「
週一で 一冊の本 読むべしと 殊勝に思い 週刊誌買う」、「ポスターは 貼って見られて 役目終え 消耗品の 短き命」、「部屋に貼る ポップスターの ポスターは 汚れ色褪せ 懐かし風味」、「半世紀 経てば何でも 骨董に 古さ愛する 人いる限り」
今月2日に家内と岡崎にある京都国立近代美術館に行った。企画展を見た後、1階に改めて降りると、いつもは真っ白な大きな壁面にポスターが縦横に隙間なく貼られていた。数えなかったが、同館でこれまで開催された企画展のポスターを年代順に貼ってあり、縦は4枚、横は少なくても25枚はあると思うが、ざっと100枚か。監視員の女性の足元に『ポスターでふりかえる京近美の60年』と題する12ページの無料冊子が置かれていて、1冊もらって来た。それによるとこのポスター展は4月21日から12月17日まで開催され、その半ばほどで展示替えがある。前期は8月6日までなので、筆者はそれを見たことになるが、冊子の最初の図版はNo .64として『東洋の染織』展のポスターだ。これは今日の最初のと2枚目の写真が示すように展示と合致している。しかし64という番号は同館が64番目に企画した展覧会のはずで、また『東洋の染織』展は1969年の開催であるから、このポスター展が同館の60周年記念展であれば64年の企画展のポスターから展示しなければならない。おかしいなと思って冊子の裏面を見るとこう書かれる。「古い情報を基に作成したため、誤りがある場合がございます。…過去の展覧会ポスターの保存・収集・調査を進めております。所蔵のないポスターについて、当館ホームページ内の60周年特設サイトに情報を掲載したしました。当館ポスターをお持ちで、お譲りくださる方は「お問い合わせ」よりご連絡をいただけますようお願いいたします。」これには少々驚いた。60年も経てばもう当時のことがよくわからない。館長や学芸員は次々に変わって行くからそれは仕方のないことだろう。図録は1冊ずつすべて保管されていると思うが、そうでなくても古書店を探せばどんな図録でも必ず買える。しかしポスターや、また日本独特の文化であるチラシは消耗品であるから、チラシは図録を最初に買った人がそれに挟んでいない限りは市場に出て来ようがない。ポスターは無料ではないが、チラシは無料であるので、誰も重視せず、ポスターより残りにくいのではないか。高度成長期にはよく作られた本の内容見本の冊子も同様で、それは本よりも入手しにくい。本があればそういう宣伝のための印刷物は不要と考えがちだが、内容見本でしか知り得ないことはある。筆者はそうした内容見本を一時期よく集めたが、本が増えるにしたがって置き場所に困り、大半を古紙回収に出した。思えばもったいないことをした。展覧会のチラシはほとんど捨てずに所持しているが、2,3年で百科事典2冊の重さにはなるから、やはり置き場所に困る。
展覧会のチラシだけを収集している人や機関があるのかどうか、この半世紀でたぶん1万や2万枚の数に上るだろう。チラシはポスターほどにかさばらないので筆者はなるべく展覧会の内容別に分け、過去の似た内容の展覧会の図録に挟んでいる。しかしひとつ気になることがある。図録の版型は半世紀前は正方形が多かった。長方形でも現在のようなA4サイズではなく、B5が普通であった。チラシの大きさもB5であったのが、日本が金満国家になるにつれて図録もチラシもA4サイズが主流になって来た。今日の最初の写真の左は『東洋の染織』展の図録の表紙だが、実物は正方形で、写真では左半分が収まっていない。この図録を古書で買ったのは79年10月9日で、会期の69年はまだ学生で大阪に住んでいたので展覧会を見ていない。情報を知っていたとしても当時筆者は染色の世界に入ることを夢にも思わなかったのでこの展覧会を見に京都まで行かなかった。それはさておき、この図録には20枚ほどのチラシが挟んである。すべて染織展のもので、しかもA4が多いので、図録の上部からはみ出ている。それは別にかまわないのだが、筆者が死んだ後、この本が古書となって誰かの手にわたる時、せっかく長年集め、また分類してこの図録に挟んだチラシも一緒に大事にしてほしいと思っている。そのことを古書店がどこまで考えてくれるか。