「
約束を した覚えなし 神仏は 頼られる価値 あるだけのもの」、「侮り屋 落ち目になりて 侮られ 今に見ていろ さらに落ち目に」、「ボブ・ディラン ノーベル賞を 得て歌う 風に吹かれて 人舞い上がる」、「凧飛ばし 電線に触れ 感電し 関電知りて 死ぬはあかんで」
今日の写真は2年前の5月下旬に撮った。嵯峨のスーパーに行く時には必ずこの建物の屋上のとんび凧を目にする。釣り竿の先端に取りつけられたその出現は2年前の春だったと思うが、去年秋に姿を消した。風雨で破損したのかもしれない。この凧は烏避けだ。阪急嵐山駅前のホテル花伝抄や付近のマンションの屋上の庇に百羽ほどの烏が日没頃にずらりと並んで止まり、周辺を飛び交う。やがて山に帰って行くが、住民は糞害に憤慨するのだろう。また烏が共謀して人を襲う狂暴さを見せる場合もある。そう言えば2、3年前、自転車で走っている筆者のオレンジ色の帽子の上に烏が止まったことがあった。1秒ほどのことで、烏はからかってやれと思ったのだろう。話を戻して、2、3か月前にこのとんび凧は復活した。新たに購入された同じものだろう。風が強い日はくるくる回り、「とんびはくるりと輪をかいた」という昔の歌謡曲の歌詞を思い出すが、直径2、30メートルの大きな輪であればまだしも、この凧は数メートルの範囲内でもがいている。烏はそれを見て笑っているに違いない。『あのとんび、かわいそうに紐にくくられ、きりきり舞いやん、クゥワッ、クゥワッ!』それはさておいて、このとんび凧は日が暮れる前ならば「風風の湯」の浴場から見える。ごくたまに筆者は午後4時頃に同温泉に行くことがあって、体を洗って最中、露天風呂を隔てる大ガラス窓から桂川対岸の2、300メートル先にこの凧を目にする。そのことを去年12月中旬に
福知山の養老温泉に嵯峨のFさんとともに連れて行ってもらった太秦のMさんに言ったことがある。Mさんは今年の6月までは「風風の湯」に来ていたのに、すっかり姿を見せなくなった。そのことをFさんと何度か言い交していて、先日またそのことを話題にすると、Fさんは「あいつ、死んだんとちゃうか」と言った。冗談と受け止めて笑ったが、とても元気であった自治会内のWさんが今年ひっそりと死んだことを思えば、予想外のことが起こっても不思議ではない。とはいえ、今日こうしてとんび凧の写真を掲げるのは、半年ほど見なかったそれがまた同じ場所で元気に舞っていて、猛暑が過ぎればまたMさんはやって来ると思っているからだ。その時、Fさんが言ったことを伝えると、いつもの笑顔でFさんをたしなめるだろう。「そう簡単に人を死なせたらあきまへんで。」Mさんの連絡先はわからないが、たまにこのブログを読んでもらっているようで、噂されていることを知る機会はある。それを思って書くと、姿を見せなくなる直前にMさんが指摘したFさんの後頭部の円形脱毛は少し大きくなりました。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→