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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱11月2日(土)、京都大宮高辻Live & Salon『夜想』にて👻👻『ザッパロウィン24』午後4時15分開場、5時開演。前売り3500円👽筆者の語りあり。

●『没後六〇年 洋画家 辻愛造』
時に起き 始発に乗りて 遠出する 知らない土地の 力点求め」、「いいものを 見て微笑むは 本能と 知りつつすねる 歪みを笑い」、「名はあれど 実なき人は 多かりし たわわに実り 名なしがよしや」、「残す価値 あるのは墓と 思い込み 子孫おらずに 無縁仏に」
●『没後六〇年 洋画家 辻愛造』_b0419387_14404806.jpg 3日前、阪急阪神1日乗車券を買って家内と出かけた。猛烈に暑い中を吹田の図書館を歩き回って目的を果たした後、西宮市大谷記念美術館に行った。初めて名前を聞く画家でたいして期待していなかった本展であったが、1階の南側に並ぶ代表作の油彩画は感心した。家内がそばに近寄って来た時、筆者は興奮しながら「名画揃いや!」と言った。それらの油彩画のみは撮影が許されたので、順に全部撮った。今日はそのすべてを載せる。辻愛造の没後60年記念展で、チラシの説明によれば作品の購入と寄贈があった1992年には常設展で展示し、それ以外にも同館は企画展を開催して来ているとある。今回は油彩画だけではなく、そのためにの鉛筆によるスケッチ、そして新聞の連載小説や児童向けの雑誌『コドモアサヒ』の挿絵、ガラス絵、それに死ぬ間際まで書き留めた絵日記など、およそ辻の全貌を紹介するものであった。辻は1895年に大阪に生まれ、1928年に香櫨園洋画研究所を設立し、大谷記念美術館のごく近くに最期まで住んだ。同館が作品を購入したのは郷土の画家を顕彰する意味合いからだろう。同様のことは日本中の美術館で行なわれていて、いつの時代にも全国的な人気はないが、よい絵を描く画家がいることを伝えてくれる。郷土の画家としての名声が一旦確立すると、それ以上にはなかなか有名にならないのが実情と思うが、画家本人は無名のままよりは自分の人生に意味があったと墓の下で微笑むだろう。郷土の画家という枠を超えて日本あるいは世界的に有名になることはきわめて稀だが、生前早くからその地位を確保すれば没後も定期的に回顧展が開催され続けるかとなれば、それは誰にもわからない。日本全土で有名になるには日展などの歴史ある公募展で注目されるか、あるいはTVに積極的に顔を出して芸能人的になるかの道がある。前者は美術の専門家には知られても一般にはそうではなく、後者はその逆となる場合が多く、画家の実力とは何かを考えさせる。それは芸術家としての表現力よりも世渡りの技術の有無が左右し、人間であるからには処世術も大切との意見は無視出来ず、画力がさほどなくても評判の高い画家は絵も人間も含めて魅力があるということになる。結局どのように自己プロデュースをして活動を続けるかで、売るためには何でもするというのが芸術家の本性でもある。その点で芸能人と全く同じだが、死後は何も残らない芸能人と違って自分で作った作品が残る分、死んでも生き残る可能性がある。その一例が辻愛造だ。大谷記念美が作品を購入したのは遺族から話があったのかもしれず、比較的安価であったのではないか。
●『没後六〇年 洋画家 辻愛造』_b0419387_14410731.jpg もう30年ほどになると思うが、京都市美術館が寄贈を受けた作品をまとめて展示したことがある。300号ほどの大作も混じり、どれも感心しなかったが、それなりに公募展で受賞した作品であるはずで、画家本人も遺族も売れればそうしたかったが、そうでない見込みであれば美術館に保存してもらおうと考えての寄贈になったはずだ。しかしそれらのほとんど一部の人にしか知られない画家の作品はその一度限りに展示のまま、今後長年倉庫で眠るだろう。美術館としても保存のスペースに事欠き、迷惑ということだ。それで館長が変われば考えもそうなって、寄贈は受けないことになる。さりとて売れる見込みはまずなく、遺族は処分に困って数十年後にはゴミとして処分する。辻愛造の作品がそうならなかったことは西宮市に長年住んで地元の美術振興に一役買ったからでもあるが、実際に作品は素晴らしく、歴史の証言者にもなっている。とはいえ辻の作品を全く知らなくても困らない人のほうが多く、筆者はそうしたことを昔からよく考える。