「
展示して 共感得ても 聞き流す 理解に誤解 常に混じりて」、「枯れた花 描くは悲し 老画家の じっとり手見る 皺の目立つを」、「今年もか もう勝負あり 鶏頭の 小さき花も 色を失い」、「どうすれば 立派に咲くや 鶏頭花 吾になびかず 気難しきや」
今年の異様な猛暑のため、裏庭の鶏頭の花は貧弱なまま大半が枯れてしまった。その原因は高い気温が続くのに水やりを怠ったからかとなれば、毎夕たっぷりと水やりを欠かさなかった。鶏頭の花に何が不満であったかを訊くわけには行かない。たぶん日の出から日没までずっと日光に当て過ぎたためではないかと思う。鶏頭は夏の花で、日射量が多いほどにいいと筆者は思っているが、そうとは限らないかもしれない。というのは、嵯峨のスーパーへの途上、毎年立派に咲かせる庭は西向きで午前中は日が当たらない。またそのすぐ近くの布団屋の隅の植え込みに別の品種の鶏頭が咲いていることを先日知ったが、そこは東向きで陽当たりはあまりよくない。それらの例から、わが家の鶏頭はわざわざブロック塀の上に置かずとも、地面に鉢を並べてもよかったのではないかと今頃反省している。同じ状態で育てたのは今年で3年目だが、三度も挑戦していずれも満足のいく開花でなかったことに気づくとはよほど筆者は栽培音痴で、花を育てる資格がない。ずぼらな性格であるから、放置しておいても勝手に逞しく咲いてくれる花との思いもあって鶏頭を育て始めたのに、厳しい環境に晒し続けると充分に育たないのは当然だろう。つまり、6月からは地面の半日陰になる場所に移動させればよかった。しかしもう遅い。今日の写真は昨日撮った。ややピントはずれているが、最初から地面に置いた鉢植えの鶏頭の花のうち、最も立派に咲いた1本だ。他の花はもっと小さいか、大部分はとっくに枯れてしまい、これまでで最低の開花状態であったことはわかる。タネ蒔きの時期がやや早かったので早い目に花が終わるのは当然だが、それにしても花の大きさが小さい。購入した種子の一袋の半分を遅蒔きとし、その開花をザッパロウィンのある11月上旬まで持たせるつもりで、隣家の裏庭の地面を耕して蒔いたのに、全く芽を出さなかった。そのことも不思議だ。早蒔きと同じく、鉢に撒けばよかったことになるが、適当な鉢がなかった。ともかく貧弱な花しか咲かなかった原因は、これまでにない猛暑続きであったということにしておこう。今年の鶏頭が残念なもうひとつの理由は、黒いゴマのような種子がごくわずかにしか出来ず、収穫する間がないままに大半の花の色はすっかり抜け落ちてしまったことだ。来年はまた新たに種子を買うが、昭和時代に見たような背丈の高い品種のものは人気がないのか、またそもそも鶏頭を育てる人はわずかなのか、筆者好みの状態に咲く種子の販売はない。それで前述した布団屋の敷地の片隅にひっそりと咲くものからいずれ種子をこっそり採って来ようと思っている。
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