「
松に竹 梅ではなくて 桜植え 手入れをせずに ソバージュの庭」、「敷地から はみ出た木々が 目障りと 文句言われて 耳障りかな」、「合歓の木の 花の広がる 眺めよし 樹齢三十年 吾ともに老い」、「合歓の花 一日で散る はかなさも 満開の図は 美女勢ぞろい」
これまでに何度も裏庭にある合歓の木について投稿した。その花が今年も満開の時期を迎えた。今日の写真は2階からの眺めで、花の状態はさほど見栄えがよくないが、この花を見ると今年の夏も乗り切ろうという気になれる。裏庭の草木では合歓の木が最も大きく、毎年自分で枝の剪定をするが、成長の勢いのほうが大きい。隣家を買い取った理由のひとつはこの合歓の木が充分に枝を張られるようにと思ってのことだ。ところが小川を越えて対岸の家の壁に届きそうで、それはさすがにまずいので、毎年2月に枝の先を切ることになるが、これがかなり面倒だ。太い幹をよじ上って幹別れの場所に立ち、そこから腕を伸ばして3メートルほどの鉄パイプの先に取りつけたノコギリで切ろうとしても届かない。それで届く範囲のやや太めの枝を切り落とすが、全体が無様になってはかわいそうなので、剪定は筆者が思う最低限度に留まる。植木屋に8年勤務していた人に話を聞くと、大幅に剪定すれば反動で予想外の方向に枝を勢いよく伸ばすとのことで、逆効果になり兼ねない。庭に合歓の木を植える人は庭の面積を気にしなくてよい田舎の人がもっぱらと思うが、筆者は桂川沿いのグランドに目印のように一本だけあった合歓の木の種子を拾って来て鉢植えで育て始めた。息子が10歳くらいであったので、もう30数年経つ。ネットでは寿命が30年とあり、わが家の木はいつ枯れてもおかしくない。幹回りは1メートル10センチもあって、これはグランドにあった木より太いはずだ。鉢植えから地植えに移す際、合歓の木は水辺を好むというので裏庭に沿う小川に覆いかぶさるようにと思ったところ、思惑どおりに成長した。庭に差す日光を遮り、風も通りにくいのでもういい加減に根元から切れと家内は毎年言うが、初夏に花が満開になるとさすがに気分はよく、毎年開花を見たい。自然に枯れるのは仕方がなく、それは予兆なしに突然やって来るようだが、幹によじ上って何日も費やして剪定作業が出来る間はそうはなってほしくない。それに息子の成長を願って植えた木でもあり、自らの手で根元から切ることは全く考えていない。近隣に迷惑をかけない範囲内で最大の枝の広がりを保ちたいのは、大きく剪定することで樹勢を削ぎ、寿命を縮めたくないからだ。しかし枯れるとなれば、太い幹や枝をどのように細かく切るかの問題があり、筆者が生きている間に寿命を見届けたい。その時が樹齢40年を超えると、わが家での居心地がよかったことになって、長年見守った甲斐がある。息子は思うように育たなかったが、他人に迷惑をかけていない分、好きなように生きればよい。
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