●「GREENFIELDS」
「みどりの日」というためではないが、今夜はこの曲を取り上げる気になった。



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わが仕事場から見える梅の木の植わる畑もすっかり緑色が占拠し、これが今後ますます色濃くなるが、近所を散歩していても、1日毎にたとえば柿の木の葉がぐんぐん大きくなっているのがわかる。これがもう半年もすると柿の実をいっぱいつけて葉をすっかり落とす番となるが、このように先がどうなるかわかっていると面白くない。だが、見慣れているその柿のも、ひょっとすれば急に切り倒されることはあるし、筆者が死んで見られないままということもあり得る。予想はついても、その予想が必ず実現するとは限らない。割合あちこちの大きな木には目を行き届かせているつもりであるから、それが急になくなったりするとすぐにわかってさびしさを覚えるが、そんなようにして見送った木は少なくない。それがあった場所を通ると必ずその木のことを思い出す。不思議と筆者はある木を写生すると、、やがてそれは枯れるかすっかり切り取られるかする。まるでその木の最期を見届けて記録しておくための役割をしているような気分になるが、あるいは筆者がそんな消え去る運命にあるものに対して特別敏感な神経を持っているからかもしれない。それはいいとして、古木が消え去るのは運命であるし、一方で新しく木が育つから、人間と同じく、生と死が循環しているだけでこれが自然なことかもしれない。自然ではあるが、やはり馴染みの存在が目の前から消えることはさびしい。老年になればますますそんなことを多く経験するようになって、ついにそのさびしさの過剰に耐えられず、自分自身もこの世から喪失、つまり死なせてしまうのだろう。老年ならまだしも、不慮の事故や病によって壮年のうちに死ぬ人が身内や知己にいると、無念の情も当分去らない。実はここ数日、そんな死の報せがふたつあった。ひとつは家内の職場でのことで、わが家からさほど遠くないところに住んでいる大学の先生が、家内が遅くまで仕事をした日には親切にも学校から家まで送ってくれたことがある。その先生が急死した。そのことを学校の告知で知った家内もそうだが、それを聞かされた筆者もびっくりした。もうひとつは筆者が知る人だ。5年ほど前に筆者は出版社から取材され、仕事している様子を撮影するためにふたりがわが家に来た。撮影は案外早く終わり、カメラマンとは庭木の話やそのほかいろいろ雑談に花が咲いた。その人は実は1年ほど前に癌が見つかり、そしてつい先日亡くなったというメールを出版社から受け取った。56歳であったそうで、まだまだこれからというところであったのに、本当に惜しいことだ。いい人ほど早く亡くなることを実感する。
 出会いと別れが人生であるので、他人の死に接することが多いのは避けられない。筆者がまだ小学校へ行く前のことだったが、近所ではよく葬式があった。見知らぬ老人が亡くなるのであるから、全然気にもとめなかった。それどころか、葬式の参列に並ぶと、子どもたちは緑色の紙で包まれた粟おこしが1枚ずつ配られた。それを目当てに近所の子どもはみんな葬式があると喜んで誘い合わせてその列に加わった。今のようにお菓子が豊富に溢れている時代でもなかったので、その大阪名物のお菓子はその日のちょっとしたおやつになった。葬式を出す大人たちはまるで笑顔でやって来てお菓子をもらって行く子どもたちをどういう思いで見ていたかなと考える。それは残酷と言うよりも、やはり微笑ましい光景ではなかったろうか。死者が出る一方で、そんなことは全然知らずにはしゃぐ子どもという存在があるのが人間で、それでいいのだと思う。きっと葬式を出していた当時の大人もそう思ったに違いない。葬式にお菓子目当てにやって来る子どもたちが加わると、それは悲しいばかりのものではなく、残された人たちにはもっと別な生きる勇気みたいなものが湧き出たのではないだろうか。子どももいつか大人になり、死の喪失の意味もわかるし、そして筆者も思うが、見知らぬ子であっても葬式にやって来たならば何か菓子を配ってやってほしいと思う。どんなことでも順番で、そんな子もいつか老年に達して死を迎えるから、死ぬ者が最後の他人への心尽くしとして子どもたちにお菓子を配るという風習はとてもよいことであった。今の大阪ではそれはもうとっくに廃れたはずで、子どもたちも粟おこしなど見向きもしないだろう。きっとお金の方がいいと言うのもいるはずで、そっちの方が本当にさびしい話だ。近頃は子どもが親を殺したり、またその逆の事件が毎日のように起きて、全くこの日本はどんな国になって行くのだろう。粟おこしは今でも大阪でよく売られている。生姜風味があって筆者は好きだが、そんな菓子を喜んで食べるのはきっと50代以降の人ではないだろうか。固いので、柔らかい饅頭しか食べられないような老人には向かないが、筆者は歯はとても丈夫なので、まだまだ当分はこの菓子をバリバリと食べること出来る。歯が丈夫というのは遺伝かも知れない。筆者はまだ虫歯の治療痕がいくつもあるが、母の姉は今85歳だったろうか、1本の虫歯も抜けもなく全部揃っている。つまり、歯医者にかかったことがないのだ。これはちょっと珍しいのではないかと思う。
