「
飛ぶ鳥に 気づかぬふりの 鶏や 身の程を知り 地面ついばみ」、「イカロスは 海に堕ちるを 予測せず 泳げぬ我が身 嘆きつ溺れ」、「鶏頭の 小さき赤き 花咲きて 我が裏庭に 彩生じ」、「鶏頭の 花咲く季節 我愛す 灼熱の日々 想いも焦がせ」
去年は「今年の本気の鶏頭」と題して10数回投稿した。本気であったのに思うほどの成果は得られなかった。それで今年も相変わらず本気だが、去年以上のよいと思える方策がなく、去年と同様に育てるしかない。日当たりのよくない狭い裏庭ではそもそも鶏頭には条件がよくない。その一方、鶏頭は割合悪条件下でも堂々さる花を咲かせているので、放置気味のほうがいいかと思わないでもない。それで今年はそのようにするが、全くの放置、すなわち、水やりをあまりに欠かすと枯れてしまうのはあたりまえで、そのころ合いが難しい。鶏頭の身になって育てればその気持ちを汲んで立派な花をつけてくれると思うが、それがそう簡単ではない。そのことを思うと立派な野菜を育てる人たちはあまりに眩しい存在で、そういう人々のおかげでスーパーで野菜を買える現実を今さらにありがたく思う。鶏頭の花も筆者が狂喜するような大きな花を咲かせている人が日本中にいるはずだが、筆者は自分で育てたい。そしてそれを描きたいが、その望みが今年充分にかなえられるかどうかはわからない。たぶん無理だろうと思いながらも今年も挑戦する。今年は種子を6月24日に蒔いた。去年ホームセンターで買って何と呼ぶのか忘れたが、苗を育てる小さな窪みが縦横に数十が連なった黒いプラスティック容器に数粒ずつ蒔き、すべて発芽した。その3分の1ほどを先月8日に植木鉢に移植し、残りは隣家の裏庭に地植えした。それでも半分強は残り、そのままでは花を咲かせないので、翌日が雨天であったのを幸いに、傘を差して「風風の湯」の前に広がる桜の林のあちこちに移植した。自転車道路に通行人はほとんどおらず、屈み込み続けた作業は人目につかなかったが、桜の木の根元などにかなり繁茂している雑草が定期的に管理者に刈られるので、せっかく植えた鶏頭の苗も全部雑草とともに消え去った。桜の林に鶏頭の花が咲いても誰も困らないから、きれいな花が咲く鶏頭なら勝手に植えてもよいと思うが、阪急の土地で、自分たちが植えた桜以外は許さないという方針だろう。結局自分が所有する土地で育てるしかないが、裏庭はあまりに多くの種類の草木が植わり、日照りのよい場所がわずかにしかない。それで去年と同じく隣家との間にあるブロック塀の上に鉢を並べた。そこが最も日照時間が長いからだ。また地面に置いた鉢もあり、先月29日に小さな花が初めて開いた。それが今日の最初の写真で、種子蒔きから1か月ほど後のことだ。2枚目は同じ29日のブロック塀の上の様子で、まだ開花していない。これが不思議で、日照時間の長短はさほど関係ないと見える。
早く種子蒔きをすれば早く開花するのは当然だろうか。開花してもその後の花持ちの長さが問題で、京都ではいつ頃がいいのかわからない。また京都市内でも条件はいろいろで、世話する人の水やりも開花状態に影響する。それで本当は種子を期間を置いて蒔くのがよいが、狭い庭では面倒だ。6月下旬の種子蒔きは鶏頭の品種によるだろうが、最も遅い時期のはずだ。鶏頭の花を咲かせるのは写生が目的で、またそれには11月上旬に開かれるザッパニモヲのライヴに合わせる気持ちもある。いつの間にか恒例になっているが、そのライヴで筆者は来場者に手製のジャケットつきのCD-Rを来場者に手わたしている。その紙のジャケットにライヴの当日に鶏頭を描くことにしている。その絵が充分に開花した状態であるためには逆算して種子蒔きの日取りを決めねばならない。しかし鶏頭の花は長らく咲くのであまりそのことを気にする必要がない。ともかく今年は6月下旬に蒔き、花が11月上旬まで持てばよい。去年は開花状況を逐一報告したので、今年はそれを繰り返さないことにするが、2枚目の写真に続き、今月13日に撮った3枚目では同じようにどの茎の先も花をつけたので投稿しておく。群がっているのでもっと間引いたほうがいいのだろうが、なるべくそうしたくなく、このままで育てる。土と光と水が植物が育つ三条件であると学校で教えられたが、その程度が植物によっては異なり、経験者の意見を参考にしなければ何年も遠回りして理想の作出を得ることになるしかも得られない場合のほうが多いだろう。成人が鶏頭の花を毎年咲かせようとして、半世紀も続けて育てる人はあまりいないだろう。花は無数にあり、あれもこれもよいと次々に思うのが普通で、鶏頭だけにこだわる人は変わり者だ。そのことをほかの愛好物についても思う。この世はあまりに何物を多過ぎて、ほんのわずかなものにしか縁がないままで終わる。そうであるからこそ、一度気になったものは徹底的にその魅力を知りたい。それでも筆者は何事にも「広く薄く」のタイプで、専門家にはなり得ない。思ったような立派な鶏頭の花が育てられないでは、畑仕事を趣味としている人からは笑われるに違いない。鶏頭は畑の片隅に勝手に背丈ほどに成長するはずで、土と水と光の中では土が一番重要なのであろう。だが園芸用の種子蒔きに適する土を用意し、そこに別の土を混ぜる以外によい方法が思い当たらない。ともかく後はせっせと水をやり、描く気になるほどの大きな、また珍しい形の花を待つしかない。このどう育つかわからないことは金では買えず、貧しい人にも平等であることが面白い。犬や猫は珍しくて高価な品種が売られるが、鶏頭の種子は安価で、また開花すれば無数の黒胡麻状の種子が出来る。こんな安価で済む園芸趣味はもっと人気が出てよい。庭をつぶしてガレージにしても、鉢で育てられる。
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