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●『舩木倭帆展』
メール 不審なものは 見ずに消す 時に騙され 人間不信」、「美しさ 理解出来ても ほしくなし たまにちらりと 見ては満足」、「健康は 頑丈の意と 知りつつも 筋肉鍛え 心は脆く」、「色ガラス 光にかざし 道歩き これが酒酔い あるいは夢か」
●『舩木倭帆展』_b0419387_18452094.jpg 大山崎山荘美術館でガラス作家の舩木倭帆(ふなきしずほ)の展覧会が7月15日から12月3日まで開催中で、アメリカの大西さんが京都にやって来た9月20日に見た後、今度は家内と一緒に一昨日に見た。同館地下の展示室のみは作品の撮影が許可されていて、今日の写真はすべてその内部で撮った。舩木の名前と作品を筆者は本展で初めて知った。今回は没後10年に当たり、また森田酒造の社長から3年前に本館が寄贈を受けた作品のお披露目となった。日本酒をガラスの器で飲むことは多いので、社長が舩木に好みのガラス酒器を発注していたかもしれない。作家にとってそういうパトロン的な人物に出会えることは幸運だ。舩木は自分の回顧展がこうした形で開催されるとは思っていなかったであろうが、よく言われるように作品は作家の手を離れるとひとり歩きをする。運がよければ収集家の手元にたくさん集まって、公にされる機会に恵まれる。しかし大半は歴史の波に沈んで稀に骨董屋で売買される。ネット時代になって何でも手軽に調べられるから、ある作品に興味を持つとまずそれがどこかの本に載っていないかを確認する。その意味で作品というモノそのものと同じほどに作品がかつてどう紹介されたかの情報が重要だ。その点、舩木のガラス作品は筆者のこのブログも含めてどういう個性を持っているかはネット上では伝わりやすく、新たなファンを獲得する機会が一気に増えたのではないか。パトロンに出会えるかどうかは作品の魅力次第で、それは作家の魅力でもあるので、魅力的な存在は必ず誰かを引きつけるとも言える。となれば、筆者のようにさっぱり作品が注目されない者は魅力がなかったのだと潔く諦めるしかない。そういう人は毎年無数に湧いて出て来るのが現状で、没後にしろ、本展が開催される舩木は選ばれし人ということだ。しかし舩木がどういう思いで作品を作ったかとなれば、本展のチラシ裏面に「共に暮らして心が和む温かくて美しいガラスを自分の手でつくりたい」とあって、これは民藝の精神と言ってよく、森田社長が本館に寄贈したことの意味もわかる。それは装飾過多ではなく、形もどっしりとしたもので、色合いも渋めで、舩木の作品はそういう要素すべてに合致している。しかし舩木が民藝に関心をどれほど抱いたのかは本展では伝えられず、作品のみを通して作家の人柄を想像するしかない。1枚だけ展示された舩木の写真からは、激しい精神を感じさせる人柄ではなく、物分かりのよい学校の教師といった雰囲気を思ったが、作家の風貌は作品の背後に隠れているのが理想で、芸能人張りに顔を売る作家を筆者は好まない。
●『舩木倭帆展』_b0419387_18453707.jpg 舩木は松江の窯元で生まれ、大学生になってガラス工芸を目指した。卒業後は大阪のガラス製造所、その後は東京に出てクリスタル製作所に勤めたながら自由な創作を目指して窯を開いた。その後北九州で活動し、広島で工房を開いたのが1987年で、その後死ぬまでの四半世紀を本格的な作家として活動した。窯元に生まれたことは示唆的で、舩木の器はどれも陶磁で作り得る。それをガラスで作るのはその独特の美を愛したからだが、透けない陶磁器と向こうが透けて見えるガラスの器とでは質感と視覚性の違いから、同じ形であっても全く違う感動をもたらす。陶磁器は触ってなんぼという肌触り感が命と言っていいのに対し、ガラス器はどれも同じで、冷たいながら陶磁器とは別の意味で割れるというはかなさが常にまといつき、どこか薄幸の美女を見るような趣がある。それは盛った中身が見えることとも相まって、たとえば中身の量が見えるワインの瓶のように砂時計的と言えばいいか、限りある命という思いに直結している。