「
慌てるな ぼんやりするな 深呼吸 心荒めば ろくでなしこと」、「人の顔 見るのが飽きて 空と木々 花咲き葉落ち 鳥鳴き飛びし」、「名画には ただ流れるや 静謐の 音と香りの 愛した記憶」、「苔の庭 落ち葉混じりの 飛び石を 踏みつ拾うや まだらのひとつ」
2週間ほど前、ネットの広告でアレックス・カッツの展覧会が京都で開催されることを知った。Peatixというサイトに無料で会員登録をして先に進むと、入場無料で観覧の日時はこちらが選ぶようになっていた。会期は11月16日から12月6日までで、初日の午後2時から同20分までの入場を家内の分とともに予約した。筆者はスマホを持たないので、選んだ日時の画面を印刷し、それをチケット代わりとして持参した。3日前に投稿したように、府庁前のバス停で降りて歩いて行った。会場の場所をネット地図で確認して記憶したと思ったのに、上京区の初めて訪れる道沿いにあって、付近の土地勘がない。早い目に着く予定が、30分ほど付近を必死で歩き回り、最後に場所を訊ねた親切で品のよい地元の高齢女性に道案内をしてもらい、とある四辻で「あの先に車が停まっている場所の向い側です」と教えてくれた。それはいいとして、ネットで本展の会場を知った時は驚いた。この20年ほど気になっていながら、場所を確認せず、一方でどうすればそこを見学出来るのかと思っていたからだ。展示会場については明日書くつもりだが、なぜその江戸時代から有名であった古い建物でカッツの展覧会なのか、その理由を知りたいためもあってすぐに予約した。筆者はカッツの展覧会図録を1冊所持している。1988年6月から7月にかけて心斎橋パルコで開催された時のもので、厚さ8ミリほどだ。当時カッツの苗字がユダヤ系と知ったが、カッツの絵画は美術雑誌などでよく見かけた。いかにもアメリカ的なポップな絵で、人物像を平坦なタッチで描く。それはかなりの手抜きに見えるが、一度見れば忘れられない強烈さがあり、よほど構図その他を吟味していることが伝わる。簡単に描いたように見えながら、戦略は用意周到で、絶対にミスをしない慎重な態度が作品から伝わる。悪く言えば看板絵のようなタッチでマチエールを云々することはふさわしくなく、平明で清潔、爽快で平和、中流階級の健康な生活の一片を切り取った趣がある。そういう世界の人々の家の壁に飾ればとても似合う雰囲気で、アメリカでは作品はかなり売れていると想像する。雰囲気がよく似た画家にデイヴィッド・ホックニーがいるが、カッツにはホックニーの装飾性はなく、必要最小限の要素で見せようとしているので、作品の印象はより鮮明で、子どもでも一度見れば特徴を把握し、カッツの別の一点の作品が一万点の他の画家の作品に混じっていてもすぐに見出すだろう。これは画家としては唯一無二の個性を確立したことであって、美術史に残る可能性は大きい。
しかしカッツのもっと大規模展が日本で開催されてよいのに、なぜ京都のしかもほとんど知られない建物で小品ばかりがわずかに展示されるのか。それはカッツが望んだことなのか。残念ながらそうしたことは会場を訪れても一切わからなかった。カッツが京都に滞在あるいは数年以上は生活していて、京都を題材にした作品が並ぶと思っていたが、どちらもそうではない。しかし密かに京都で暮らしている可能性はなきにしもあらずだ。そこで88年展の図録を引っ張り出すと、カッツが1927年生まれであることが意外であった。40年前後の生まれと思っていたからだ。では88年展は還暦を祝しての展覧会で、同じ作品で世界各地で開催された可能性がある。また還暦以降製作を続け、本展は95歳であるから、それほどの高齢でまだ描いていることに感心する。となれば4年後の生誕百年まで生きて描き続けて、図録の厚さが2、3センチほどある大回顧展が期待出来る。そうあってほしいが、日本におけるアメリカ絵画の人気は抽象画に傾いている感が強く、カッツのような具象画はヨーロッパ的とみなされて人気はさほどないかもしれない。