「
めちゃくちゃに なれば直すや 元どおり めちゃくちゃ過ぎて 捨てるしかなく」、「灯篭の 流れる5分 弔いの 思い通ずか あの世の人に」、「灯篭を 流す以外に 水遊び 出来ればよきと 親子が思い」、「なるほどの 早合点あり 知らんけど 見てのとおりは 勝手な思い」
今日は家族3人で中華料理店で食事した後、一週間ぶりにスーパーに行った。その前に渡月橋をわたっていると、先日の重機3台の浚渫の意味がわかった。今日の写真のように、桂川右岸に100メートルほどの長さの水路を作ったのだ。重機がまだ一台現場にある。一見して16日の大文字の送り火の夜に行なわれる恒例の灯篭流しをするための区画だ。重機で土砂による囲いを作らねば灯篭を下流の臨時に設けた堰で確保出来ない恐れがあるのでこうした工事を行なう。60年ほど前までは、同じ場所で同じようにロープで囲って小学生のためのプールが造られた。その現場を筆者は見ていないが、古老は口を揃えてそのことを懐かしがっていた。その夏休み期間だけの自然のプールが廃止になったのは、水質悪化と、地元小学校に人工のプールが出来たためだが、水質悪化がよくわからない。上流は500メートルほど先に旅館がひとつあっただけで、保津川の流れが子どもが泳げないほどに汚染されていたとは考えにくい。おそらく地元土建業者を儲けさせる意味もあって、全国の学校でプールが推奨されたのではないか。ところが今年はTVのニュースでそうした学校のプールが老朽化し、その改修や改築の費用の捻出を考えると、民営のプールに行ったほうが安くつくとのことで、半世紀ほどで時代が変わって来た。となれば自然に還れの掛け声によって、嵐山や嵯峨地区では渡月橋下流に今回のような囲いを作ってそこで泳がせる意見が出て来るかもしれない。思い返せば渡月橋のすぐ下流のこの付近は毎年8月は水量が激減し、息子が数歳の頃は歩いて嵯峨川にわたることが出来た。そのような膝下の水深であれば桂川の一画を区切ってプールにしてもいいと思うが、事故を考えて監視員が必要となり、その費用をどうするかの問題がある。しかし学校のプールでも監視が行き届かずに子どもが死ぬ場合もあって、人工的なプールが安全とは言い切れない。それはともかく、桂川右岸のこの臨時の囲いは西京区側にあるが、どういう理由からか中の島公園は右京区に属し、灯篭流しは主に右京区の嵯峨の僧侶と住民が中心になって行なう。そして重機が灯篭流しの区画を築いた費用もたぶん右京区の人たちが支払うのだろう。またこの区画の築造以外に灯篭を川面に浮かべるための仮設の階段など、大工仕事もある。そうした費用がペイ出来るのかどうか、灯篭を流してもらう人の数次第だ。雨天で中止になればどうかとのさらなる懸念を持つが、門外漢が心配するに及ばない。そう言えば先ほど「風風の湯」でFさんは今年はこの灯篭流しの当日の準備を初めて担当するそうだ。
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