「
白い雲 アイスクリンか 綿菓子か 夏休みの子 プールではしゃぎ」、「青空に 積乱雲の 見事さは 言葉いらずの あっぱれレレレ」、「何事も 終ればさびし 今いのち 盛りの夏の 猛暑味わう」、「あの人と 目で挨拶を交わし後 いかに会うかの 手立てはなきに」

今日の写真は今日の昼過ぎに撮った。風が強く、裏庭の合歓木の枝が珍しくも大きく揺れていた。写真を確認すると、太陽の日差しの線がいくつか写っていて、いかにも今年の猛暑らしい。何でもない写真だが、投稿しておくにした。さて、暑中見舞いのはがきを昔はよく届き、また送ったものだが、年賀状の人気がなくなって来ているので、暑中見舞いはがきはもっと人気がないだろう。筆者は手製の暑中見舞いはがきを中学生時代から友人に送り始め、その最初の絵柄は切り分けた西瓜であった。当時は西瓜は安く、夏休みにはよく食べた。先日「風風の湯」でYさんと話していると、子どもの頃に食べたかき氷が懐かしく、それを売っている店はないかと言う。20年ほど前、京都の繁華街に出ると有名な和菓子屋で抹茶の蜜をかけたかき氷が1000円で、その蝋細工の見本と値札を見て驚いたものだ。今では果物その他を積み上げて2000円や3000円するのは普通となり、昭和時代の氷と蜜だけのかき氷を売る店は見かけないと筆者は言った。そう言えばわが自治会では毎年8月下旬の地蔵盆ではかき氷を子どもたちに無料で振舞っていたが、その機械が壊れたのか、あるいは氷が手に入りにくくなったのか、それともかき氷を作る大人がいないのか、今年の地蔵盆ではかき氷はない。「スーパーではかき氷用の蜜が売られているので、自分で作れば手っ取り早くていい」とYさんに言うと、「店で食べるからいい」と、まあ当然のことを言う。子どもが多かった時代は近所の駄菓子屋がかき氷をよく提供したが、儲けになりにくく、それで若い女性向きに豪華に飾り立てるメニューが流行って来たのだろう。前述の和菓子屋ではたぶん今は2000円はしていると思うが、Yさんが食べたいのはその10分の1程度の価格で、子ども向きのものだ。スーパーには容器に詰めたかき氷があるが、Yさんが食べたいのは出来立ての手作りのものだ。小学5,6年生の頃、一筋南の道路沿いの普通の民家の1階の玄関間がかき氷店となって、優しいふくよかな顔のおばあさんが子ども相手に商売を始めた。2年ほどで営業を辞めたのは体の具合が悪くなったのだろう。当時彼女は60代であったはずで、その年齢を超えたYさんや筆者が懐かしく思い出すかき氷はそのような小さな店での何の変哲もないものだ。昭和の夏は今年のような猛暑はなく、夕方になれば過ごしやすかった。時代は変われば何事もそれに応じる。それでも今日の写真を見ていると、少年時代の夏を思い出し、夏はどれほど暑くてもやはりいいものだと思う。それでも来年も同じ気温が続かないことを願う。
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