それに描く人物はみな西洋人で、その点でも日本には馴染みにくく、これはキモノを着た人物を描く日本画が欧米で大きな人気を博すことがないのと似ているだろう。それにカッツの絵はアメリカの空気が如実に想像され、湿っぽい日本とは大きな差がある。いい絵はどの国でも歓迎されるので、たとえばインドでカッツの絵を飾る人があるだろうし、筆者も購入は無理でもせめてカレンダーに印刷されていれば、それを切り取って飾りたいと思う。そのことはカッツの絵は印刷しても原画の味をほぼその通りに伝えることを信じていることを意味するが、言い換えればカッツの絵画は写真的で、おそらく写真を撮ってかなり参考にしているだろう。だが写真をそのまま拡大するのではなく、デフォルメを施しているし、写真では鮮明に写ってしまうものを大胆に省き、また大きな筆でざくざくと簡単に描きもする。その筆致だけを見れば抽象画になると言ってよいが、画題の中心は人物、そしてその顔で、個人の顔の差をそのとおりに描き分け、そのことで作品の味わいががらりと変わることを意図するほどに、先に戦略と書いたように、作品が画一的になることを意識的に避けている。モデルとなる人物は妻や知友で、そのことが描かれた人物がより個性的に見えることの理由になっている。金を払って雇ったモデルや、街中で隠し撮りした見知らぬ人物であれば、カッツの人物画に特有の親密な雰囲気は出ないはずだ。となればカッツは人付き合いのよい男になるが、その点は実際がどうなのかは筆者にはわからない。絵のモデルに使うことは親しい関係を続けることで、それはそれで後のことを考えると画家に人柄のよさは求められる。
カッツの絵が日本に紹介され始めた頃に真っ先に知られたのは若い頃の女優のキャンディス・バーゲンをどこか思わせるアダという名の女性だ。彼女は1958年にアレックスと結婚し、88年展図録の解説文には20年描き続けて来ていると書かれる。本展にも男女の人物画は出品され、アダに似た女性像もあるが、彼女ではない。カッツの年齢を思えば、おそらくアダは死んだのだろう。となればカッツの画題も還暦以降変わって来ているはずだが、88年展の図録のみでそのことはほとんどわからない。会場には1冊に分厚い洋書のカッツの画集が置かれていて、ぱらぱらとめくってみただけだが、かなりの多作であることがわかった。また面白い絵がたくさんあって、カッツの全貌を知るには大規模展が求められる。アレックスはアンディ・ウォーホルのように最初は商業的な美術に進む予定であったが、画家になることにし、WIKIPEDIAによればカッツは若い頃のそうした作品1000点ほどを焼却したとある。それでカッツはいきなり充実した作品で登場して来たように見えた理由がわかる。画風を確立するまで大量の絵を描き、方向性をつかんだ時点で過去の作品は残さないことにしたが、同じことはルオーが晩年にやった。意に沿わないことは醜態を晒すことであって、そういう作品は自らの手で消す。さて、本展はカッツから作品を借りてのものか、画商がカッツから購入したものを借りるなりしたものであろうが、どの絵にも販売価格は書かれず、それを記した表もなかった。絵は広間正面の額入りの大作以外はどれも厚さ5ミリほどのボードで、額に収められていなかった。日本ではボードの裏面に販売金額が記されることが多いので、今回もそうであったかもしれないが、2,3人いた係員は誰も絵を売ろうとする素振りはなかった。入場無料であり、絵を販売しないとなると、誰が経費を負担するのか、よけいな心配をするが、展示作品は撮影は許されいたので、SNSで本展を広めることが目的かもしれない。図録代わりとしてA4の紙の裏表にサムネイル的に全作品が印刷され、またA5サイズの厚紙は両面に最新作が印刷されて現在のカッツの画風がわかる。作品数は21点で、うち樹木を描いた風景画が15点でどれも2023年の作だ。人物画は6点で最も古いものは1991年、新しいものは2021年で、人物画から遠のいて風景画をもっぱらとしていることがわかる。これら風景画は葉や花をつけ、また雲らしき白い面を必ず見せているが、婦人服地か包装紙に見え、人物画と同じ画家の手になるとは思えない。カッツは人物画は得意だが、個性を把握しにくい樹木は抽象的表現になりやすく、また冷たい印象にしたくないのでカラフルに描くのはよいが、鑑賞者は視点を定めにくく、文様的な絵として認識する。これはカッツには珍しい装飾性の表現で、それで本展を日本で開催したのかと思ってしまう。
