「
どうすれば いいかわからぬ こと多し まずはごろりと 一眠りして」、「ひとりでも 理解者あれば 安らぎて そのひとりとは まずは吾なり」、「取り合えず 目の前のこと 片づけて 悩みのタネを 一時忘れて」、「バタバタと 暮らしながらに 気にかける ことの多さに なおバタバッタ」
先月末、筆者がいない間に平安神宮から火焚串が届いていた。この串は節分会で神宮境内で燃やされる。15年ほど前に自治会長をしていた頃、毎年この串が3本配布され、副会長と会計に配って、3本分の600円を自治会費から出していた。1本200円を神宮へ納付することは相変わらずだが、そろそろ300円に値上げされるかもしれない。今回知ったことはわが自治連合会では50本が配布されたことだ。14の自治会があるので一自治会当たり3本配れば8本残り、それを連合会の会長、副会長、会計で分ければよいが、前任の平安講社の代表者は、各自治会に対して加入世帯数の比例割で配っていた。それでそれに倣って14の自治会に何本配るかを計算すると、1本から9本までの開きが出た。これは自治会によって最低30世帯から最高300世帯まで開きがあるからで、世帯数の多い自治会の本数を多めにしても自治会長の顔のつながりで、たとえば9本でも容易に回収出来るとの考えだ。しかし今年はその最大の自治会の会長が「風風の湯」の常連のMさんで、今月5日に9本持参すると、数日後に家族全員と孫の名前を1本ずつに書いて届けてくれた。つまり他の自治会世帯には一切配布しなかったのだ。副会長や会計に配ればいいのに、それが出来にくい事情があるのだろう。50本は全部協力してもらえないことを前任者から聞いていたが、そのとおりで、10本が無記名で返却された。普通の感覚では自治会長自身が1本は自分の名前を書くと思うが、それは甘い考えだ。現実は200円でも惜しむ人が少なからずいる。ある男性はカトリックで宗派が違うと理由を述べたが、同じ人物が同時期に実施された松尾大社への寄付はしている。松尾大社は地元の氏神で、平安神宮は京都市民全員の神社であると言っても理解してもらえず、結局返却された10本を大急ぎでわが自治会の知り合いに配ってその場で書いてもらった。10本の2000円は筆者が負担してもいいが、それでは御利益がない。そこでみかんや酒など、200円では済まない商品を持参して頭を下げて書いてもらった。みな古くからの知り合いで頼みやすく、来年も持って来てと言われたが、来年は自治会世帯数比例割ではなく、別の分配方法を考える。自治会長だけへの押し付けはよくないからだ。夏に配った神宮の神苑券のように自治連合会や各種団体委員にも負担してもらうのが筋ではないか。それはともかく、今日は50本を平安神宮に持参し、昭和初期の雰囲気の社務所に入れてもらった。床は白木が擦り切れて年輪がひどく浮き出ていて、清潔で風格があるが、脆弱でもある。
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