「
ネスカフェの 味は値段に ふさわしき 高価な豆の 味を知るほど」、「手を加え 凝るほどよしと 限らぬを 年増美人の 姿見て知る」、「モノ多く 不便な家は 老いによし 常に注意し ボケる暇なし」、「無益ほど アートと呼ばれ 金稼ぐ 人は眩暈を 好むからには」
今日は家内と神戸に出かけた。一番の目的は兵庫県立美術館で森田子龍の作品を久しぶりに見ることであった。ほかにも美術館を回ったので気が向けば本ブログに感想を書く。さて2月12日にも兵庫県美に訪れ、その後に横尾忠則美術館に行き、1階エントランスで461モンブランの演奏に接した。同美術館の企画展のチケットを持っていたので演奏後に同展を見てもよかったが、急ぐことはないと思い、そして今日になった。現存の画家の個人美術館が造られ、そこで企画展が開催され続けるのは画家にとってとても幸運なことで、同じ例は日本ではきわめて珍しい。丸亀の猪熊弦一郎美術館はその一例で、猪熊は開館して4,5年生きた。猪熊は画家になるにはアカデミズムを学ぶことは欠かせないと考えていたが、晩年になるほどマティス風と漫画を足して割ったような画風となって、それがアカデミズムとどうつながっているのか今でも筆者はよくわからない。横尾はアカデミズムを学ばなかったので、特に人物画についてはど素人と言ってよいが、では極限まで記号化した猪熊の人物画とどう違うのかという意見が出るはずで、アカデミズムを学んだことが猪熊の作品に顕著なのかという問いもあるだろう。しかし猪熊の絵画は色彩も含め、洒落た感覚が横溢し、筆さばきはいかにも達者で、若い頃に人体のクロッキーから初めて洋画の画技を専門に学んだ痕跡は確かに感じられる。猪熊はそのことを重視したのだろう。しかし優れた絵画がアカデミズムを学んだ者だけが到達出来るとの考えに筆者は与したくない。とはいえ、やはり若い頃つまり10代にしっかりと画材を自在に扱うことを学び始めなければ、歴史に残る名画は描き得ないとも思う。ただし、画家といえども収入がなくては描き続けられず、それには名声がなるべく広く轟く必要がある。横尾はグラフィック・デザイナーとして世間に広く名前を売り、その後の画家転身宣言をして画業を続けているが、横尾の画家宣言よりもっと昔、たぶん70年代初頭と思うが、元永定正は「デザイナーは与えられた仕事をこなせば収入があるからいいな」といったことを発言した。元永が誰を意識してその言葉を発したのか知らないが、横尾に限らない。当時のグラフィック・デザイナーやインテリア・デザイナー、あるいはファッション・デザイナーは多くの活躍の場所があって、人気者になった人物は多い。元永らの具体美術の画家たちは売れるか売れないか、そんなことを考えずにとにかく今までにない絵を描くことに必死に邁進した。そのことは筆者より上の美術ファンなら誰でも知っている。
それゆえ有名であった横尾が突如画家宣言をした時は何となく嫌な気がした。注目してほしいという思いが見え透いている気がしたからだ。画家は誰に注目されずとも黙って描けばいいではないか。グラフィック・デザインで有名な横尾がキャンヴァスに1点ずつ絵筆を走らせると、その作品に対してあからさまに批判を言うことは憚られるだろう。『あの有名な横尾先生に向かって何を言うか!』と、今ならネットで袋叩きに遭いかねない。しかし筆者は横尾のポスターの仕事も絵画の仕事も、これまで何度も展覧会を見て来たが、いいものを見たなと印象に強く残っている作品は皆無だ。つまり代表作がない。その理由を筆者は何年も考え続けていて、大量の文章で説明出来る気はしているが、ひとつ言っておきたいのは、世間の名声の大きさと作品の価値はあまり関係がないことだ。生前の名声ははかない。死んで半世紀も経てば関係者はみな死に、新たな世代が遠慮せずに作品を評価する。思い出したのでついでに書いておく。若冲人気が沸騰した20年ほど前、横尾はTVで次のように言った。「ああいう絵はもうとっくの昔に流行ったもので、今もてはやされるのがわからない。」そこには若冲人気に対する一抹の嫉妬が混じっていたが、横尾はその後蕭白に魅せられたようで、東京では現在の画家数名が私淑する江戸時代の有名画家との作品の比較展覧会があった。それを見ていないが、横尾が若冲を評価せずに蕭白を好むのは何となくわかる気はする。