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●『乗興舟』(ON A RIVERBOAT JOURNY)
好きの 嵩じて晒す 自惚れに 気づかぬままに 晩節愉快」、「想像の つかぬ世になり 懐かしむ 子どもの頃の 素朴なものを」、「古きもの 使われ過ぎて ゴミと化し 千年経ちて 掘られて宝」、「絵も歌も うるさきものと 舟の旅 過ぎる景色に 興に乗りつつ」
●『乗興舟』(ON A RIVERBOAT JOURNY)_b0419387_16375724.jpg 昨日大西さんから本が届いた。大西さんの奥さんが今は療養のために東京に住んでいて、大西さんは単身でニューヨークのマンハッタンに勤務しているが、先日一時帰国する際にその本を持参し、東京から発送してくれた。若冲が拓本技法を駆使して作った拓版画の絵巻『乗興舟』の全図を撮影し、クロス装で経本仕立ての洋書『ON A RIVERBOAT JOURNY』で、しっかりした紙箱に入っている。アメリカのメトロポリタン美術館が所蔵する同絵巻を複製したもので、発行は1989年だ。何年か前に大西さんがその本を買った話はメールで知っていた。筆者はその本の存在をもっと以前から知っていたものの、京都国立博物館が所蔵する同じ絵巻を同館が2005年2月に小型本「BEST OF ART NO.2」の『伊藤若冲 乗興舟』として縮小複製して出版し、その京博本の複製本で満足していた。しかし今回大西さんからいただき、2冊の貫禄の違いに驚いた。もちろん洋書のほうが圧倒的に素晴らしい。これならば全ページをコピーし、それらをつないで現物と同じように巻物仕立てに出来る。今日の最初の写真は上が2005年の京博が出した本、下が洋書だ。サイズが違うのは巻物の縮小率が異なるからで、洋書も原寸大ではなく、後述するようにわずかに小さい。上下の写真とも、赤いAは紙継ぎの箇所で、摺りと継ぎ具合に差がある。なおBは上が本の見開き、下は経本仕立ての折れ箇所だ。『乗興舟』は現在10点近く存在が確認されている。250年ほど前の製作で、明治期に外国にわたったもの、また戦災で失われたものもあるはずで、どこでどのように存在が公にされないままの状態にあるかは誰にもわからない。若冲が作ったのは20から30巻ほどではないだろうか。市販されたのではなく、若冲やこの絵巻に詩文を寄せた大典和尚の関係者に優先的に配られたように思う。現存の絵巻を比較した展覧会が開催されたこともあって、どれが最初に擦られたか、また摺りの途中で彫りを加えた箇所などがわかって来ている。京博本とメトロポリタン本とでは前者の摺りが大典の詩文がよく見え、虫食い箇所も少なくて保存がよいことは、最初の写真の両本のA箇所を比べればわかる。通常の本の両面印刷とは違って経本仕立ては、より巻物と同じように楽しめるが、9メートル20センチほどもあって、わが家で最大の部屋でも全部広げられない。筆者は昔から『乗興舟』の本物がほしいと思っているが、つい先日アメリカのクリスティーズのオークションに状態のよい完品が出品され、今月19日に6万480ドルで落札された。
●『乗興舟』(ON A RIVERBOAT JOURNY)_b0419387_16381984.jpg
 これは手数料を含めると今の日本円で1千万円にはなり、筆者がほしがるのは無謀だ。落札者はおそらく日本人と思うが、そうであればいずれ一般公開されるかもしれない。そのオークションでは長さが9メートル36センチ、高さは28.3センチと記載され、経本仕立ての洋書は図の高さが23.8センチだ。その比率で計算すると洋書は7メートル87センチとなって、実際より1メートル30センチほど短いので、実物の計測の仕方が違うと見てよい。この絵巻は上下ともに1センチ程度余白状がある状態で表装され、洋書はほぼ実物大と考えていいかもしれない。そういうことを確認するためにも実物を手元に置きたいが、1千万円は貧富の差が大きくなって来ている日本では、貧しい部類の庶民には全く手が届かない。筆者がこの絵巻をほしいと思うのは、絵巻が京都の伏見の港から始まって大阪の天満橋までの右岸を、川下りする舟中から若冲が写生したからだ。伏見港は現在の中書島辺りで、筆者は幼少時から京阪電車に乗って京橋からその駅まで毎年母に連れられて伯母の家に行った。中書島から市電に乗り換えて丹波橋で降りたのだが、伏見は子ども頃の思い出がいろいろとある。淀川下りの三十石舟を再現する動きは半世紀ほど前に一度あって、落語家が落語を披露しながら客が楽しむ企画であった。その時は伏見から天満までではなく、枚方からであったと思う。