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●『交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界』
ンコツに なるのが早い 肉体も 頭脳は別と 言うはよきこと」、「混沌に 見えて必ず 規則あり 規則正しき 人が無茶する」、「神の像 何とはなしに オーラあり その目見つめて 力持続し」、「神々は がみがみ言わず 無言なり 世話する人が 安心得たり」
●『交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界』_b0419387_13422835.jpg 23日にみんぱく(国立民族学博物館)で本展を見た。会場内は撮影自由で、本ブログの投稿のために撮った写真が17枚ある。それらを全部使うとなると原稿用紙で50枚以上は書かねばならない。図録を買わなかったので、書きたいことはほとんどない気がしているが、数百点の展示作品の中から選んで撮った写真が17枚あるのは、特に心が動いたからで、せめて数枚は使いたい。ところで、本展に足を運ぶ人はインドの何に関心があるのだろう。もちろん人さまざまで、インドにかつて旅をしたことのある人はその時の空気を思い出したいからだろうし、筆者のようにインドにことさら興味はないが、みんぱくでの展示なのでまあ見ておこうといった程度の気軽な者もいる。そして気軽であれば多くの展示をざっと見ただけでは文章にするほどのことが書けるはずがない。こうして書き始めてそのような戸惑いがあることは、実はインドがつかみどころのない国であることに気づいてもいるからだ。本展の題名はインドでは神と人が交感していることを示し、それほど信心深いのかと思いはする。神との交換はインドに限らず、世界中のどの国においてもなされているはずだ。その中で無神論者はわずかであっても混じるはずで、インドも全国民が毎日神と交感しているとは信じ難い。それでも程度の差として日本よりは神がおそらく日常生活に入り込んでいるのだろう。しかしそれは誰も断定出来ない。日本には神社や寺が無数にあり、お祭りも子どもの頃に経験するから、神ないし仏と人のつながりは形は違えどもインド並みにあると考える人はいるはずだ。そしてつながりは強くても信心となればまた別の話で、交感という形で神仏に日々接している人は少数派であって、日本は無宗教に近いと筆者は思っている。だがそれもある宗教の信者にすればあまりに的外れな考えで、「神と人の交感」 は生活の重要な要素になっていると言うかもしれない。さて、本展はいつものみんぱくの企画展と同じく、展示物がとても多く、異国情緒たっぷりのそれらの「モノ」が訴える力を感得してもらおうという趣旨だ。だがインドの神々にまつわる「モノ」はその気になればこの半世紀で日本の至るところで目に触れ、また購入出来るようになり、珍しくなくなっている。それは本展以前にこれまでインドの文化を紹介する展覧会がよく開催されて来たからで、筆者はそれらの図録を10冊ほどは持っている。これは言い換えれば、本展は手変え品変えの展覧会で、筆者と同程度にインドに関心のある人の目にはもはや珍しいインドの「モノ」はないことを意味する。
●『交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界』_b0419387_13425868.jpg
 そう思うので筆者は本展を大いに期待して見たのではなく、結果的にこれまでの考えを一変させる「モノ」に出会えなかった。そのひとつの理由はみんぱくが展示する「モノ」は民族の特性をよく表わす民藝的なもので、個人の美術家が制作した芸術品ではないからだ。日本では無名の職人が作ってその後民藝作品となったものと、最初から芸術を目指した一点制作品のふたつがあって、美術館が展示するのはもっぱら後者だ。前者に光を当てたのが柳宗悦で、彼は日本だけではなく琉球や朝鮮半島にも同じ味わいの「モノ」がたくさんあることに気づき、それらの収集と展示に人生を費やした。そして無名の職人が作ったものではあるが、むしろ最初から芸術を目指して作られた芸術品よりも健康的であると主張したが、それは大いに説得力があり、無名であろうが有名であろうが、作品に接した時に覚える感情が大切で、柳のように民藝の作品のほうが芸術家のそれよりも面白いと思う場合は多々ある。それに柳の思想に共鳴した陶芸や染織の作家は民藝風の味わいを濃厚に持ちながら作家の個性も強烈に表現し、民藝と芸術の区別は曖昧になっている。