確かに広間正面奥の額入りの絵は一見松を描いたように見え、かなり日本的な雰囲気がある。ちなみにこの絵のみキャンヴァスに描かれ、縦122,横152センチと大きく、「夏 12」と題される。そしてこの絵からはやはりカッツは来日し、滞在中かと思ってしまうが、88年展の際に日本に来たはずで、日本の美術にも無関心ではないだろう。とはいえ本展ではフィリップ・ラーキンの「The Trees」という英詩が先のA4用紙に印刷され、樹木絵が日本に触発されたものではないようだ。88年展からは樹木画が最新の画題でないことはわかる。図録の表紙にも使われた「1985年の「夏、三部作」は背景の濃緑色の林や地面の淡い黄緑色を中心とする芝生のタッチが本展での樹木図とそっくりで、1986年の同じ林を描いたと思しき「澄みわたる」は人物を排除して手前に芝生上の樹木、奥に林の暗がりを描き、30年前に似た風景画を描いていた。ただし、本展でのそれらは奥行を意図せず、日本画にありがちな平板な模様画となっている。人物画をさんざん描いて来たので、そうした中心画題に囚われない、そして上下を逆さにしても鑑賞に不具合が生じないような、また大画面から一部を切り取ったような構図の絵に新たな境地を求めたのかどうかだが、題名を見る限りは樹木から季節感を表現しようとしたことはわかる。そうなると日本ないし日本画に接近しておかしくなく、それで本展が京都で実現したかもしれない。またこれらの樹木画は特定の人物の肖像を描かないので部屋に飾りやすい。言うなればカレンダー絵のようで、すでにそのように売り込みがなされているかもしれない。それはいいとして、四季の移ろいを場所を特定せずに描く心境になったのは、人物画に飽きたというより、元来カッツの人物画に濃厚に込められていた爽やかな空気感そのものをどうにか画面に定着させたいからだろうか。「夏、三部作」は3組の男女のカップルが3枚の絵に描かれ、それらが屏風のように横並びにつながっているが、同じ場所に3組がいるように見えながら、中央の絵では男女の腕の端が切り取られた形で描かれて、スナップ写真を思わせる。また芝生の傾きは左2点はつながっておらず、三部作にしては不具合なところが目につく。しかしそれはあえてそうしたもので、そこにカッツの絵画観がある。それはひとまずおいて、3組のカップルはその服装から時代や季節、社会的地位までわかるが、カッツが描きたかったのは、3組のカップル以上に彼らが仲よく寛ぐ自然豊かな夏という季節だ。それが題名に込められた。翌年の「澄みわたる」では人物が除かれ、代わりに幹が描かれたが、これは還暦頃に季節そのものを自然を通して描きたかったことを思わせ、本展はその延長線上の仕事となっている。それは子どもでも一瞬にカッツの絵だとわかる人物画ではない方法で自分の個性を発揮する挑戦だ。
本展は80年代のひとつの大きな特徴であった巨大な画面ではなく、肖像画も小さな画面に描かれ、これは大画面はどういう必然性があったのかと疑問に思わせる一方、90代になれば背丈を超える大きな画面の全部を絵具でていねいに塗り潰すことの無理さ加減を想像する。それはともかく、90代になってなお作風を変化させる凄みを伝え、またそれが日本画を意識したものになっていることが面白い。それほどにカッツはさまざまな絵画を意識的に学んでいる。とすればどの日本画に近いかだが、入場時にもらえた厚紙、今日の最初の写真の下中央の作は、堂本印象が府立植物園のチケットのために描いた原画と雰囲気もタッチもそっくりだ。