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●「ぶかぶかの 文化ズボンの 伊達姿 流行り作るは 若人のみか」
士にも 物語あり 語らせよ 誰かわからぬ 頭蓋骨にも」、「流行歌 売れてなんぼの 有名度 軽くも文化 いずれ庁官」、「なんぼでも 難波行っては グリコ下 きっとカットの ハイチュウゴール」、「文化人 自己申告で 誰も可 SNSに SOSも」、「何をどう 援助するかは 目立つ順 お上偉くて 勲章も出す」
●「ぶかぶかの 文化ズボンの 伊達姿 流行り作るは 若人のみか」_b0419387_18413161.jpg 昨日は家内と展覧会を京都市内でふたつ見た。ひとつは初めて訪れる場所で、ネットで確認するとわかりやすく、地図を印刷しなかった。ところが指定された時刻にかなり余裕を持って最寄りのバス停に着いたのに、全く違う方向に歩いたりした。家内も時計を持っていなかったので時刻はわからなかったが、たぶん40分ほどうろうろして、10分か15分は遅れた。地元住民らしき人に尋ねながらも埒が明かず、最後に品のよい高齢女性にその施設の名を言うと、散歩中に前を通った記憶があるのでついて来なさいと言われた。そして彼女が指す方向に50メートルほど歩くとそこが展示会場であった。その道に入ったところでネットの地図、つまり覚えたと思い込んだ経路が鮮明に思い出され、『ああ、ここや!』と確信した。彼女に出会わなければ1時間は遅れ、中に入ることは許可されなかった。さて、今日は同展ではなしにその会場に向かって歩いている時に見かけた文化庁の建物がらみで書く。京都に文化庁がやって来る話は自治会長をしていた15、6年前に聞いた。その頃のある年度、わが自治連合会は各種団体と自治会長ら40人ほどでバスを借りて1日京都の施設数か所を訪問した。その中に京都府庁に隣接した京都府警があって、その建物内部も見学出来たが、その建物にいずれ文化庁が移転すると説明された。四条大宮と千本三条を結ぶ後院通り沿いにいつの間にか中京警察署が出来たが、京都府警も別の場所に近年新たに建てられた。それで、旧京都府警の建物はそのまま文化庁が使うものと思い込み、経済的に好ましいとも思ったが、それは日本が鉄筋コンクリートのビルを半世紀ほどで次々に壊して行くからだ。これほど土建業者に仕事のある国は珍しいのではないか。そして彼らは政治家と癒着しやすい。大阪万博も半年だけの開催にどれほどの大金を使うのか、税金となれば湯水以上に使って平気な政治家たちだろう。さて、家内と府庁前まで歩いた時、門番の係員に内部が見学出来ますよと声をかけられた。たぶん毎日数人ほどしか見学に訪れないので手持ち無沙汰なのだろう。筆者は内部を知っているし、先を急がねばならない。そして右手すなわち東に折れて今度はまた北に向かうと左手に文化庁の銘板があった。『ああ、ここや!』と思ってすぐ家内と顔を見合わせた。『この建物の内部に文化庁の庁官が毎日詰めているのだろうか。時代祭では先頭のクラシック・カーに乗ってご満悦であったが、京都の文化の歴史は歌謡曲のようなものではないからな…』京都に文化庁が来て何が大きく変わるのか、変わらないか。
●「ぶかぶかの 文化ズボンの 伊達姿 流行り作るは 若人のみか」_b0419387_18420939.jpg
 最近読んだ本「佐野常民」について時代祭がらみで以前少し書いた。その本の裏表紙中央に「脩」の毛筆の字がある。これは「修」と同じ意味だが、本文に載せられる写真図版から採ったものだ。それは佐野常民が明治28年4月に揮毫した「進徳脩業」の書で、佐野の思想をよく表わす。「佐野常民」の「晩年の佐野常民」と題する節にこんな下りがある。「明治三十二年(一八八九)七月、ロンドン日本協会副会長のアーサー・ディオシーが来日し、佐野邸を訪問した。佐野は幕末のパリ万博参加の際にイギリスに渡り、ある家を訪れたが、実はそこに少年のディオシーがいたのである。この時、ディオシーは佐野から名刺と扇子一本をもらい、これを宝物にしていたという東京で再会したディオシーは次のように述べた(『日本赤十字社史稿』)あの時、生まれて初めて日本人を見ました。威風、凛としており、日本人の厳然たる風姿に感じ入り、その後、日本を研究して日本協会の副会長になったのです。今、閣下の風姿は、髪の毛が白くなった以外は、昔と変わりません。」ディオシー少年が佐野のただならぬ雰囲気に魅せられ、その後日本通になったことはつまるところ、「徳のあるところ必ず隣あり」の言葉にあるように、徳を理解することにおいて佐野と同じであったからだろう。「進徳」は戦後も義務教育の道徳の時間で教わったが、その授業はやがてなくなり、「徳」がどういうものかわからない世代が増えたのではないか。遷都1200年に建て替えられて「みやこメッセ」という名称になった京都岡崎の旧「勧業館」は、「進徳脩業」の真ん中の二字を削った意味だが、やがて「進徳脩業」の前半は無視され、後者の「業を修める」のみが肥大し、TVもネットも有名すなわち金持ちであり、老若男女にかかわらず彼らは大きな顔をする。賢いと褒められるからで、そこに徳がどうこう言う理屈は不要だ。どんな手段を使ってでも名前を世間に知られれば、何をやっても褒められる。そういう考えは明治にもあったはずだが、彼らは自分をわきまえて表社会には出て来ない一種の矜持があった。それはさておき、佐野が美術が国家の品位を高めると言いつつ、その最後の目的が「修業」であるのは、結局美も金儲けだけのものかという謗りを受けかねない。富国強兵の時代では佐野のその考えは仕方のないところだが、「進徳脩業」には業を修める以前に徳を進めるがあって、それを思想とする佐野の持つ人間味がイギリスの少年にも伝わったところに筆者は感動する。大人は本来子どもの鑑とならねばならない。それはある時代に偉大なことを成した人だけに限らない。自分が出来ること、好きなことにおいて懸命かつ謙虚に続けることに徳がある。文化庁や他の京都のさまざまな文化団体などとは無縁の筆者で、そういう無所属者は話題にされることはないが、筆者なりの出来ることはあると思っている。
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by uuuzen | 2023-11-17 23:59 | ●新・嵐山だより
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