一方、生前はとても有名であったのに没後顧みられなくなる芸術家は少なくなく、数百年後に彼らの名声がどうなっているかは誰にもわからないが、それほどの年月が経った頃に民藝と同じく、作品のみが訴える力によって再評価されることはあり得るし、またそれが真の芸術だろう。ところでインドでは民藝と芸術の関係はどうか。残念ながら日本でのインド関連の展覧会はほぼすべて前者で、後者の芸術家の作品の紹介は筆者の知る限り、70年頃の一度しかない。京都で同展を見て薄い図録も買ったが、記憶している作品も作家名もない。それはインドには欧米や日本のような芸術家が少ないことを意味するのだろうか。貧富の差が激しいインドでは、カーストの最上部にいる富裕層は屋敷を飾るための芸術作品を当然欲するであろうし、それは欧米で学んだ画家の大画面の作品であろう。前述の日本でのインド現代絵画展では彼らの作品が並べられたはずだ。明治の日本の洋画家はパリに学び、フランス絵画の日本版といった歴史をたどり、戦後はアメリカの影響を受けたものとなって、その意味では日本に長らく住む者としては日本の洋画はとても理解しやすい。ところがインドはイギリスの植民地であったので、インドの現代絵画はおそらくイギリスの影響を受けていると思うが、そうなると洋画に対する考えは日本と違ってあたりまえで、その異質さもあって日本ではわざわざインドの現代絵画を紹介する必要はないと考える向きが多いのではないか。それはひとつには日本がインドよりも早く欧風化したとの自負があるからだろう。またそのことによって韓国や中国、あるいは他のアジア諸国の現代絵画も強いて取り上げる必要はないと高をくくっているかのように見える。
●『交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界』_b0419387_13431938.jpg これは以前に少し書いたが、筆者は韓国の先駆的現代画家のヨーロッパで売られた画集を持っている。もう物故した画家だが、画風は朝鮮の古い陶芸作品にどこか通じる抽象性があって、日本にはないものだ。そこで韓国は韓国なりの造形感覚の歴史があり、それが無名の陶芸職人に著しく発揮された時代から現代では絵画に才能が顕著に出ていると想像するのだが、そこには民藝と芸術がつながる問題とは別に、現代絵画はどの国にも生まれるもので、日本だけがアジアでそれをリードしているとは思えない。しかし日本ではそういうアジアの各国で有名な現代画家をほとんど紹介しない。たとえば5年ほど前か、たまたまネットで個性豊かな韓国の画家を知った。その名前が李満益と知り、韓国のサイトで分厚い画集が出ていることを知った。日本円で5000円ほどで、メールで問い合わせると、日本から買える方法がない。筆者はフランスからよく本を買うが、隣りの韓国からは買えないという現実を知って驚いた。そしてそのほしい本が欧米の本屋のサイトに出ているかと調べると、一冊もない。一方、ネット・オークションで李満益の版画とは知らずに売っている人がいて、1万円を半額に値引きしてもらって買ったことがあるが、かなりの大画面でわが家には飾る場所がない。彼の作品もやはり韓国の素朴で温かい陶芸に通じる独特の味わいがある。李朝の民画的な色彩に通じながら、家族愛などを感じさせる意匠性は見事で、誰かから影響を受けた、あるいは模倣した形跡はない。そのことから想像するに、インドでも現代の画家は他の国の模倣でない作品を描いている人が大勢いるはずだが、残念ながら日本でインドの展覧会となれば、古代か本展のように現代のチープさ満載の民衆の間で流通する印刷絵画や小さな人形しか展示しない。その理由は現存の画家の作品を国立の施設が展示すると、その画家の利益供与に直接つながるからだろう。別の理由は、あまりにも紹介されないから、誰もインドの現代絵画に関心を持たないからで、その悪循環によって日本の展示機関がさらに紹介に二の足を踏む。またそこにはまともに論評出来る人材もないはずで、日本で展覧会を開催しても大赤字になるだろう。そこから見えることは、本展も結局は利潤を目当てにする見世物ということだ。話を戻して、一部のバラモンが愛玩するようなインド現代絵画の展覧会は意味がなく、大多数を占めるごく普通の人々における民藝ないし美術意識に焦点を合わせることがインドを端的に知る手だてになるという考えもわかる。インド現代画家の中で欧米で人気を博す者が出て来れば事情は違って来るだろうが、一時中国の現代美術家がTVでもよく紹介されたのにその後ぴたりとそれがなくなったのは、文化交流以前に国家間の関係があって、たとえば嫌韓嫌中の人々の声が大きければ、敵視する国の文化よりも日本のそれを紹介することに傾くからだろう。