d0053294_2342790.jpg また60年代の古い歌を持ち出すが、こんな曲を当時リアル・タイムで聴いていた人は、歯が少しずつ抜けるようにもう段々と少数派になって行く。ネットで調べると、アメリカでは1960年にヒットしているが、日本では1962年秋になってから頻繁にラジオでかかったようだ。筆者が11歳であるので、おそらくそんなものだろう。ブラザーズ・フォーは男4人組のフォーク・グループで、「遙かなるアラモ」が日本では1961年に大ヒットしていて、それもよく似た感じの、いかにも広々とした情景を思い出させるようなゆったりとした曲だ。同じく男4人のグループとしては当時は日本ではダーク・ダックスがとても人気があった。NHKの『みんなの歌』でも何曲か歌っていて、小さな子どもでもその歌声はいやでも耳に入っていたはずだ。いつの間にやらダーク・ダックスはTVにぷつりと出なくなったが、それは60年代後半になってグループ・サウンズが登場して来たからだろう。何だか惜しい気がする。彼らはブラザーズ・フォーとは違って楽器を奏でないコーラス・グループで、その点がグループ・サウンズの登場ではもう時代遅れのものになった。ブラザーズ・フォーは全員が楽器を持つから、この点をエレキにし、しかももっとテンポのよいダンス曲を歌えばビートルズ時代でももっと生き残ったかもしれない。逆に考えると、こうした50年代後半から登場したいたフォーク・バンドがあってそこに電気楽器を持つようなバンドも登場して来たと考えることも出来る。したがって、日本でビートルズが登場する前夜にこうした渋いコーラスを聞かせる男性バンドが人気を博していたことは、それなりに後の素地を作っていたと言えるだろう。もちろん後のロックンロール・バンドのルーツがこうしたフォーク・バンドにすべてあるはずもないが、ラジオから頻繁に流れて日本中に知られる曲となった点では共通し、たとえば筆者の記憶の中ではビートルズやベンチャーズ以前にあったメロディアスな曲として忘れ得ない存在となっている。筆者より数歳年下以降の、もう少し世代が下がった人々にはもうこうした曲を記憶にとどめることは当時は出来なかったと思うし、そうした人々の思い出の洋楽となれば、ビートルズ以降のアート・ロックと呼ばれた音楽になるはずだが、そうした音楽が芸術的にたとえば50年代、60年代前半の音楽より芸術に優れているかどうかの判断はまだ100年、200年を経てみないとわからない。むしろ一種の蛸壺的専門化が進んだだけの音楽で、万人向きのメロディを持たず、全然評価されないことになる可能性もあるだろう。
 それから思うのは、たとえば本曲のような、誰でも歌えて耳馴染むような大ヒットというのが90年代以降にはほとんどない気がする。ヒップ・ホップ・ブームによって、メロディは語りそのままに変化し、どれもこれも同じようなものになってしまったが、それも結局60年代末期から始まったロックのアート化によるなれの果てと言ってよい。メロディよりも単調なリズムさえあればよしとする痙攣趣味が勝ったからだ。痙攣趣味は本来どんなダンスにもつき物だが、巫女がトランス状態になって神託を下すようなそんな忘我な状況を今の閉塞社会の若者たちがみんな希求しているためにそのような機械的リズムのダンス曲がはやるのかどうか、曲を聴けば何かイメージが浮かぶということに照らし合わせると、筆者としてはそうした90年代以降の音楽から何ら抽象的イメージすら得られず、思いは結局もっと古い音楽にありということになる。だが、何事も循環するのであれば、今の単調なと思える音楽がまた過去にあったような、誰にでも記憶に残って歌いやすいメロディを主にしたものにならないとも限らない。そんな時、安易な方法としてリヴァイヴァルがあって、実際それは今までに何度も繰り返し行なわれて来ているが、そうしたことに逃げずに、新しい優れたメロディが作れないかなと思う。どんなメロディを作っても過去の何かに似るしかないと冷めた見方をする人もあるが、それを越えて行くのが人間の才能であるから、いつかきっとまた世界中に知られて古典となるような名曲のメロディは書かれると思う。そんな時、この曲がひとつの典型として活用される可能性は大いにあると思える。歌詞がわからなくてもメロディのムードだけで曲の世界がわかるという最適な例としてこの曲はあって、そこに音楽というものの不思議さを思う。
