「
とりあえず ビールの大を 夢想しつ ビアガーデンは 日没過ぎて」、「生温い 水は嫌でも 冷え切らぬ 給水機から 冷や水浴びて」、「生温き 水に冷や水 浴びせられ 給水機蹴り なおさら冷えず」、「木陰にて 眠るも暑し 京の夏 川面の重機 箱庭造り」
今日は5日前に撮った写真を使う。自転車で嵯峨のスーパーに出かけた際、渡月橋の下流200メートルほどで重機3台が動き回っていた。毎年のことだが、冬場の渇水期に渡月橋からわずかな下流で蛇篭が川幅いっぱいに、その修理を兼ねて整然と敷き詰められる。それは梅雨時の大雨でみるみるうちに破損して行くのが地元住民にはよくわかる。今年もその例にもれず、早々と蛇篭の整備が始まったのかと思い、ひとまず写真を撮った。今日の最初の写真の下は蛇篭があちこちで無残な形になっていることがわかる。蛇篭の工事は毎年改良されていることはわかるが、大量の雨水が保津川を下って渡月橋に押し寄せるので、人間が構築した大きな石を詰めた躯体はひとたまりもない。それで毎年重機が河床を走り回ることは渡月橋では風物詩になっていると言ってもよい。前にも書いたが、小学生低学年までの子どもならそれを見て飽きないのではないか。6月下旬にわが家のすぐ近くにあった木造住宅の取り壊しが完了したが、その工事中に筆者は何度も現場をぼんやりと見ながら、ユンボを操る若者の職人的腕前に大いに感心した。休憩中に彼と話す間柄になったが、商売敵が多くて京都市内の取り壊し現場の仕事は奪い合いと言っていた。手伝いの20代の女性がひとりいて、炎天下にもかかわらず彼女は汗まみれで終日ユンボが掘り起こした瓦礫や木の根を分類して大きな袋に収め続けていた。夫婦か兄妹か、肉体労働の大変さを目の当たりにした。話を戻して、桂川の河床で動き回る重機は毎年同じで、同じ右京区内の業者が請け負っているのだろう。そのほうが川床の状態に詳しくなって作業ははかどる。写真を撮った後、スーパーで買い物を済ませ、三条通りを渡月橋に向かうと、信号待ちに遭い、重機3台を対岸から見ながら2枚目の写真を撮った。近景として松の木の下に10人ほどの若い作業員の男性が座り込んで休憩中で、それは珍しくない光景だが、彼らはよく通る声でカンボジアやヴェトナムらしき言葉で話していた。彼らの工事現場がどこかはわからなかったが、肉体労働は間違いない。嵯峨のFさんは日本の若者がもっとそういう現場に入るべきだと言うが、雇用者は本来彼らがもらうべき賃金からピンハネしているはずで、その実情を知りながらも働かざるを得ない外国人がいるおかげでどうにか日本の土建工事が回っている。そのことを指摘すると、Fさんはそのとおりと頷きながらも納得が行かない顔をする。国力は時代によって大きく変わり、いずれ日本の若者が肉体労働者として外国で雇用されることはあり得る。そうなってもどうにか人は生きて行く。
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