淀川は堆積土砂で舟が運航出来ず、仮に浚渫したとしても京都と大阪では考えが違って足並みが揃いにくいだろう。そういうことを2007年5月下旬に家内と『市立枚方宿鍵屋資料館』を訪れ、その感想を投稿した時に書いた。当時から『乗興舟』に大きな関心があったことは言うまでもないが、この類例のない珍しい技法による絵巻において最も気になる部分は巻頭の「伏見口」から「山崎」や「八幡」辺りまでの間だ。そこには三十石舟を復活させても同じ眺めが得られない事情が記録されている。川辺の景色が変わったことは言うまでもないが、そういうことではなく、川の流れそのものが上記の間は大きく変化した。今日の2、3枚目の写真は経本仕立ての洋書を撮影し、白黒を反転したうえで緑にした。最初の写真からわかるように、この絵巻は空が真っ黒、川は灰色で、真夜中の景色だが、若冲と大典が伏見から天満まで下ったのは明るい間であった。そうでなければ山並みは見えず、手元で絵筆を走らせてもよく見えない。それに何よりも絵巻に点在する農民の姿は夜でないことを示している。若冲が描き、板木に貼りつけた絵は、今日の2,3枚目の写真のように空が白い状態であった。それを考えてのことか、洋書の箱は白黒を反転した図版を使い、空は白い。『乗興舟』の全図をそのように修正して印刷した本の出版が望まれる。それは現在の技術では簡単で、多彩な色づけも行なえる。若冲の意図からは外れるが、そのように加工すればより楽しめる。
●『乗興舟』(ON A RIVERBOAT JOURNY)_b0419387_16383352.jpg
 さて、2枚目の写真は最初の「伏見口」から宇治川を西へ600メートルほど進んだ辺りで、中央に橋が描かれる。橋の向こうは橋の向きと同じように道が真っすぐに伸び、家並みが描かれる。橋の向こうの下流側は現在の横大路で、橋は現在の旧国道1号線に架かる宇治川大橋だ。筆者は中学生時代、叔父などに車に乗せられて大阪から京都に行くのに何度もこの橋をわたったが、もちろん若冲時代の木の橋ではない。しかし同じ場所に架かり、若冲時代は巨椋池に浮かぶ向島と結ばれていた。2枚目の写真の左端は丘の向こうに別の川がこちら向きに見える。これは桂川だ。丘は竹林で現在の洛西や乙訓にかけてのかつての代表的眺めを描く。3枚目の写真の右は2枚目の写真の左とだぶり、桂川と宇治川の合流を描く。その地点のすぐ西に赤の楕円で囲ったように「澱城」と大典は記す。鳥居を描くので、「敷島天満宮神社」と記すべきだが、僧侶の大典は神社を軽視したのではないが、いわゆる「淀」の地として「澱城」の言葉で代表させた。実際の淀城は絵巻ではやや下流、しかも珍しく左岸に、当時はあった天守閣が描かれる。しかし現在の宇治川を下ればこの絵巻の眺めは得られない。若冲は間違ったのか。そうではない。宇治川の流れが違っていたのだ。そのことを示すのが4枚目の写真で、ネットの国交省が公表している地図からトリミングした。筆者が加えた黄色の線が三十石舟の航路だ。写真右上が「伏見口」で、やがてオレンジ色の縦線で記した宇治川大橋をくぐる。写真の紺色は秀吉時代の宇治川や巨椋池、桂川を示し、秀吉が改修を命じて赤で記されるように川の流れは変わった。その完成したのは秀吉時代ではなく、若冲時代はまだ一部しか終わっておらず、宇治川は宇治川大橋から下流200メートルほどの地点で現在よりもっと北部を流れて桂川に合流していた。つまり現在の三川合流はまだなく、桂川と宇治川がまず合流し、そのずっと下流で木津川が合流した。4枚目の写真に示した黄色の宇治川の流れによって、この絵巻の敷島天満宮神社と澱城の位置関係や距離感の正しさがわかるだろう。若冲はこの絵巻の名を記された各地域の距離感をほぼ正確に描いた。絵であるので、ある場所は極端に短く、別の場所は長く描くことは出来るが、そうはしなかった。となれば舟に乗りながら、現在のような時計を持たず、どのようにして推移していく景色を描いたのか大いに興味が湧くが、これは一度の船旅では無理な話で、一旦描いた後、細部修正のために何度か伏見から天満まで下ったと想像する。そうして完成した全図の随所に、大典が地名と詩文を書き込み、それを元に板木を彫り、拓本の技法で摺った後に絵巻に仕立てた。職人の手助けを得たと思うが、若冲が中心になった。京阪電車では1時間要さない距離をのんびりと舟で下ることは、今では金を払っても実現不能な贅沢となった。
●『乗興舟』(ON A RIVERBOAT JOURNY)_b0419387_16384977.jpg


by uuuzen | 2024-05-29 23:59 | ●本当の当たり本
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