加減で抑え、元の花の色と相まって多彩、派手な作品に仕上げている。その「けばさ」は荒木が若い頃に撮った女性たちと同じ匂いを持っている。簡単に言えば虚飾の美だが、女性は元来虚飾を持つ存在であると荒木は思っているだろう。ところがそこでひとつの疑問が浮かぶ。妻をどう見ていたかだ。モデルにした他の無数の女性と妻との違いは荒木にとって何であるか。それは数多い写真集を見ることでわかるだろうが、新婚旅行の妻を撮ることは、妻の肉体を実際に撮らぬまでもセックスを連想させる眼差しは強くあったことを意味する。そして妻では満足出来ない女性の性をモデルを使ってその後に撮り続けたと考えれば、荒木にとって妻はどういう意味を持った存在であったかとなるが、性を実際に漁るのではないにしろ、別の女の性に関心が強かったと言えるだろう。それは男として自然なことだが、撮られる女は内面はほとんど無視され、売り物は性の視覚性であることを自覚し、あまり気分よくはなかった女が少なくなたっかことは想像出来る。さて、本展を見て思い出したのは秋山庄太郎で、彼が荒木よりわずかに3歳年長の同時代人であることを知って驚いた。筆者は秋山の女優を撮った写真に興味はないが、花の写真には強く魅せられたことがある。それで『和洋花譜365日』という写真集を買ったが、今日の最後の2枚の写真はその本から選んだ。秋山の撮った女優の写真はどれもスターと呼ばれる美人を美しく撮ったもので、花でもそうした。また長方形のフレームに花の持つ個性の形と色をいかに自然に見せつつ、自分の写真でしかあり得ない構図を常に模索した。後者は荒木もそれなりに工夫しているが、完璧を求めた秋山にはかなわない。しかし完璧な構図の写真は味気なくもあって、荒木はおそらく秋山が撮った花の写真を批判すべく、またえげつない花の本性、それは枯れて行く定めのことだが、それゆえグロテスクさを露わにする写真を時に手描きを加えて表現した。秋山の美しいとしか言いようのない女性や花の写真と、荒木の露骨な女性ヌードや手を加えられた花の写真との間に女性の本質がある。菊池契月と甲斐荘楠音を思えばよい。
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by uuuzen | 2023-07-23 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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