しかし蕭白は若冲と同時代の京都生まれの絵師で、ふたりに共通するのは極限に達した抜群の技術と、これ以上はない厳格な画面構成力だ。それを現代は芸大のアカデミズムで教えようとするが、江戸時代とでは10年は描き始めるのが遅い現代では江戸時代のような豊富な名画が生まれようがない。それはさておき、若冲ブームがあったのはいいことだ。何でも新しいものが一番いいとは限らない。それに名声を意識するとろくな作品は出来ない。名前は消えても作品の質の高さで千年以上大事にされるというのが本物の芸術だ。しかし現代はまずは名前を売ろうとする。それが達せられればどんなひどい作品でも芸術だと主張して素人を煙に巻くことが出来る。しかしそれも作家が生きている間だけのことだ。さて、横尾は故郷に錦を飾った形で、兵庫県が阪神大震災まで近代美術館として使っていた建物のすぐ北側に個人美術館が建てられた。筆者はこれまで三、四回訪れ、最後は7,8年前だったと思う。今回ひとつ関心があったのは、4階の窓から真正面に見えるキリスト教の教会だ。その
丸い薔薇窓の写真を以前に撮ったことがある。その部屋の内部を詳しく覚えていないが、休憩室のようにゆったりとした気分で窓から外を眺められた。しかし今日は驚いたことに、内部は鏡と写真を使って天地がひっくり返ったようなインテリアが施され、とても窮屈で狭くなっていた。
高齢になると、住み心地の悪い家のほうが歩き回るのに注意するので、認知症にはよいと何かで読んだ。わが家はあえてそうせずとも本やガラクタだらけで、蟹歩きせねばならない部屋ばかりで、肘や膝を襖や扉に思い切り打ち付けることがよくある。そのことを思いながら筆者は4階の『キュミラズム・トゥ・アオタニ』と横尾が命名した窓際の小部屋を一巡し、今日の写真を撮った。幸いなことに、眼前の教会は以前のように見下ろすことが出来る。この部屋は館が建った時からそれを売りにしていたのだろう。そしてもっと面白い部屋にするには、教会をモチーフにして部屋を鏡や写真で構成することが考えられた。「キュミラズム」はキュビスムとミラー(鏡)を引っかけた言葉で、アオタニはかつて横尾が暮らした場所という。この内部の設計施工は2021年に行なわれ、建築家の武松幸治が監修したとパネルに説明があった。似たものはさらに数年前に東京タワーの展望台に造られた。それはキャプテン・ビーフハートのアルバム『ミラー・マン』のジャケットの立体化と言ってよい『ジオメトリックミラー』で、別の建築家のものだが、鏡とLED照明が使用され、来場者の移動を妨げないように工夫されている。『キュミラズム・トゥ・アオタニ』はそれに比べるとあまりに狭い横長の空間で、そこに写真からわかるようにナイフ型に切った鏡を立体的に組み立てたから、以前のようにゆっくりと教会を見下ろす気にはなれず、物理的にもほとんど無理だ。特に気づいたことは、やはり実物の風景は気持ちがよいというごくあたりまえのことだ。いくら鮮明な写真を天井や床、壁に並べても、そこには光も空気も感じられず、却って安っぽさにいたたまれない気になる。それに今日の3枚目の上下の写真が示すように、天井はまだしも、人が踏みつけにする床に教会の薔薇窓の写真を敷き詰めている。これはキリスト教信者なら冒涜と思うに違いない。コラージュという芸術用語で何事も許されると考えるのは傲慢だ。来場者を驚かせる目的のためにこの空間が造られたのであれば、あまりに子どもじみている。東京にはいじわるベンチなるものがあって、行政はホームレスを座らせないようにわざと座面にひどい突起物を取りつけている。岡本太郎がデザインした椅子の中に、「座ることを拒否した椅子」と題するものがあるが、それはまだ座れる。この美術館の付近は昔から喫茶店やレストランがきわめて少なく、せめて美術館でゆっくり座れる空間がほしい。その意味でこの4階の部屋は以前はよかった。まあ誰もが忙しく、展示を見ればさっさと次に進み、すぐに忘れるというのが正しい鑑賞なのだろう。そう言えば昔クルト・シュヴィッタース展でシュヴィッタースがかつて造った部屋の再現があって、そのあまりに窮屈な内部は中途半端な『キュミラズム・トゥ・アオタニ』よりはるかに印象に残っている。
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