筆者はいろんな酒を飲み、たまには洒落た形の空き瓶をしばらくは手元に置くこともあるが、空き瓶ははかないもので、いずれどれも捨ててしまう。そこで舩木がそういうことをどう思ったかに関心があるが、本展で展示された器はどれも空の状態で、中身の色との兼ね合いの美しさまではわからない。舩木は内部に何を入れたり盛ったりするかを意識しないで、器のみで美しいことを目指したであろう。それは陶磁器でも同じことで不思議ではないと言いたいところだが、やはり違う。ガラスの器は内部が必ず見えるからだ。その点において同じ用の美としても陶磁器とは差がある。しかし舩木の作品は多色を用いず、一色の濃淡を特徴とし、内部のどのような色合いのものを盛ればより面白いかを鑑賞者に想像させる楽しみを提供していると言ってよい。これは作り手と使い手の双方の創造によって作品が生き生きとする点でやはり徹底的な、また慎ましい、分をわきまえた民藝であると言ってよい。また本展で展示されたように、単に飾っておくだけでも存在性を放つことは作家の精神性があらわになっていることであって、陶磁器のように仕上がりが偶然に支配される度合いが少ない分、そのことはよほど謙虚さがなければ嫌味な造形になってしまうことを想像させる。舩木の装飾性は地となる器と同色系の濃い色のガラスを表面に貼りつけることに概ねあるが、轆轤をどのように使ったのかと思わせる渦巻模様と、花弁や羽を連想させるガラスの薄い塊を均一な空間を保って貼りつけることのふたつの手法に分けられ、これがガラス器では難しい技法なのかどうかは知らないが、陶磁器よりははるかに少ない手法によるため、かなり禁欲的に見える。地のガラスの色は透明無地のほかは金茶や薄紫、緑や紺がほとんどで、派手な赤系統はないが、それをあえて使わなかったようだ。
●『舩木倭帆展』_b0419387_18455101.jpg どの色のガラスも自在に今は組み合わせることが出来ると思うが、そうしなかったところに舩木の持ち味がある。それはミニマル的と言い得るが、ミニマルの美術にありがちな冷徹さよりは柔らかさが支配的だ。それは方形を象っても器の縁がどれも丸みを帯びていることと、どの作品も断面が円形の筒を変形させて作られていることからも言える。それは陶磁器もと言いたいところだが、轆轤を使わずに粘土の板を貼り合わせる技法もあって、鋭い直線を多用した作品を作るにはガラスよりも土がよい。もっともガラス作家には板ガラスを切って貼り合わせる場合もあって、丸みはガラス作家特有とは言えない。さて、陶磁器とガラス器とでは、後者は出番が限られる。夏場はガラス器は涼し気でよいが、普通の家庭では冬は似合わないし、あまり使わないだろう。ただし酒器となれば、また洋酒では陶磁器よりも圧倒的にガラスで、中身が見える楽しみがある。一時期スケルトンの商品が流行したが、中身が透けて見えることが何でもいいとは限らない。裸女の体がガラスのように中身が丸見えでは誰しも興醒めするだろうし、中身は見えないほうがよい場合がある。そのことを陶磁器の長い歴史が物語っている気がする。したがってガラス器の生産量は陶磁器よりも少ないと思うが、日本酒やビール、牛乳の瓶、それにコップの量を思えばガラスのほうが需要が大きいかもしれない。いずれにしろ、民藝となれば圧倒的に陶磁で、ガラスの作家はこれまで目ぼしい人物はいなかったと思うが、陶磁は専門の美術館があって愛好家も多いことに比べてガラスはそうではなさそうで、その理由はなぜかと思う。ひとつは土を成形して焼く窯が今は手軽なものがあることに対し、ガラスの窯はそうではないからだ。それに吹きガラスは陶磁以上に体力を消耗しやすい。材料費についてはわからないが、ガラスの色は陶磁の釉薬以上に調合が難しいかもしれない。それでも舩木のような作家が出て来ることはガラス特有の魅力を思うからで、その魅力の核を探ると陶磁よりも神秘的ということに行き着く気がする。人間は死んで土になると言われるが、死んでガラスになることはなく、ガラスには純粋性の思いがつきまとう。