「
深海魚 日月見えず いつ眠る 夢と現実 どう区別する」、「パジャマ着ず 邪魔な衣服は 不服だと 裸で眠り 踊る夢見て」、「滝業に 興味抱いて うたせ湯を 二日に一度 痛み想いつ」、「戯れに 妻に撮らせし 我が姿 一枚限り いつもOK」
今日は家内と京都国立近代美術館に行った。去年の夏も一緒に訪れた。その時に家内に撮ってもらった写真がある。館内1階の休憩所東端の壁面に紺色と黒の中間の色合いで描かれた滝のような絵があり、それに対面して西端の壁は同じ画家によるのか、大きな円が描かれる。
それを背後に家内に撮ってもらった写真は去年の七夕に投稿した。その写真を撮った直後、筆者は前述の滝のような絵の前に立って家内にもう1枚撮ってもらった。どちらも帰宅して投稿用のサイズに加工する際に初めてうまく写っているかどうかがわかった。家内はカメラの操作に不慣れで、ズームの仕方も知らず、ファインダーを覗いて適当に撮る。筆者がなぜその滝のような巨大な壁画の前で撮ってほしいと思ったか。それは水玉模様の上下服が滝のしぶきを全身に浴びていることに通ずると思ったからだ。さて、今日の筆者は去年とほとんど同じ格好で出かけた。そして企画展を見終えた後、去年と同じように1階の広々とした休憩所に行き、しばらく椅子に座って休んだ。外は猛暑で、急いで出る必要はない。去年はポスターが貼り詰められていた白い壁は何も展示されず、西奥の壁は円相の絵画、そしてカフェと隔てる東の壁も相変わらず滝の描いたかのような抽象画だ。1年ぶりに去年と同じように家内に全身の写真を撮ってもらうことにした。2枚の写真を比較したかったのだ。それに今回のシャツは水玉模様で埋まっていて、滝の絵の前に立つにはふさわしい。しかし上下の水玉はむしろ深夜の満月を表わす規則正しい文様に見える。家内はパジャマみたいと言うが、確かにそうだ。ザッパに「ポジャマ・ピープル」と題する曲があって、パジャマを着て寝ることを常識と考える人を揶揄するが、筆者もパジャマを着ない。そうであるのに外出時にパジャマのような上下を着る。筆者の今日の恰好に合わせる服に家内は困るが、最近ある場所で同じ地色の白抜きの水玉模様のワンピースを見つけて家内に勧めて買わせた。わずかに違うのは水玉の円がどれも手描き風で正円でないことだが、遠目には筆者の今日の上下と同じ生地に見える。家内はそれを着ようとせず、たぶん普段の買い物に行く時にも着ないだろう。せっかくお揃いと思ったが、夫婦揃ってパジャマ姿で外出すればあまりに目立つ老夫婦で、嘲笑の的になる。今日の最初の写真は今日家内に撮らせた。73歳を月末に迎える姿だ。2枚目は去年7月2日だ。プロのカメラマンならいいカメラでいい条件の下、何枚も撮るが、今日の2枚ともワン・ショットだ。何枚撮ってもおそらくどれもほとんど違わない。そして最初に撮ったものが最もいいのに決まっている。
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