「澄みわたる」は写生を元にしたはずだが、本展の樹木画はごく簡単なスケッチあるいは写真を頼りに即興で描いたものだろう。カッツの代表作が何かとなると、筆者が最もよく覚えているのは82年の「レッド・コート」だ。唇と同じ赤い色のコートに身を包むアダの顔をクローズアップで描いたもので、当時パルコの宣伝に使われたと思う。縦が2メートル半ほどもあって、昭和半ばにはあった映画館の大きな看板絵のようだが、この絵の素描は鉛筆で厳密すなわち設計図のように全く同じ形で描かれ、色の布置も含めて最初から計算づくで描いたことがわかる。顔の4分の1が画面端で切れているのは、前述の「夏、三部作」の中央画と同じで、スナップ写真でたまたまそのように写ったからではないか。写真を強く意識した画家はフランスのドガが有名で、彼はそれまでになかった構図を取り、しばしば人物は画面端で途切れて描かれる。カッツの絵画はその延長上にある。アダの顔の端が画面からはみ出している構図は、アダが物陰から見つめている雰囲気を醸す役割を担っているが、アダの視線は鑑賞者のそれとは合致せず、人々は安心してこの絵を凝視出来る。ただしそれはカッツが描く肖像画の特徴ではなく、鑑賞者をまともに見つめる人物もよく描く。彼らは決して敵対の意識を見せず、さりとてモデルのような作った顔をせず、画家を優しく見つめる。ということは鑑賞者にそのような眼差しをしていて、カッツの絵を購入する人は、そこに描かれる人物に会ったことはなく、今後も会うはずがないのに、親近感を覚えるからだろう。それは俳優のブロマイドを見つめることとは違って、見知らぬ者同士の、それでいて親しみを込めた思いの交感だ。似た肖像画を描いた画家としては、視線を鑑賞者とは交えない場合が多いが、フェルメールはその代表ではないだろうか。カッツは格好のモデルとしてアダを見つけ、それが彼の還暦頃、すなわち最も旺盛な活力があった時代の代表的画題となったことは幸運であった。その後のアダとの関係がどうなったのか知らないが、かなり高齢に達したアダを描いているならばそれを見たい。
というのは、カッツは老人をほとんど描いていないからだ。カッツは顔を巨大に描く場合にも陰影をつけるだけで、顔全体は木版画のように平板に絵具を塗った。皺が目立つ老人であれば、それをどう描くかの問題が生じる。それで意図的に皺のない、皺が目立たない人物を選んだのではないか。さて、88年の時点で20年描かれ続けたアダの絵をほしがる人は、何に魅せられてのことか。アダのことを誰も知らず、場合によってはカッツの画業も知らないのに、アダの絵に魅せられる人はある。そこに絵の面白さがある。絵は描かれた人物以上に描いた人物の思いを宿す。またそれは描く間に描かれる人物と描く者との無言の対話、言い換えれば時間を一緒に過ごす心の対話があってのことだ。その対話を絵を見る者は把握する。それゆえ写真を見て描いた絵は描かれた人物との対話が生まれ得ず、心の通わないものとなる。カッツは写真を参考にしたであろうが、参考にとどまって、まずは会って言葉を交わし、その段階で顔の特徴をつかみ、絵画として構図や色彩の配置を厳密に組み立てる段階で写真の利用もしたであろう。肖像画は実物を眼前に捉えながらの過程を踏まねば鑑賞者の心を打たない。カッツが最も近い人物のアダを描き続けたことは、月並みな言葉になるが、愛おしかったからだ。それはその後離婚や死別しても、描いた時の真実味は絵に刻印される。アダの絵をほしいと思う人はその真実さを感じるからだ。その真実味は抽象画ではどのように表現され得るか。その問いをカッツは自己に突きつけながらの本展での樹木画で、季節によって表情を変える木々が人間のように面白いと思っているのかもしれない。枯れ木を描かないのは、皺が目立つ老人を描かないことと同じで、カッツは理想主義者かもしれない。美しいものを見て柔らかい色彩を多用して美しく描くことで充分との立場で、悲しみは除かれている。