ある日、たまたま出会った絵や音楽などに魅せられ、夢中になって長年記憶し続けることは誰にでもあるが、そのことで心や生活が豊かになったと思い込めることが幸福で、人生はその連続であることに気づく。ではたまたまのそうした作品との出会いがない人は幸福でないのかと言えば、他人の心は誰にもわからないから判断のしようがない。たとえば「風風の湯」の常連のFさんは全く美術に興味はなく、それがこの世にあってもなくても生活に影響がないと思っている。Fさんは音楽や本にも無関心だが、本人は至って幸福と思っているはずだ。芸術はあってもなくてもいいもので、筆者が辻愛造の作品に出会わなくてもさして生活は変わらない現実を思う。確かに辻の油彩画に感嘆したが、同じように未知の画家の作品は無数に存在し、筆者はそうした作品を知らないままに死ぬ。それが残念かと言えば、元来知らないのであるから、惜しいとは思わない。知らないということは存在しないことだ。Fさんの眼前に国宝があっても、Fさんはそれに何も感じないだろうし、知識や関心がなければ感動は生じない。話を少し戻す。筆者は期待せずに本展に出かけたが、予想外に作品の質の高さに驚き、新たな視野が開けた気分がしているので、わざわざ出かけた甲斐があった。だが辻の作品を知らないままでもそれなりに興味のあることに気が向き続けるから、筆者にとって他者の作品とは何かという問題が湧く。日本の郷土の画家の作品を少しずつ今後知って行くとして、そのことは切りがない。どこかで区切りをつけねば自分の人生がない。その点、Fさんは目と閉じて美術に無関心を貫けば、そのことに充足して何かに憑かれて疲れることもない。筆者の場合、知識と感情は豊かになるが、それは錯覚に過ぎないかもしれないし、実際Fさんからはそう見えるだろう。
●『没後六〇年 洋画家 辻愛造』_b0419387_14412501.jpg 誰しも重要な何かがあり、それを心の支えに生きる。他者の芸術作品がその助けをするかとなれば、そう思い込むという自己暗示をかけているだけで、それが出来ている間だけは幸福だ。辻の作品が存在しているので筆者は運よくそれに出会えたが、それは展覧会を見るために能動的に動いたからだ。知らない画家で見る価値はないと先入観に囚われればそのままになったし、こうして文章を書くこともない。しかし未知の、そして期待もしていない画家の展覧会を見るために他県まで出かけるのはよほど変わり者で、辻は今後も現在以上に名前と作品がよく知られることはほとんどないように思う。筆者が仮に辻の大ファンになってその絵画の価値を大いに宣伝しても60年前に死んだ辻にはそれがわからず、いわばどうでもいいことだ。好きな人はそう思えばよいし、嫌いな人は作品を見なればよい。嫌い、あるいは興味のない人にとっては対象の画家の作品がこの世から全部消えても何も思わないが、嫌いかどうかの判断がつかない未見の画家の作品が無数にある現実を、たとえば本展から知ると、人生の短さにたじろぐ。それはいつか読みたいと思っている本が何千冊も積み上がっている光景を想像するのと同じで、そこではたと気づく。他者の作品の鑑賞や、またこうして書く感想はどれほどの意味があるのかという疑問だ。筆者は心のもやもやを少しでも晴らしたいために言語化すると思っているが、そのもやもやは書くことでひとまず整理はついても、作品が内蔵する謎めきがすべて明らかにされるとは思っていない。自作ですらそうであるから、他人の作であればなおさらで、筆者が書く感想は思い込みであって客観性はほとんどない。ほとんどというのは、わずかにはある、あるいはそうありたいと思っているからで、自分の好悪に左右はされる部分はあるものの、作品の本質はどうにかしてひとまずは突き止めたい。芸術作品は作者の思いの反映で、その思いを他者に伝えるための技術、技法、工夫など、それらは前例に沿わずに全く予想外に立ち表われている場合はよくある。辻に話を戻すと、まず風景の写生が本画とともに展示されながら、構図はおおよそ似ている場合もあれば、どこを描いたのか不明な写生もままある。これは辻が各地で素早く写生しながら、何を把握しようとしたのかという疑問を突きつけている。5分を要さずに描いたかのような粗い写生を元に画室で油彩画を仕上げることは、よほど風景の印象を鮮明に記憶しなければ難しい。辻の油彩の風景画の面白さは、魚眼レンズで見たかのような、デフォルメを加味しながら遠近を強調した構図に、水色やピンク色をわずかに対照させながら色彩を絶妙に調和させていることにあって、これぞ油彩画と言ってよい貫禄がある。不思議なことは、写生は構図の参考に過ぎず、さまざまな物の形や配置を変えているのに、現実感が濃厚であることだ。
