「
7色の 花咲く庭を 日々想い お花畑の 人と揶揄され」、「太陽を 遮る雲の 綺羅の縁 よきことあると 何とはなしに」、「隠れても 隠せぬ威光 持つ人に なれるは人の 思いの支え」、「見上げれば 雲の陰から 後光射す なむあみだぶと 心で唱え」

今日は駐車場の土地を貸していた50代のAさん夫婦が、元住んでいた関東に引っ越した。お子さんのない夫婦で転勤族だ。大きなトラックが2台、家財を積んで先に転居先に出発し、今日は夕方にベンツに残りの小物をいっぱい詰め込んで走り去る様子を筆者ひとりが見送った。その直前、つまり奥さんが車に乗る前、Aさんのいた裏庭を出たところから嵐山の向こうに日没前の神々しい眺めが見えたので、筆者はそのことを奥さんに言い、ふたりで同じ光景を撮影した。奥さんはスマホにいつまでその画像を保存するだろう。筆者は撮り終えた直後、その雲から漏れる日光の放射をAさん夫婦の将来になぞらえて祈念した。雲の縁が銀色に輝く様子をシルヴァーライニングと呼んで希望の象徴と見るからだ。そのことを20年前に左右対称の切り絵にしたことがあるが、ごくたまにこの雄大な太陽と雲が織り成すドラマを見ると気分がよい。Aさんの奥さんは専業主婦でずっと家におられたので、筆者が染めたキモノの仕立てが出来上がって来た時に自宅に招いて見てもらったことがある。京都に住まれてそうした京都独特の工芸作品を目の当たりにする機会はほとんどなかったであろうから、奥さんは大いに感心し、筆者を見直したようでもあった。ご主人とはほとんど話す機会がなかったが、音楽が趣味で自らもトランペットを演奏されるとのことで、もっと近づきになっていればよかった。それはともかく、ふたりは別行動を採ることが少なくない様子で、奥さんは夫婦はいつも一緒にいてこそと言っていた。確かにそうだ。お互いが自分だけが楽しむ時間を持つと隙間風が吹きやすい。子どもがいれば子育てに追われてそう感じることは少ないだろうが、そうでない夫婦はお互いを気遣う必要があるしかしそれは子育てが終わった夫婦も同じことで、夫婦はいずれふたりだけになる。その時に寄り添え合えるかどうかだが、3組に1組の夫婦が離婚する現在、どちらか、あるいは双方とも我慢して生活していることは明らかであろう。筆者もかなり自分勝手で、ひとりだけの趣味を持ち過ぎている。それで美術展の鑑賞など、なるべく一緒に出掛ける機会を作っているが、家内は興味があまりなさそうなことでも筆者の誘いを拒否しない。しかしライヴだけは誘ったことがない。誘っても興味がないことはよくわかる。これはごく稀なことだが、レストランで向かい合っていると、家内が半世紀前のままと感じることがある。そのことを家内には言わないが、その子どものような喜びの仕草に筆者は何となくいいことをしているなという気分になれる。

●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→