●『交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界』_b0419387_13434418.jpg 以上は本展とは関係のないことだで、展覧会は展示物そのものの世界に遊べばよいとの意見があろう。しかし展覧会から何を感じて何を考えるかは自由で、展示物から外れたようなことに想いを巡らしてもよい。それに日本で開催される展覧会を全部見続けても、それは世界の美術のごく一部に過ぎないという思いを常に保持することは必要だ。そうでなければあまりに狭い視野において美術を捉えることになる。また話が脱線するかもしれないが、なぜ美術展に頻繁に行くのかと問われると、斬新な驚きの感動がほしいからだ。しかし千や二千もの展覧会を見て来ると、その感動は減って行くと言ってよい。高齢になって感動する心が鈍るゆえという理由と、昔に見た記憶があるからだ。どんな経験でも最初は鮮烈だが、二度目以降はそうではなくなる。一方、初めて知る画家の作品に接すると感動が必ずあるかと言えばそうでもないし、大家と目されている人でもさっぱり面白くない絵ばかり描く人はいる。半世紀ほど展覧会を見続けて来て思うことは、あらゆる作品を見たが本当に好きなものはごくわずかという事実だ。その思いがあるので常に脳裏に自分の未知なる作品を思い浮かべるが、話が逸れ過ぎるので、話題を本展がらみに戻す。わが家にはインドの民芸品がいくつかある。最初に買ったのは万博公園内の日本民藝館の売店で売られていた紙製の仮面だ。40年ほど前だったと思う。1500円ほどで、大いに気に入った。それと同じものが世界の仮面を特集した本に載っていて、三つの仮面で一揃いであることを知った。筆者が入手したものはその三つのうちの代表格のジャガンナートで、その正円の大きな二個の目玉の描き方に魅せられた。人か動物か、似た顔の生き物はおらず、やはり神ということだ。なぜ売店で売れ残っていたのか知らないが、それを見つけた時は狂喜した。当時韓国の仮面に興味があって、それと同じくインドの民藝の代表作の気がしたが、誰しもそう思うので民藝館で売られていたのだろう。本展でもそれら三つの仮面は展示され、ジャガンナートは筆者が所有するものと全く同じ人物が同じ時期に作ったものであるのは間違いない。インドの仮面職人は李朝の民画や近江の大津絵のように、手慣れた筆さばきで手抜きせずに着実に隅々まで描き込み、神々への親しみを込めた愛が感じられる。安価な仮面ではあるが、これ以上の豪華さは望めず、逆に手抜きもあり得ない。無駄な装飾がないと言えば誤解を受けかねないが、神を文様で飾る行為をふんだんに行ないながらその装飾性がそのまま神への賛美となっている。その意味での無駄のなさで、李朝の白磁のような無文様ないし、ごくわずかな絵付けという意味ではない。つまり全体としては文様は過剰気味であるのにそう感じさせない。それがインド人が思う神の姿だ。
●『交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界』_b0419387_13440965.jpg 富士正晴はインドには想像を絶する宗教があるのだろうと書いた。それは熱帯の植物を思い浮かべればよく、妖艶で華麗、豊穣で混沌としているが、そこには一定の規則はある。その規則を遵守しながら、豪華な神像は装飾を過剰に施すか、あるいは形を大きくする。そしてサイズが違っても同じ神像であれば同じ意味を持つことは日本の仏像からも容易に想像出来る。さて、ジャガンナートを入手した後、残りふたつの仮面をどうしても入手したくなった。しかしネット時代ではなく、現在のようにインドやネパールの民芸品を扱う店もまだほとんどなかった。それに日本民藝館の売店もたぶんかなり以前に購入して売れ残っていた1点であろう。みんぱくには同じものでもっと古い制作のものが所蔵されているが、半世紀ほど以前のものもほとんど形も絵付けも大差ないだろう。さて息子が3,4歳頃、筆者はキモノの仕立てをしている日本画家の女性と知り合い、彼女から筆者より5,6歳若い日本画家を紹介してもらってお互いの家を行き交う間柄になった。彼は当時生協のトラック配達員をしていて、毎年2月にインド旅行し、インドの風景を画題に描いていた。ある年、ジャガンナートの仮面を見せながら、残りのふたつの仮面をインドで探して買って来てほしいと頼んだ。そして筆者が日本民藝館で買ったジャガンナートよりは一回り小さなサイズの三つ揃いの仮面を買って来てもらった。それらを金縁の額に入れてずっと飾っているが、魔除けになるという思いも少しはある。