「
牡牛さん 角出し何を 威嚇する 人の女も 怒って般若」、「3人で ほどよき玉の 黒西瓜 赤い果肉に 甘汁溢れ 」、「ポンポンと 西瓜叩いて 納得し 買って切り分け たまには外れ」、「一玉の 西瓜抱えて レジ過ぎる 今年も夏を 誇る気分に」
筆者は西瓜好きだが、夫婦ふたりでは買うのをためらう。家内が反対しなくても勝手に買えばいいが、4分の1か6分の1、あるいは8分の1に切り分けたものを見ると、それではさびしい。というより他人が包丁を入れた状態が何となく嫌だ。買うにはまるっぽ一玉がよい。ちょうど息子が連休で休みで、昨日は家族3人で丸太町通り沿いの中華料理店に行った。満席で30分ほど待たされ、3人で5000円に120円のお釣りだ。前回食べてよくわかっているのに、筆者はまた大盛りを頼んでしまった。メニューを見るとフカヒレの姿煮が税抜きで3万円でナマコはなかった。昔友人のNはフカヒレやナマコの中華料理が大好きで、筆者が教えた京都の店に大阪からよくひとりで食べに出かけていた。Nは歯が年齢にふさわしくないほどに悪く、そうした柔らかい料理が好きであった。食材は調達の困難度に応じて高価になる。いつどこででも手に入ればフカヒレやナマコ、あるいはアワビなどの食材は高級とはみなされない。高級であるからといって味や食感が優れているとは限らない。そう思って3万円のフカヒレ料理を食べたいと思わないようにする。満腹になって店を出た後、近くのスーパーに行き、最初と最後に西瓜のコーナーにしばし立った。縞模様がない品種の大玉は5000円少々の値札がついている。同じ品種で山形産の3人で食べるのにちょうどいい小振りの1500円ほどのものを最後に買った。息子に持たせればよいからだ。そのままでは冷蔵庫に入らず、一晩床に転がしておいた。今日の最初の写真は、濃い深緑色をしたこの西瓜が爆弾に思え、その破裂の可能性を持つ様子を鬼に見立て、壬生寺の節分会で授与される籤入り姫だるまを角の代わりに立てて撮った。この姫だるまの底には鬼の顔のシールが貼られている。昼過ぎに家内が半分に切りと言うので慌てて彫刻刀のV字型の刃をした1本を取り出し、下書きなしで今日の2枚目の写真のような太陽の顔を彫った。夜の太陽では目を瞑る顔を彫るしかない。彫り上がってすぐに写真を撮り、また姫だるまを立てた。これなら鬼すなわち西瓜の怒りの爆発は鎮まるだろう。西瓜の玉は野外の遊びで棒で叩き割るのは無残で、やはりきれいに直線で切り分けて食べるのがよい。顔の部分を避けて筆者が俎板の上で半分に切り、さらに切り分けて3人で食べた。もう半分は冷蔵庫で冷やしてから食べる。家内は西瓜は奈良産がいいと言うが、買ったものも甘く、またタネが少なくて食べやすい。何年か前、西瓜の皮を細かく切って炒めるとおいしいことを知り、先ほど食べ残した皮も今夜の食事に出そうだ。
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