●『没後六〇年 洋画家 辻愛造』_b0419387_14414107.jpg そこには絵とは何かの問いが浮かび上がる。辻が写真家であれば気に入った風景を写真に撮った。しかし辻はそうせず、写真を参考にもしなかった。見えるがままの風景ないし写真に囚われることを否定しながら、出来上がった油彩画は現実をありありと伝え、また現実以上に美しい。それはよけいなものを削ぎ落し、重要と考えるものだけで現実を再構成するからだ。辻の場合、そこにわざとらしさがない。構図と色彩が見事に調和しているからで、現実を借りながら辻は自分の世界を強固に築き上げた。それが本来の絵画であって、その基本に則りながら辻しかない個性を発揮している。辻の名前がキャンヴァス上に記されていなくても、絵の価値は全く変わらない。絵のわかる人はいつの時代にも必ずいるが、遠い将来、辻の油彩画を見る人は、それがどこの誰であるかを知らないままに感動するに違いない。筆者は遅まきながらそのひとりとなって、辻の作品の前で感嘆の声を発した。これほどの名画であるのに本展を見た人はごくわずかであろう。その意味では無名に近いが、作品は一流だ。そのことに勇気づけられる。名声や金など、どうでもいいことをひとまず脇に置き、辻はどうですれば実際に見た景色を動かしようのない美して描くことが出来るか、その絵画で最も重要なことだけを考えたに違いない。その思いは必ず他者に伝わる。辻はそう信じたはずだ。チラシ裏面に「こよなく風景を愛した旅の画家」と書かれる。これは孤独を愛したことでもある。その孤独が癒されるのは絵になると思える風景に出会え、夢中でスケッチし、しばしそれを忘れた状態で後日スケッチブックを開いて感動が蘇った時、そして同じ場所にまた訪れて感動を確認するか、その必要を感じずに画布に向かう時だ。それら一連の行為は、孤独であってもそれを感じる暇がないほどに充足し、高揚する。そして見事なことは、脳裏に焼きつけた風景と意識の底にあるそれに対する感動を失わずに、またいっそうの現実感を描き切るその技量だ。したがって辻の絵画を模倣しようとすれば以上の一連の辻の行為を経る必要があるし、また模写すれば同様の迫力は生まれようがない。辻は各地を歩いて絵になる場所に遭遇した時、詩情を感じたはずだ。しかし歌を詠むのでは思いの表現は足りず、絵でしか伝え得ない視覚性の構成に挑み続けた。画家として当然だが、写真を撮って構図や色彩を予め確保しておくという方法は採らずに現地での感動を重視した。それは絵はがきになるような美しい風景ではなく、ごく卑近なもので、むしろ絵にならない風景であった。それが辻の手にかかると辻しか描けないような面白い絵になった。ここに現実よりもはるかに美しい絵画がある。それは理想化を意図していないにもかかわらず、そう仕上がっていて、西洋画の伝統に強くつながりながら、革新性がある。
●『没後六〇年 洋画家 辻愛造』_b0419387_14420041.jpg
 辻が時代を意識したかどうかはわからない。何でも流行があって、画家もそれに乗ろうと必死になる場合がある。時代の寵児と呼ばれたいのだ。褒められたい、ちやほやされたい、名誉も金もほしいというのが人間で、画家も例外ではない。寵児と持て囃された画家がその後どうなって行くかは誰も予想がつかない。筆者は中学生の頃に東郷青児の美人画の複製が知り合いの家に飾られていて、日活の映画女優を意識したようなその絵に全く感心しなかった。だが今はあまりそう思わない。日活の映画女優が過去に消え、東郷の絵が残り、それは時代の空気を吸いつつも東郷の当時の思いを正直に刻印しているからで、また技術的にも構成も素晴らしい。つまり寵児であった東郷はよい絵を描いた画家として今後も評価されて行くと思う。では寵児とは評価されなかった辻の絵はどうか。美術館が購入したので、西宮市がある限りは税金で展示はたまになされるし、いつか有名な評論家が大きく評価し、日本全国で名前が知られるようになるかもしれない。そうなってもならなくても、辻の強固で美しい画面は存在し、それに接してそう感じられる者は幸福だ。このように絵画とは個人と個人の心の接触に過ぎないが、顔も知らない辻とその作品を通じて人柄や意思が伝わることの不思議さは、幸運な出会いと呼ぶ以外にない。それは辻が各地を旅しながら絵になる風景に出会ったことと同じで、心が通じ合うことはそのように偶然がいくつも重なってのことだ。だがそれは偶然ではない。辻は表向きはたまたま絵になる風景に出会ったが、それは旅を続けたことによる必然の成果だ。