筆者が惚れ惚れした造形はみな筆者を守る存在になるという意識はある。これは自分が好きなものだけに囲まれて生活したい思いだ。女性と違って男は収集家がよくいるが、筆者は何か特定のものを誰よりもたくさん集めるという執念はない。伏見人形に関心を抱いて可能な限り集めても、その可能というのはささやかなもので、郷土玩具収集家がよく1万や2万点集めることにとうてい比べられない。大量に集めても本当に好きなものはごくわずかなはずで、インドの民藝品については筆者は最初に買ったジャガンナートの仮面ですっかり満たされた。いや、厳密に言えば同じ時期か、京都三条の十字屋であったか、光沢のある紙に原色印刷されたA3サイズほどの女神像を買った。丸めたままに保管しているそれを探すのが面倒なのでこのまま書くが、青い顔をしたふくよかな正面顔の美女で、その眼差しにぞくっとしたものを覚えたが、多数いるインドの神の誰かは今もわからない。その描写は定型化したもので、たぶん似たものはインドのお土産店に行けばいくらでもあると思うが、影のつけ方や写実性はヨーロッパの影響を受けたに違いなく、イギリスの植民地になる以前にはなかった絵画技法ではないか。もちろん本展では似たものがたくさん展示されたが、筆者が買ったものは夜の女神といった雰囲気で、それが不思議な魅力を放っている。
●『交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界』_b0419387_13450232.jpg どういう神かがわかれば、その神の物語からこの絵に描かれた細部の意味もわかるはずだが、インドのそうした神々の物語を知ることはギリシア神話以上に敷居が高い。さてその後もインドの民藝品を買った。たとえば京都の高島屋でどういう催しか忘れたが、30年ほど前にシタールかヴィーナか、ギターの棹のような弦楽器を爪弾く女性像の木彫りを見つけた。10個ほどがワゴンの木製の箱の中に乱雑に収められ、ひとつ200円ほどであった。その安さに納得が行く荒い手彫りと彩色で、インドに音楽の神がいるのかどうか知らないが、買った当時から柱に吊り下げている。またネットでたまたまガネーシャの高さ8センチほどの鋳造製の像を見つけて2体買った。あまりに小振りで飾りとして置き続けても邪魔にならないが、その場所にガネーシャの像を同じ状態で据えているとの意識を忘れたことはない。本展には絵画も含めて色鮮やかなガネーシャ像がいくつかあって、環境に配慮したガネーシャ像が4点横並びに展示されていて写真を撮った。今日の最初の写真がそれだ。環境に配慮とは現代的で面白い。インドのある地方では巨大なガネーシャを作って祭りに使った後、それを川に沈めてしまう。毎年新たに作っては同じ場所に沈めるので環境汚染の問題が出て来た。それで水に溶けても無害な絵具を使うようになった。日本の燈篭流しや鳥取の流し雛などの風習と同じで、今は流した後にすぐに回収するか、水に溶けても環境汚染しない素材を使う。さて、ジャガンナートの仮面が民藝館で売られていたことは、インドの神像はお土産になる安価なものが多いと想像させる。もっと言えばインドは民藝の国で、大金持ちが現代画家の作品を買うとして、彼らも普通の民衆と同じく神の像を求め、またそれは民藝的ではあってももっと華麗に彩られたものではないだろうか。たとえば今日の2枚目の写真だが、手が何本もある女神像は人の背丈ほどあって、しかもその装飾があまりに煌びやかでこれ以上施す隙間がない。これぞインドという印象を持つが、こういう神像は誰がどこに据えるのだろう。ヒンドゥー教の寺院であろうが、それが筆者にはイメージしにくく、金持ちの祭壇ならばこれほど手の込んだ像の設置が可能ではないかと思う。またこの女神像は手間が大いにかかっているとはいえ、基本は民藝的で、現代の芸術家の創作ではない。またこうした神の像を作る人たちはカーストではおそらく底辺に属し、普段は安価な材料と短時間を費やして最下層の人々でも容易に買えるものを作っていると思うが、3枚目の写真のように、本展では車に貼る印刷されたシールにも神々が登場することで、インドの神々は庶民に馴染みのキャラクターと化していることが紹介された。日本の大黒天や弁財天、布袋など相当するが、インドでは神々はもっと民衆の生活に深く入り込んでいる。そうでなければ車にわざわざ貼らないだろう。
●『交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界』_b0419387_13452423.jpg
