「
スカばかり 引いて腐れば コカコーラ 飲んでスカッと またスカを引き」、「カリンの実 落ちて腐りの 速さ増し 早く拾って ジャムにでもして」、「果実酒を 作って忘れ また作り 腐らぬ酒は いずれ飲まれて」、「拾われず そのまま腐り 土となる カリン哀しや 可憐な命」
今日の写真は3日前に撮った。嵯峨の油掛地蔵の近くの畑の隅っこだ。その畑の道路際は竹や木で少々雑然としていて、柳だろうか、とても太い木を切り取った株がふたつある。根元の脇から新しい枝がたくさん出ていて、画題としてなかなか面白いが、その道路は三条通りから丸太町通りに抜けるのに利用され、近年は交通量が激増していて、立ち止まっての写生はとうてい無理だ。車が擦れ違うことも難しい。三条通りから丸太町通りにかけてマンションや介護施設が建ち続け、田畑は減る一方だが、このカリンの実がなっている畑は昔の雰囲気を頑なに保っている。それがいつまで続くかとなれば10年先は怪しいのではないか。その畑に関心を持っている人がいるとは思えないが、スーパーへの往復にその道をよく通る筆者は樹齢が半世紀以上はある椿の木やその他、描いて面白いものがいろいろ目につく。3日前、その畑の南端で向こうから自動車がやって来るのを待っていると、右手に今日の写真の青い実が目に入った。それが意外であった。畑とその周辺の木々はこれまでに充分観察していると思っていたからだ。11月になればその実は黄色になって目につきやすく、これまでその季節に何度も同じ道を通りながら、青い実を確認するとは筆者の目もそうとう節穴だ。次に思ったことはこの実を畑の所有者が収穫するかどうかだ。農家はそのようにしてどこかで販売するのが普通だが、カリンの実を喜んで買う人はあまりいないのではないか。売れないと思えば農家も放置する。そして地面に落ちるがままとなって、人と車の通行の邪魔になるとばかりに処分される可能性が高い。筆者と家内はここ2、3年毎年カリンの実が成る丸太町通り沿いのとある場所を気にかけていて、去年12月はついにその家の40代半ばの男性が落下したカリンの実を拾って根元にひとまとめにしてるところを偶然見かけ、言葉を交わした。「カリンの実、少しいただけますか」「どうぞどうぞ、好きなだけ持って帰って下さい」そしてスーパーのビニール袋に3,4キロほど詰め込んだが、どれもあちこち腐っている。そうでない部分を包丁で切り分けてカリン・ジャムにしようと思いながら、その時間が見つけられず、裏庭の片隅に置いていると、腐った部分が増して結局春先に全部庭に埋めるなどした。ジャム作りの機会を逸し、腐っていない部分のスポンジのように柔らかくなっていたからだ。カリンが生で食べられてしかも美味しければみんな奪い合うのに、包丁が入らないほどに固く、ジャムにするにも手こずるでは匂いを形を楽しむためだけのものと言ってよい。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→