筆者の子ども時代ではそういうガラスの神秘性は最初に多色の渦巻模様が入ったビー玉に感じた。ラムネの瓶の色は民藝的な薄い藍色であったが、ビールの茶色の瓶とともに、その藍と茶は風呂敷や暖簾のように江戸時代から特有の日本を代表する色で、卑近さゆえに強いて意識することはなかった。戦後は特に女性用の化粧品の瓶や香水瓶のその形と色に洋風が顕著になり、カクテル酒の色合いも伴って色合いが華やかなガラスの器が登場したが、そこに舩木の作品を対峙させると、モダンさとともに意識した、あるいは意識せずとも元来逃れない日本性が表われている。
●『舩木倭帆展』_b0419387_18460410.jpg 以前書いたことがあるが、本ブログか日記か手紙のどれかは覚えていない。小学生高学年であった頃、誰からもらったのか、買ったのか記憶にないが、濃い黄色のガラスを三角柱に組み立てたプリズムを入手した。どのように使うのかわからず、とにかく水平にして向こうを覗くと風景が山吹色に見える。それだけのことで面白みのない玩具だったが、その普段とはあまりに違って見える山吹色の景色をしばし楽しみ、近所を5分ほど歩いた。当時は車が少なかったので、視野が狭く、景色が黄色に見えても、足元さえしっかりしていれば危険ではなかった。その5分ほどの散歩をまざまざと思い出すのは、初めてのことで非日常的でもあったからだ。黒い瀝青材で無骨に接着された3枚の細長いガラスは手製であったのか、厚みが均一ではなく、またわずかに歪みがあり、景色もそのように見えた。たぶんステンドグラスに使うガラスのあまりを使ったものであったのだろう。その色ガラスを通して見る経験は後のサングラスへの関心につながったと思う。サングラスには黄色のガラスを使ったものがあって、そうしたサングラスをかけたことはないが、やはり世界は黄色に染まって見えるのだろか。筆者が手にした先のプリズムは濃い黄色で、飴色っぽく、そのガラスをサングラスに使うことは無理だったが、では濃い緑色のガラスをサングラスがなぜ使うのかという疑問が湧くし、またそういう濃い色のガラスを使ったサングラスは意外にすぐに慣れることが不思議だ。次に、四半世紀ほど前、京都市役所の前の御池通りを寺町通りにある平安画廊に向かって横断していると、ちょうど雨上がりの時で、そこに強い西日が差して風景全体が金色を帯びて見えた。同じ色合いの夕暮れ前の空気はその以前にも以後も経験したことがない。それは黄色のプリズムを通して見た眺めを想起させ、その非現実的な経験と稀に生ずる雨上がり直後の西日に満たされる風景とが交差し、現実が夢のような眺めを時に生じさせることに感心した。非現実的な光景は日常に起こり、夢をわざわざ持ち出して人間が描くまでもない。神秘は現実に存在し、画家のキリコはそのことに気づいて現実のものを描きながら非現実的な印象をつかみ取ろうとした。黄色のガラスを通して風景を見れば、それが黄色に見えることは幼ない子どもでも想像出来るが、実際にその行為を経験すると、想像したとおりではあってもやはり印象深い。黄色が赤や青でも同じで、現実をどこか夢のように思わせる浮遊感に色ガラスの効能がある。それは不透明な陶磁にはない。浮遊感は神秘的で、そうみなせばキリスト教の教会の薔薇窓がステンドグラスが使われることの理解が及ぶ。しかし宗教目的でガラスが使われるのはいいとしても、日常使う器の色のついたガラスは目にまつわりつき、意識を穏やかにさせないところがある。舩木の作品を手元に置いて使えばどうなのかはわからない。
●『舩木倭帆展』_b0419387_18461725.jpg

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by uuuzen | 2023-10-14 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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