 そうしたステッカーから思うに、昔日本で流行ったチョコレート菓子のおまけであったビックリマン・シールは、インドの神々の影響を幾分かは受けたと思う。それは多彩で意味不明の像という意味においてで、いわばイメージの無茶苦茶な合体だ。それを子どもは時に面白いと感じるが、あらゆるものを出鱈目に合体させた像はほとんど無意味の遊びだ。そういうものは日本の妖怪にもあると言いたいが、古くから伝わる妖怪はそれなりの意味を担っての形であって、出鱈目に奇妙な像を作ろうとした意識による産物ではない。インドの神々も同様で、手が4本や8本あるというのはその神の物語に基づいてのことで、こうすればより面白いという無邪気な遊び心からではない。したがってたとえば日本人がインドの神々を勝手に分解合体させればそれはインド人にとって意味不明か冒涜に映るだろう。たとえば恵比寿の神が鯛ではなく、イルカか鮫を釣り上げている図だ。描いた画家はパロディか奇妙さを得意がってのことかもしれないが、その出鱈目に作り上げた像は個人の夢の中の産物に過ぎず、無邪気であろうが、その反対に驚きを意図したものであっても、多くの人の賛同を得ず、感動を与えることはない。逆に言えば、インドの神々は長い歴史の間で形が定まって来たものであって、個人による改変は許されない。それがあり得るとすれば、文様を多色で描くか、鏡や宝石を用いて光らせる程度で、大本の形は厳密にある。しかし繰り返しになるが、インド人なら誰が見てもわかるそれぞれの神の特徴は神々の物語に準拠しているはずで、その物語を知らない者には理解し難い近づきにくさがある。とはいえ筆者がジャガンナートの実物の仮面を見てそれがほしくなったのは、物語を背景にしながら、仮面の作り手がその神の本質をいかに誰にでも容易に伝わるように抽象化しつつ装飾化して来た美の意識を直観したからで、それはインドの造形に限らないが、言葉を超えた視覚性の強みがある。ガネーシャの像にしても、象を象ることは豊かな実りをもたらす水の神様を思ってのことで、日本の大黒恵比寿を思えばよく、そのことは大小にかかわらず、どのガネーシャ像からも伝わる。4枚目の写真は絵本や塗り絵で、インドの神像がアニメのかわいいキャラクターのように描かれ、インドの子どもたちが幼ない頃から神像に馴染む様子が伝わる。日本では仏像が同じように子ども向けに扱われる例はほとんどないが、『一休さん』のアニメはわずかでも仏教への意識を植え付けることに役立ったかもしれない。また大人になれば恵比寿や弁天、大黒はさまざまな場面で遭遇するが、絵本や塗り絵には登場しない。そこがインドと日本の大きな差で、前者では神々が幼少時に刷り込まれる。それは筆者の想像だが、インドの神々は日本で言う道徳を兼ね備え、正義の味方のヒーローとして機能しているからだろう。もちろん御利益も大いにある。
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 会場では写真パネルが目立った。今日の5枚目の写真は土製の小さな神の仮面を作る工房の様子で、型抜きした後、焼いて絵具で彩色する工程は伏見人形と同じで、素朴な民藝そのものだ。こうしたものはどれも安価なはずで、大量に作って売らねばならず、いっそのことプラスティックで大工場で大量生産すればいいようなものだが、伏見人形が今も作られているのと同様、手作りの味わいは他に代用出来ず、それに機械で量産するほどに売れるものでもない。これは紙製の仮面も同じで、その意味でインドは今後も民藝の代表国として存続すると思われる。6枚目の写真は同じ手作りの職人でも、山車に載せる巨大な神像を作る様子で、これは青森のねぷたのようでありながら、その肉感的な筋肉の盛りつけや動きを表わす技量は一流の彫刻家と言ってもよいほどで、インド古代の石像の伝統にやはりヨーロッパ芸術の影響も感じさせる。特に見入ったのは写真右下の女神の面相を描く男性の真剣な表情だ。彼の眼付は女神のそれを同じで、そこには女神の顔を描くことを女神を地上に現わしているという矜持がよく伝わり、もはや素朴で拙い民藝と高度な芸術の差はない。本展で一番印象に残ったのはこの上半身裸の男が女神の目を描き込む写真で、これだけを額に入れて飾りたいほどだ。神の像でなくてもすべての作品と呼べるものを作る時にはこの男と同じ真剣さがなければならない。そうでなければ作品に魂が入るはずがない。多くの人が見る、そして参加する年に一度の祭りに費やすこうしたエネルギーは日本と共通するが、毎年作っては壊すにもかかわらず、これらの人の背丈の倍はある巨大な女神像は、そのままブロンズに鋳造しても通用する高度な造形で、古代から続きながら現代的でもあって、こうした神像とは関係のない欧米風の現代芸術を考えることが難しい気がするほどだ。