この図録は珍しくないもので入手は簡単と思うが、挟まれている20枚のチラシの幾分かはおそらくごくわずかしか存在していないもので、将来誰かが探すことになるかもしれない。その話もさておき、今気づいた。『東洋の染織』展は『ポスターでふりかえる…』展の冊子では69年となっているが、図録には会期は70年2月から3月25日となっていて、冊子ははなから誤っている。さて、気になって同館が所有しないポスターを確認するために60周年特設サイトを見ると、やはり最初の企画展は64年で、『ピカソ展』のようだ。筆者は同展の図録を所有しているが、版型は横長で、ポスターはおそらく今回展示されたポスターよりかなり小さな横長のものであったはずだ。しかし今でも企画展のポスターは大小が制作されるのが普通で、小は自治会の掲示板に貼るのにつごうのよい横長、大は今回のポスター回顧展に貼られる縦長仕様だ。ポスターは普通は丸めた状態で保管するので、それを開くのが面倒なあまり、どういうポスターを所有しているかわからないままの人が多いと思う。筆者は70年代半ばの珍しい映画のポスターや、切断前のチラシが縦横につながったままの状態のものも持っているが、捨てるのも面倒という気持ちのまま惰性で所有しているだけで、価値がどれほどあるのか知らず、関心もない。話を戻すと、開館して60年経ったので、保存していないポスターをこれから収集しようというのは遅まきながらも好ましい。
同館が探しているポスターの表の中では、ピカソなどの外国の有名画家のものは現在筆者より上の世代の美術ファンや美術家が忘れたまま保管している場合があるだろう。筆者は建て替えられる前の京近美を知っていて、そこで開催された展覧会で最もよく覚えているのは71年の『ムンク展』と同年の『ルネ・マグリット展』だ。前者は兵庫県立近代美術館で開催された後、京都に巡回した。両展とも日本初のふたりの巨匠の大回顧展で、筆者は図録を買い、前者については大判のポスターも買った。それは図録の表紙を外してボール紙を使ったハードカヴァー状に自分で製本し直した際にその表紙に使った。ポスターは売れ行きがよかったはずで、所有している人はたくさんいると思う。『ポスターでふりかえる…』展の冊子には両展の情報が省かれているが、60周年特設サイトでは同館が探している欠品ポスターには含まれない。それで同冊子に載る最後の企画展は筆者も見た2022年の『甲斐荘楠音の全貌』展で、No.452となっている。60年で452の展覧会で、筆者はこの半数は見たと思う。冊子の右ページにポスターが小さく白黒で印刷されるに紹介され、その数は155で、約3分の1を紹介している。全部となれば3倍すなわち36ページ必要になるし、また京近美が保存しないものもあるから、2,3ページは少なくなる。さて、『ムンク展』や『ルネ・マグリット展』のポスターをこの冊子が載せない理由はたぶん他館からの巡回展であったからだろう。それで『東洋の染織』展を最初に掲げるのはこの美術館の特色をよく表わしている。それは京都が染織の本場で、染織の作家がとても多いからだ。それで数年ごとに染織や服飾関係の大規模展が開催されて来ているが、京都画壇の有名画家が明治期に染織の図案を描く仕事をよくしていたことも染織を重視する理由になっている。そこで今日書きたいことに話がつながって来た。今日の2枚目の写真はポスターが前面に貼られた壁の最奥の最上で、インド更紗が原色で印刷されている。この更紗は鐘紡が所有しているものと思うが、筆者はこの世で最も美しい染色作品であると思っている。花の赤さは化学染料では出せないもので、白地を汚さずにこの濃色の赤を染めた職人の絵画の才能と染色の技術は空前絶後だ。同展図録には原色図版は5ページしかなく、この更紗は縁を省かない状態の全面が印刷される。その写真を今日は3枚目に載せる。筆者が鶏頭の花にこだわる理由のひとつはこのインド更紗にあるが、もちろん友禅染で作品を作るとしても左右対称性を真似するつもりはない。4枚目の写真は部屋の奥に〇が描かれるのがよい。右手が100枚かそれ以上はあるはずのポスターだ。中央の筆者が着る上下の服はアフリカで染められた生地で、近年アフリカの染色が日本でブームになっていて、京近美でも『アフリカの染色』展を開催してほしい。
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