「
5月には ぶらり遠くに 旅の夢 ボロ自転車で 土手を走り」、「消防の サイレン響く 夜3時 不眠不休の 署員勇まし」、「ゼロでなき ことを予想し 気に留める 備えは丸も 憂い無でなし」、「非常時の 訓練重ね なお足らぬ 非情のことの 多かりし世は」
先月21日は渡月橋と松尾橋の中間、桂川右岸のグランドで西京区全域の消防団による総合査閲があった。今年から筆者は平安講社の代表になったので、そうした行事に参加要請の文書が届くようになった。自治会長をしていた10数年前、正月の2日か3日に渡月橋の少し上流の中の島公園の先端で地元消防団の出初式があってそれに4年連続で参加した。間近で見るホースから水が勢いよく噴き出る様子は虹がかかって威勢がよく、見ものであった。その行事はその後なくなった。西京区内に自治連合会が17か18あって、それぞれに消防団はあるが、団員の数が違う。成人すれば一時期は男女ともに消防団への加入が伝統となっている大原野は常に西京区最多で、40数名はいる。しかしたいていは消防団を組織する最低の15人をどうにか確保出来るのが現実で、常に団員の募集を行なっていると言ってよい。今日の写真は制服姿の団員がテントの中にいる消防署長やその他の偉いさんを前に整列行進する様子だ。筆者ら地元自治連合会の各種役員はテントの外でその様子を眺めるが、放水訓練はなく、団員の顔合わせ行事だ。朝8時開催で、いつも10時まで寝ている筆者は7時台に起きねばならず、こういう朝の行事は苦手だが、当日は大阪に展覧会を見る予定があったので珍しく7時には起きた。出席するとペットボトルの茶を1本もらえるが、突っ立て見ているだけで、消防団員はそうした人の数が少しでも多ければ行事に参加した甲斐があるというものだが、テントの中は別として団員以外の参加者は指折り数えられるほどに少なく、参加要請の文書を無視している人がかなり多いと思う。一番ご苦労さんであるのはもちろん団員で、彼らの仕事を持ちながらの四季を通じての訓練は、地元を火災から守ろうという見上げた思想と、そして体力がなければ出来るものではない。嵐山から松尾山にかけての山道沿いに消防用水が入ったドラム缶が100か200メートル置きに並べられ、その管理を地元消防団が行なっていて、他の西京区内のどこよりも大変ではないかと思ったことがある。消防団員は準公務員で、何年か勤めると健康保険などの給付があって、中にはそれをもらえば辞めて行く者もあると聞いた。それで最低15人の確保はなおさら難しくなる。10数年前の団長とはそれなりに親しかったので、実情を聞かされたことがあるが、ここには書けないひどい話もあって、狡猾な者がいる現実を垣間見た。しかしそういう人はそれなりの人生を歩む。70歳を過ぎると人を一瞬見ただけでその人の人生が何となくわかる。というより感じられるのだが、その印象はたいてい当たっている。
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