さて、本展で気になったことは、広大なインドが南北でかなり文化に違いがあることだ。本展の2階ではあるパネルに「ここでは北インドの季節と暦に合わせた展示をしている」との説明があって、先の女神の目を描き込む写真も北インドで撮影された。前述した筆者の友人の画家もいつも北インドを訪れていると言っていて、南には入り難いと聞いた。簡単に言えばもっとディープで、またそれゆえの面白さもあるのだろうが、神像の南北差がどのようにあるのかないのか、この点も筆者には敷居が高い。一方、北はチベットに近い分、神像の造形がよりしっかりとしている、つまり精緻であろうことは想像出来る。そこにはチベット仏教とインドのヒンドゥー教の神像との共通点や差異がどのであるかの興味深い問題が横たわっているが、仏教以前にヒンドゥー教があって、仏像、特にチベット仏教のたとえば手が4本や8本、顔が三つといった仏像は、ヒンドゥーの神像から様式を借りたものであることは容易に想像出来る。
●『交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界』_b0419387_13461715.jpg
 これは興福寺の阿修羅像がヒンドゥーの神像の日本化と言ってよいことで、そのように見るとインドの神像により親近感が湧く。また阿修羅像がインドの影響を受けているとすれば、日本におけるインドのイメージは日本に仏教がもたらされた頃に始まっていることになって、たとえば白描の簡単な素描などによって知識人の間ではヒンドゥーの神像がどういうものかは古くから伝わっていたのではないかと想像させる。そのインドのイメージの伝達の歴史において日本が積極的に参画したのは岡倉天心や横山大観、菱田春草にあるように、明治からだ。それは純粋な芸術との意味においてで、民藝的範囲で交流があったことの紹介が本展でなされた。日本が輸出業で大きな利益を得る重工業が発達する以前、タイルや燐寸をインドに輸出していて、その作例が展示された。今日の7枚目がタイル、8枚目が燐寸のラベルで、これらは日本のごく一部の企業が輸出用にデザインし、製造したもので、日本国内では販売されなかったようだが、一部にしろこうしたインド的デザインを日本が担っていたことは、インドの正確なイメージが根付いていたことを証明する。しかしそれらのイメージを積極的に日本の仏像や神像その他と合体、融合させることにはほとんど至らなかった。またインドの神像のイメージが日本で本格的に受容されるのは1960年代のイギリスを中心とするミュージシャンがアルバム・ジャケットなどに使うようになってからで、ビートルズのジョージ・ハリソンがシタールの音を曲に採用したことの驚きは大きかった。そこでイギリスにおけるインドのイメージの流布が日本のタイルや燐寸以前にどのようにあったかの疑問が湧くし、そのことに焦点を合わせた展覧会を見たいが、それについてはイギリスが関係することで、みんぱくでは研究されないかもしれない。さて、最後にするが、9枚目の写真は上がLEDを使って装飾する現代の神像の衣装だ。これらは本展のチケットやチラシに印刷された幼児としてのクリシュナが着るもので、日本のお地蔵さんに服を着せるのと同じ感覚で、インドの人々は幼ない神像を豪華に飾り立てる。しかも色を超えて光を求めるところがインドらしく、日本の感覚からは遠い。その意味では日本はいかにも保守的、生真面目で、古くからのものをそのまま保存して行くことを好み、そこにワビとサビの精神を見るが、今後はどうなるかはわからない。9枚目の下は前述したジャガンナートらの三つの仮面で、右端がジャガンナートだ。耳のように見える両脇の突き出たものは神の腕ないし拳で、その象徴的単純化はそう言われなければわからないものだが、一旦覚えると忘れない。ただしこれら三つの仮面がどういう関係を持ってどういう物語を作っているかまでは知らず、また積極的に知る気もない。正義を守り、悪を滅ぼすことは確かなはずで、そのことに庶民の人気があるはずだ。
●『交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界』_b0419387_13465055.jpg

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by uuuzen | 2023-11-28 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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