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●「春と秋 眺め違うを 山で知り 見えぬ空気も 季節で変わり」
京に 何でもあると 聞き知るも 三川会うや 眺めはありか」、「山崎の 誇るよき水 使われし 誇るウィスキー 今は世界に」、「山崎の 走る猪 象りて 土人形の 茶色滋味なり」、「あそこまで 飛べぬが知るや 車窓から 遠くにあるも 近くと同じ」
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アメリカの大西さんと大山崎美術館に案内した時、いつものように2階のテラスにしばし出た。その時に大西さんが撮った筆者の八幡の男山を背後に控える姿は9月下旬に載せた。その時は慌ただしかったこともあったので、テラスからの眺望を充分に味わえなかったが、今日は家内と2か月ぶりに同美術館に訪れ、またテラスからの眺望を撮影した。それが今日の最初の写真で、木々は葉を落とし、見通しは少しはよくなっている。これらの樹木は大山崎山荘美術館の敷地内のもののはずで、遠景があまりに変化が激しいので、それをなるべく見せないために計画して植えたのではないか。元来この山荘は取り壊してマンションが建つ計画であったから、麓一帯にそうしたマンションが建って不思議ではない。阪急京都線に乗ると、そうした開発の著しいのが水無瀬駅付近で、田畑はどんどんマンションに変化している。のんびりとした田舎の風景が京都と大阪の間にあってよかったのに、そういう情緒は毎年減少している。同じことは京阪沿線にも言える。高槻や枚方は大阪と京都に通勤する人のベッドタウンになり、大山崎山荘美術館のテラスから見える男山の右手は山辺の上まで住宅が密集し、その様子を見るたびによくぞそこまで開発したなと思う。富士正晴の本を読んでいると、富士の家から南方に高速道路が出来て行くことが書かれる。富士の家は山手にあったので、遠方にそういう新しい道路が出来て行く様子が見えたのだろう。しかしその後、富士の家と名神高速道路の間に高層の建物が出来て、名神を遠くに臨むことが出来なくなったと想像する。ということは富士はまだいい頃に死んだ。話を戻すと、この美術館のテラス右端にはテラスからの眺望を昔の浮世絵風と言えばいいか、そこそこ写実的に描いた絵巻的な風景画の陶板が展示されている。実物の山の稜線とその絵を見比べながら、どこに何があるかがわかる寸法だが、残念と言えばいいか、高速道路その他、続々と新しい構造物が出現し、その陶板は時代遅れのものとなっている。さりとて現状を新たに描いても数年後には古くなるはずで、それほどにこの三川合流地付近は変化がある。さて、2枚目の写真は家内と訪れた10月12日に撮った。横長のパノラマにすると細部がつぶれて見えないので上下に分け、上の写真の右端が下の写真の左端につながる。下の写真は京阪の鉄橋やその他のいくつかの橋が横段の縞模様的に見え、上の写真とは雰囲気がかなり違う。その最大の理由は上の写真に写る京都縦貫道の特徴的なY字形の橋脚が3つ見えていることで、その縦貫道が下の写真ではどこをどう走っているのかがわからない。
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 そのことがどうにも不思議だが、下の写真の横段になっているいくつかの橋はグーグル・マップで確認すると、すべて宇治川に架かることがわかるし、また京阪電車と縦貫道の交差の様子も確認出来る。また上の写真が示すように、テラスの左手は比較的手前に大きな樹木が群がり、春と同様、相変わらず伏見桃山城は見えない。遠方のその城は昔確かに遠くに小さく見たが、写真は撮らなかった。変わりようがないように見えるテラスからの眺めも毎年、そして季節ごとに変わり、二度と同じ状態には見えない。富士正晴の家は取り壊されたが、この美術館のテラスはまだ数十年、あるいは百年後もそのままであろう。またぜひともそうあってほしいが、思いがけないことは起こるし、それはいつも唐突と言ってよい。話を戻して、伏見桃山城は昔は遊園地であったのが、今は閉鎖中で、取り壊しはされていないものの、老朽化が進めばマンションが建つだろう。この美術館のテラスから遠くに見た城は筆者の脳裏に焼き付いているが、その画像を他人に見せるには今後脳科学の技術の進歩によるのかどうか、たぶん無理だ。そんなことをすると個人が何を考えているかが丸わかりとなってプライヴァシーの問題に抵触する。また人間は一秒間にいくつもの異なった場面を想像するもので、筆者の頭の中にあるテラスからのごく小さな映像を他者が取り出すには、どういう妥当な検索方法があるのか、まあそれは見つけられないし、性能の劣るものが開発されたところで膨大な電力を使い、コスト的に合わない。そういうことを人間は本来しないが、漱石のような文豪なら話は違う。東大に漱石の脳がアルコール漬けされているが、その目的は遠い将来にそこから漱石が何を考えていたかを探るためだろう。馬鹿馬鹿しい話で、漱石の魂は怒っているのではないか。それはさておき、テラスから京都縦貫道はよく見え、そのV字型の橋脚の数もわかる。それに今日の最初の写真を撮っている間に京阪電車が糸ミミズのように走り去り、先月筆者はその電車の中から鉄橋と縦貫道の橋脚を撮ったことを思い出す。あっちやこっち、人間は右往左往の言葉どおりに動いて生きる。それは意思がそうなっているからで、他者から強いられる義務もあれば、自分から進んで観光することもあるが、人間の頭脳はそういう目撃、経験したことの影響を受けながら考えるのであって、この見えている世界は人間の意思の反映と言える。眺めのよいテラスや鉄橋、高速道路を作るのは全くそうだ。田畑や山林もそうで、人の手の加わらない自然は当然まだまだ多いが、その無垢なる自然に触れた時の驚きはジャングルに踏み入り、エヴェレストに登らずとも、手短な植物や雀でも充分ではないかと筆者は思っている。あるいは人間で、彼らが苦心して作るものにも信じ難い神秘は宿り得るはずだ。
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