「
若さゆえ 苦しむならば 吾若き 人みな若き 死ぬまで苦あり」、「譲られし グミを地植えし 三十年か 朽ちた箇所癒え 毎年伸びし」、「何年も グミの実見えず 首ひねり 徒長の枝を 毎年払い」、「譲り合い 長く仲よく 暮らせよと 密の庭隅 雀にも餌」題名の歌は今日の写真の左端に見える細い若枝を意味している。奥に見える左上に斜めに伸びる太い幹は合歓木だ。その手前にあるのがグミで、この木の鉢植えを母方の従兄Kからもらったのが30年ほど前だ。千本北大路を少し上がって東側にあった家から転居する際、もう面倒を見切れないと考えたからだ。わが家に届けられてすぐに筆者は合歓木の根元のそばに地植えした。鉢植えのままではどうも落ち着かない。植物ももっと広い地面でゆうゆうと生きたいはずで、その意味で筆者は盆栽をあまり好まない。人間のつごう、美意識によってがんじがらめに育てられ、場合によっては一鉢が億単位の金で取引される。何百年も寿命があればその価格はわからないでもないが、そうして買った高価な盆栽を地植えして巨大つまり普通の姿に育て直せば、誰も注目しない。さて、地植えしたグミの木は10年ほどは幹の半分が枯れてほとんど成長しなかった。たまに赤い実を5,6個つけたが、ここ5,6年はあってもひとつかふたつだ。それも野鳥が持ち去る。K兄とは数年に一度しか会わなかったが、会えば必ず「グミの木は元気か?」と尋ねられた。枯れてはいないので、もちろん「かなり大きくなった」と毎回答えた。K兄はスポーツマンで野球の世界に進みたかったが、夢はかなわず、結婚して子どもを3人もうけ、馬車馬のように働いた。妻帯してからは大きなトラックを自前で買い、さまざまな物を各地に運んでいた。フォークリフトで積み下ろしをしない場合が多かったようで、それで体を傷めた。それには酒好きが祟りもした。K兄は父が再婚する前の母の子で、その伯父は再婚してから女の子ばかり5人得て、母の異なる妹らとはあまり仲よくなかった。それもあって1960年代後半、ひとり大阪に出て6,7年行方不明となった。全く連絡がないことを心配した両親はよく大阪のわが家にやって来て、警察が管理する行旅死亡者の写真を見て手がかりをつかもうとしていた。ある日、K兄はわが家に電話して来た。母は驚いて居場所を訊ねると、市内のある場所にひとりで住んでいると言う。それにとても元気であった。しばらくしてわが家にやって来て、母に諭されて京都の両親のところに顔を出した。その時に持参したのがかなり年月の経ったハブ酒で、一升瓶の中に蛇がそのままの姿で入っていることに妹らは悲鳴を上げた。ま、そういう愉快で豪快なK兄だが、乳幼児の時に死んだ母の写真は1枚だけ残され、それを見ては亡き母のことを筆者の母によく質問しては悲しみを飲み込んでいた。K兄はよく言った。「親の墓に布団かけてもしゃあないしな、生きている間に孝行せいよ。」
これは以前に書いたことがあると思うが、また書く。K兄は独身時代にとある有名な薬の会社の専属運転手をやっていて、大量の薬を各地に運んでいた。ある日、目的の会社の敷地内にトラックを走らせていると、車道に数人のスーツ姿の男性が歩いていた。K兄は運転席から怒鳴った。「こらあ、そんなとこ歩かれたら走られへんがな!」するとスーツのひとりがこう言った。「何を! この人が誰か知ってるんか、社長さんや!」「そんなもん知るか! 社長やったらトラックの進行を邪魔してええんかい! わしはわしの仕事に忙しいんじゃ!」相手のスーツはしぶしぶ社長を誘導し、道を開けたそうだ。この話をK兄から聞いた時はさすがと思った。それでクビになるような会社であれば辞めてしまえばよい。スーツ族は「トラック運転手ごとき」と、見下げていたのだろう。どちらの人柄が高潔で正しいかは明らかだ。両親に居場所がわかってしまったK兄はその後説得され、見合い結婚し、前述のように3人の子の親となった。そして偶然だが、筆者が京都に住み始めた頃、同じ右京区の梅津に所帯を持っていて、たまにそのアパートに立ち寄ったものだ。やがて出来たばかりの洛西ニュータウンに移り、アパートは今はない。K兄は長年の肉体労働と酒が原因で、手術を何度かし、肺も悪くなった。家内は喘息もあって、大きな病院に毎月一度は必ず診察を受けに訪れるが、3,4年前に偶然K兄夫婦と肺を診る病棟のベンチで出会った。「ああ、郁恵さん、コイチは元気か?」「はい、今日はさっきまでここにいたんですけど、用事で向日市まで自転車で行きました。」その時のK兄は満面の笑みで、とても優しかったそうだ。それから数か月後にK兄は死んだ。家内は「あの時、わたしと一緒にもう少し座ってれば会えたのに」と今も思い出すたびに残念がる。ついでに書いておくと、母方の親類は筆者を「コイチ」と呼ぶ。本名の「甲一」が縮まった発音だ。K兄から手わたされたグミの木は一時は枯れるかと思っていたのに、ここ2,3年は新しい枝が幹から何本も勢いよく天を目指して生えて来る。去年暮れには幹の根元から50センチほどのところに若葉が出て来た。抜こうかと思いながら、何の植物かを見てやろうと決めてそのままにした。やがてグミとわかり、今日の写真の左端のように高さ1メートルほどになった。家内が最後にK兄と会った時、もし筆者が一緒にいれば絶対に「グミはどうなっている?」と訊いたはずだ。そのことを思うと、枯れ死寸前まで行ったグミがどんどん新しい枝を伸ばすことは頼もしい。実をさっぱりつけないことは残念だが、大幅に枝を剪定すれば実をたくさんつけるとしても、K兄を思えばそうする気になれない。合歓木、グミ、それに藤が同じ場所に密生して生育環境は悪いが、仕方がない。これもついでながら、今年生えて来たグミの新しい若木の根元周辺に毎朝雀のために古米を撒く。
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