88年展図録に美術評論家の岡田隆彦による「日付のある光景」と題する長文が載る。カッツや他の評論家の言葉を引用しながらの読み応えのある内容で、最も印象に残る箇所は、カッツが古代エジプトの「ネフェルト・イティの胸像」を「全能の美のシンボル」として大絶賛していることだ。筆者が中学生の時の美術に副教科書として購入させられた薄い冊子の『時代別 美術の世界』にもその作品は掲載され、今日の最初の写真では最下段右端にその本を開いて一緒に写した。この古代エジプトの女王像を意識してカッツはアダを描き続けた。岡田氏は、『「イメジとシンボルが一つになるような芸術」を実現しようとする志は、ひとたび絵画の道をきわめようと思いたった者なら、誰しも抱くものである。きわめて正統的な目標といっていい。』と書き、カッツの人物画、特にアダ像は一度見ただけで忘れ得ない「ネフェルト・イティの胸像」と同じくシンボル的なものにする意図があったと示唆する。
岡田氏はまたカッツがルネサンスを初め、美術史に造詣が深いことを他の評論家の言葉から引用する。カッツの優しい雰囲気の絵はアクション・ペインティングの攻撃性はない。美術史に残るために描くのではなく、画家として過去の名画に敬意を表し、参考に出来るところは積極に取り込む態度だ。しかもそれが美術ファンならたいてい気づくものであってはならない。模倣するならば過去の画家が名作を生んだその方法だ。それが現代ではどう変容させられるかをカッツは模索し続け、妻のアダと結婚したことで人物画の可能性をいわば手軽に試すことが出来た。しかし88年展の図録からわかるように、マティスのように彩色した紙を切って貼る「貼り絵」の風景画には、人物画にはない、晩年の熊谷守一の画風を思わせる持ち味があって、それをそのまま油彩画に置き換えればひとつの様式になったはずだ。またアルミニウムの板を人物の等身大の形に切り抜き、それに油彩で彩色する二次元の彫刻も手がけていて、平面性の追求をさまざまな角度から行なった。そのことから本展の樹木画を見ると、それらが日本の風呂敷に見えて不思議でない理由がわかる。カッツは西洋の美術史の中で最も影響を受けたのは印象派と語っているが、印象派は浮世絵の影響を無視出来ず、したがってカッツは日本の絵画にも関心は深いと思われる。となればカッツの絵画の人気は日本でもっと高くなってもよく、やはりいずれ大規模な回顧展は開催されることを期待したい。カッツが今後どのように評価されるかわからないが、看板絵を越えて親密な情感をさり気なく漂わせているアダやその他の人物がモデルになった人物画は、アメリカの現代絵画にあって珍しく落ち着いた、しみじとした味わいがある。それはポップ・アートの文脈で語られる場合には見落とされやすいが、時代がかなり遠ざかればカッツは独自のものを見つめていたことがはっきりとするだろう。イメージをシンボリックに捉えることは日本では満画、アニメが大いに得意とすることだが、一見漫画的に見えるカッツの人物画の顔の各部分が、「福笑い」のように分解が出来、その組み合わせで表情の変化を作ったもの、すなわち漫画の手法を使っているかとなると、それは全く違う。1作ずつカッツは人物に向かい合い、その時にお互い交わした情感の表現に務めていて、AIを使って新たなカッツの人物画を作れば、それは心がないものになるだろう。その意味でカッツの分厚い画集は1点ずつが変化に富んで面白いはずだ。つまり筆者は88年展と本展のみでしかカッツのことを考えられず、それはカッツのごく一部を見ているに過ぎないだろう。美術史に学んでそれを創作に活用することはアカデミズムの基本だが、カッツはその正統なで独自のものでしかない絵画方法を見出した幸運な画家だ。その絵画は大量の試作の果てに生まれ、1000点の若描きを捨てたことは謙虚さを物語る。
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