筆者にしても本展を見に出かけたのは、必然的な、大げさに言えば運命で、その延長上にこれを書いているし、この文章を読んで何か思う人もそれは運命だ。このように芸術としての絵画は人の輪をいつでもどこでも形成するように存在している。それは音楽でも文学でも同じで、それぞれの作家にファンが生まれるし、芸能界でも同様だが、繰り返して言うが、辻の絵は無名であっても名画的実力をあますところなく描き切っている。これは名声に頼らないことであり、作品本位の格好よさだ。もう少し言えば、どんな素人でも絵を描くし、それなりの不思議とも言える何かを宿すが、辻の絵は素人は絶対に描けない。ではプロかと言えば、万人向きの売り絵という雰囲気を拒絶していて、前述したように美しい風景では全くない。ただただ画面構成と微妙な色彩の融合が完璧で、交響曲のように屹立している。話を戻すと、それは辻が生きた時代の流行であったかどうかだ。どの画家も時代が生むので辻も東郷青児のように時代色はあるが、古さを感じさせない。これを説明するのは難しいが、一言すれば古典絵画のように構図と色の布置が調和し、絵画の醍醐味をあますところなく表現しているからだ。
●『没後六〇年 洋画家 辻愛造』_b0419387_14421896.jpg
 今日の7点目の作品は1964年の「塩津」で、干した網を描く。過去のスケッチを引っ張り出して描いたもので未完の遺作というが、辻の頭の中には現場でごく簡単に写生した図から油彩画を完成させることが出来たことを示す。それは手慣れとなって、辻がもっと生きたとして、同様の技法で描き続けたことを想像させ、遅くても60年代に技術は完成していた。年齢からしてそれは妥当なことだが、この遺作を見ると辻が最期まで画力の冴えを失っていなかったことが明確に伝わり、そこに別の意味の感動を覚える。会場には辻や須田剋太ら5,6人の審査員が作品選評会で最前列に並んで意見している様子を撮った白黒写真数枚があった。須田はいかにも須田の作品らしい服と態度で、辻は真面目な様子で印象は薄かった。だが、須田の風景画は辻に似ているといってよく、同時代の同じ画家仲間であったことを思わせる。また須田は辻ほどに構図を厳密に捉えることはなく、どこか素人的なところがまた個性で魅力にもなっていたが、辻はもっと端正で、須田のようなオレオレと主張するような態度はない。それは体力や気力の差となって、生活力の差、引いては名声の差につながっているが、体力や生活力のある者がよりよい絵を描くとは限らない。本展では辻が病床にありながら描き続けた絵日記があった。それには筆力があまりなく、感心しなかったが、油彩画の活力ある画面とは違ったからで、体力が弱ると筆力も頼りないものになって行くことを思った。辻は人物画をあまり得意としなかったようだが、1932年の「酒場」は室内の群像を描き、ドーミエなどのフランス絵画を思わせる面白さがある。辻はまた大阪の繁華街や色街の風情を好み、梅田駅や道頓堀、天王寺公園などを人物とともに描いた戦前の風景画、それを元にした多色木版画、さらにはそれらを元にした戦後のガラス絵が展示され、今はないそれらの失われた風景は大阪生まれの筆者にはとても珍しく、興味深かった。飛田の遊郭は昔道に迷って入り込んだことがあるので、辻の絵からなるほど戦前はこうだったのかと納得したが、筆者はもうひとつ有名であった松島を全く知らない。西区にその名残りがあって、今も密かに客を引く若い女性がいると何かで読んだことがあるが、辻はその松島遊郭を好み、木版画にもしている。男がひとり左手に立ち、そのやや湾曲した道路沿いに並ぶ木造の家を見つめている風景画は、現場の空気までよく伝わり、辻がそこを愛した意味がわかる。その道がどこかわからないが、戦争で焼け跡となる前の雰囲気はまだわずかに残っているだろうか。辻は西宮市で死んだとはいえ、大阪生まれであったので、大阪の美術館が戦前の作品を積極的に収集し、展示もしなければならない。そのことは考慮されていると思うが、本展が没後60年であることからして、没後100年にならねば真の再評価はなされないのだろう。
●『没後六〇年 洋画家 辻愛造』_b0419387_14423575.jpg

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by uuuzen | 2024-07-17 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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