「
学校に 行かねど学ぶ 人の世は 情けを受けて いかに返すか」、「運なきを 嘆く暇なし 火の車 消しに追われつ 走り続けて」、「飛ぶ鳥は みんな知ってる そこかしこ 右往左往の 地を這う人よ」、「京阪に 乗って車窓の 淀川に 沿いて想うは 川下り船」
今日はまず半年前のことを書く。5月7日に家内と大山崎山荘美術館に行き、その2階のテラスに出て三川合流地と男山を遠くに臨みながら、以前とは様子が違うように感じた。その筆頭は、天気のせいもあるかもしれないが、10キロほど先にある伏見桃山城の天守閣が見えないことだ。昔は雨天でも遠くにそれがはっきりと見えた。取り壊されたはずはなく、目を凝らし、そして方角を思い起こしながら何度も見直したが、やはりない。筆者は視力は弱いが、その城はポツンと建っていて、遠目にもはっきりとそれとわかる。テラスのかなり左手は美術館の敷地内の樹木が視界を遮るほどに育って見通しが利かない。その樹木の向こうに見えるのだろうと思って諦めた。実は1か月前にまた家内とこの美術館を訪れ同じように城を探したが、事情は同じで、美術館を出た後、駅に向かって坂を下りながら民家の向こうを何度も眺めてもやはり樹木が視界を遮ってした。もうひとつおかしいと思ったことは、三川合流地辺りにあるいくつかの鉄橋や高速道路で、それらは実際は当然接していないが、テラスからは重なった数段の模様に見え、しかも知らない橋がいくつか混じっている。最も目立つのは桂川を越える京都縦貫道で、橋脚は横長のVの形に見えるが、5月は樹木の繁茂のためにひとつしか見えない。そんなこともあって写真を撮らなかった。筆者は車に乗らないので京都縦貫道がどこをどう走っているのか詳しくないが、昔キモノの仕立てを頼んでいたTさんは久御山在住で、埋め立てられた巨椋池は息子の車でよく走った。その頃はまだ久御山ジャンクションは全部完成しておらず、山崎ジャンクションもなかった。また背割り堤の桜を見に出かけた10年ほど前とは違って、その後に歩道のある縦貫道の大きな橋が開通し、京阪沿線と阪急沿線が結ばれたので、体力に自信があればわが家から自転車で背割り堤まで走れることになったが、そういう著しい変化をこの美術館のテラスは見つめて来た。それはともかく、自転車ではなく、いずれまた京阪に乗って背割り堤の桜を再訪し、今度こそは男山に登って石清水八幡宮に久しぶりに訪れたいとも思っているので、三川合流地辺りをまじまじと見てしまう。景観を台無しにするのでよく山頂にある100円玉で1,2分見られる望遠鏡がそのテラスに設置されることは今後もないはずで、次は携帯用の望遠鏡を持参するのもいいかと思った。筆者はこの美術館を訪れると必ず喫茶室を横切ってテラスに出るが、そこからの眺望が開館当時から年に二度か三度味わうが、少しずつ変化して来ていることに戸惑う。
雄大に流れる3本の大きな川は筆者が知る昔よりもっとはるかな昔のままで、川面の照りを眺めると飛行機に乗っている気分になり、よくぞこの地に山荘が建てられたと思う。それは三川合流の眺望を楽しむことが第一ではなかったか。帰宅してテラスから見えたミニチュア模型のような何本かの水平の縞模様の橋をグーグルのストリート・ヴューで順に遡って確認した。あたりまえのことだが、それぞれはかなり離れていて、人が渡れないものもある。観光地ではないので、田舎じみた殺風景さが続き、実際に足を運ぶ必要はないと思った。遠くに見えているものは実際はどのようなものかと誰しも想像する。物でも人でもそうだ。あまりに気になると実際にそこに行ってみることもある。
去年2月に投稿した梅津の罧原堤にあるマンションがそうで、それは歩いて15分ほどの距離であるからいいものの、三川合流地点までなら1日仕事だ。さて今日の写真について書く。昨日は去年と同様、寝屋川の市民会館でアコーディオンのコンサート出かけた。これは京阪電車を使うしかない。筆者は子どもの頃から母方の親戚の多い京都に行くのは京阪を利用していた。淀駅に着く少し手前で電車は大きくカーヴしながら赤い鉄橋を渡る。宇治川に架かる橋で、昭和時代は縦貫道はなく、もっと広々としていた。昨日は電車の中で5月に見た縦貫道の橋脚を思い出し、カメラを取り出して3回シャッターを押した。最初の写真は向い側の窓から縦貫道を見た。2,3枚目は最初の写真の右端にわずかに写っている中年女性に変に思われるのをかまわず、彼女の隣りに移動し、京阪の橋とともに縦貫道の橋脚を撮った。V字は正確に言えばY字で、その数は3つであることがわかる。遠目に見えるところに接近して初めて判明することはあるが、その現場が素晴らしいと思えるとは限らない。相手が人の場合はわからないままで遠くから眺めているほうがいいこともある。空想の自由な楽しみと現実の確認は別のものだ。相手が期待どおりの人物であればいいが、そう思えない場合は失望が大きいこともあるだろう。2,3枚目の写真で気づくのは、トラス橋は昔のままながら、塗装がかなり剥がれていることだ。最低でも10年に一度は塗り替えるはずで、写真の状態ではもうその時期だろう。そこでグレン・キャンベルの
「ウィチタ・ラインマン」を思い出し、この塗り替え作業員を想像する。危ない状態でペンキの刷毛を握り、眺めのよい田舎の景色を見ながら、絵筆を持ちたいとは思わないだろうか。誰かが必ずこうした鉄橋の塗装をやり続けねばならず、過酷な天気下での作業を強いられ、命がけでもある。電車は八幡を過ぎ、枚方に向かう途中で筆者の意識は樟葉のKさんに移った。Kさんは筆者の理解者であった。いくつか買っていただいた筆者の作品を奥さんか娘さんが今はどう思っておられるだろう。
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