 歌詞は最近レコードを入手するまで知らなかった。だが、この曲がヒットしていた小学4、5年生の当時、何かとても虚しい気がして、世界もそのように染まって見えていた記憶がはっきりとある。それがこの曲の影響によるのか、それとも当時の孤独な筆者がこの曲を自然と好きになっていたからかはわからない。だが、何か感覚を共有していたことは確かだ。それが60年代初頭のアメリカ、引いては日本の時代感覚なのだろう。「緑の野」は春の象徴であるし、それがさびしいとは話が合わないようだが、花やかな緑の季節を見て悲しみを覚えるというのは文学成立の根本的な感覚だろう。小学生の子どもでもそれはわかる。悲しいのは秋や冬だけではなく、春には春の悲しみがあるのだ。この曲はダーク・ダックスを思い出させるようないい声で、スロー・テンポで歌われるが、当時の日本の歌謡曲には似たものがなかったはずだ。ロ短調で長さは3分4秒ある。伴奏が静かなギターだけというのは後のボブ・ディランやサイモンとガーファンクルに連なるが、ここではアルペジオでゆっくりと奏でられるため、クラシック音楽の雰囲気に近い。歌詞を読んでわかったが、「緑の野」は最初のヴァースで過去形で歌われている。2番では、今はもうその緑の野が消え、川も谷底からなくなり、そして恋人と仲よく歩いた緑の野はふたりの別れとともに消え去ったと歌われ、続くさびの部分では、何が君を去らせたのか知ることはないだろうといった絶望の心を告白し、また主題のメロディに戻る3番では、君が緑の野に帰って来るまで待つと意思を表明して締め括る。歌詞の訳はどことなく文語調で、思わず笑ってしまうが、この当時ならこういう訳し方もあったのだなと面白い。またオリジナルの歌詞はよく出来たものではない。3番は去った恋人に対してかなりの恨み節になっていて、流行歌であるからこれでいいのであろうが、文学的な価値はほとんどない。韻も踏み、恋人の去った様子を文字どおり不毛の大地にたとえてはいるが、青い感傷性が見え過ぎた若者の歌なのだ。だが、こうした歌詞をたとえばビートルズが大いに参考にしたはずで、彼らの初期のラヴ・ソングに通ずる味わいがある。レコード・ジャケットのオレンジ色は恋人が帰って来るまで待つという強い期待を示しているのかどうか、デザイン的にはよくない。B面にはジョニー・マティスの曲が収録されているが、こういう違うミュージシャンの曲を1枚のシングルに収める例は映画音楽ではよくあるが、ブラザース・フォーはすでに人気のあったバンドであるので意外な感じがする。因みにこらちの「スターブライト」という曲は日本で言えば坂本九が歌えばまさにぴったりの感じがする。つまりいかにも60年代なのだ。
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by uuuzen | 2006-04-29 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪ | Comments(2)
Commented by 真田 at 2006-04-30 05:55 x
グルーンフィールズは、かなり後年になってオールディーズ映画(タイトル失念)の主題歌に使われていましたね。フォークもロックンロールもごちゃまぜのようです。オールディーズという用語も不気味なものがあって、あと20年もしたら、今流行っている「大人のロック」もひっくるめてオールディーズと呼ばれるのではないかと思うとぞっとします。

【誰でも歌えて耳馴染むような大ヒットというのが90年代以降にはほとんどない】というのは実際そのとおりだと思います。先日20代の若い子に「どんなバンドが好きなの?」と聞いたら「○○とか△△」とか・・・・ちゃんとした音楽じゃなくて、単にビートで誤魔化している音楽」という答えが返ってきました(笑) 

90年代以降は、楽曲創作も明らかに歌詞ジェネレータとかコンピュータのプリセットを元に作っていて、あとはハヤリモノの飾りをまぶしてできあがりみたいな感じでしょう。自分の好きなバンドを片っ端から薦めて歩く、ある意味滑稽なまでのエヴァンジェリストは80年代以降にはいなくなったように思います。
Commented by uuuzen at 2006-04-30 21:31
今の若い世代にはそれ相応のいいと思える音楽があるのでしょうけれど、そうした流行音楽を最初に聴く場というのが、昔のような公共のラジオではなく、仲間から教えてもらうなど、いわば世間が狭くなっているところとの気がします。そこが万人向きの音楽が流行らなくなってきた一因もあるかなと。で、このBLOGというものがそれに対して昔のようなラジオみたいな大きな世間になり得るのか、それとも狭い世間に徹したままなのか、ひとまず関心のあるところです。


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