「
泉にも 盛衰あるを 知ればなお 白きこの水 聖水と思いし」、「丸太小屋 犬の寝つきは よかりしと 酷な日の夜 ビートルズ聴く」、「丸はよし 三角はまあ バツはだめ 多角形なら よしに近づき」、「丸は丸 されど歪な 丸はあり 人みな丸く 生まれて歪」
「〇は〇か」という問いの題名はポジティヴなことはすべて許されるかという意味を込めてもいる。陽気があれば陰気があるが、陽気がプラスで陰気がマイナスとして、プラスが正義でマイナスが悪というあまりに単純な物言いは子どもじみている。陰気で思い出した。学校で陰気な者はいじめられやすいが、いじめる者のほうが陰気、陰湿だ。これは以前に書いたが、いじめることを「やんちゃ」と称してそれを奨励する大学出たての女の先生が、息子が小学校低学年の時の担任になった。ある男子が授業参観でどろどろの鼻くそを筆者の目の前で両隣りの子どもの服にこすりつけてふざけていた。その様子を黒板の前の先生は見て見ぬふりをした。男子の母親が授業参観に来ていたからでもあろう。筆者はその母親と話したことがある。彼女は離婚してひとり息子を育てていた。身なりは質素でいつも疲れた顔つきであったが、決して常識知らずな人ではない。生活の労苦から子どもの躾が行き届かなかったと思う。その男子は今でいう発達障害であったはずで、とにかく終日暴れていて、放課後に級友の家に遊びに行っても問題をよく起こしていた。そんな子はほかにもいて、筆者は息子からたまにそんな話を聞いて笑っていた。それは息子がいじめに遭っていないからで、筆者の眼前でねっとりとした鼻くそ汁をいきなりなすりつけられるのを目撃すれば、授業を中断させて注意したろう。筆者は苦い顔をしながら担任の先生を見ていたが、彼女の立場になればそれはそれで大変であることも知っていた。しかし彼女が毎月配布する各家庭に向けての学級通信にはいつも「やんちゃ」な子を称える見出しと文章が綴られていて、まあ簡単に言えば、いじめをする者を元気のよい「やんちゃ」として褒め、そうでない子より評価していた。そういう態度であれば、鼻くそ男子が傍若無人に何をしようとも注意するどころか、もっとやれという勘違いをクラス全員に奨励することになりかねない。さすがにそれは間違いと思った筆者は彼女に意見したが、眼鏡の奥の目は何か遠いものを見るようで、『ああこれが今の小学校の担任か』と思ったものだ。80年代の終わりから90年代にかけてそのような学級風景が顕著になって来たのかどうか知らないが、鼻くそ男子は結婚して子どもを得ているだろうし、その子がどのように育っているかと思う。そういう親から歴史に残る天才が現われることもあれば殺人鬼も出て来て不思議でなく、学校教育にどれほどの意味があるのかと否定的な気持ちになる。躾は家庭でするものとして、いくら躾られてもそれをまともに受け止めない子がいる。
どの親でもわが子にとって〇であると思って躾を施し、幼児教育をする。だがそのことがよき効果を得る、つまり〇となるとは限らない。またそうであってもその子の人生が〇ではないとは全く言い切れない。子は子で時代と環境に応じて、それらに染まりながら親の期待や予測に反して生きて行くし、そうせざるを得ない状況もある。親が望んだように子は育たない。先の鼻くそ男子は周囲がいくら注意しても聞かなかったであろうし、そのまま大人になれば認めてもらえる社会は狭くなるが、それはそれでその中で生きて行けばよく、本人は何とも思わないし、思ったところで仕方ない。母親は常識人ではあるが、離婚後の生活苦からぎりぎり世間体を保ちながら生きていた。鼻くそ男子が成人してそういう母親の実情をさらに知り、そこで自分の人生をどう考えるようになるかだが、案外担任が「やんちゃ」を褒めたように、自分に向く仕事に就いて社長になっている可能性もある。〇と思っていたことが裏切られることを親や大人は自覚すべきで、〇ではないと思う存在にも〇と同じほどに意義はある。世の人々は住み分けるから、似た者同士が一緒になったり集団を作ったりしやすいが、それはある条件において〇を共有するだけのことで、別の切り口では共通点がない場合は普通だ。そのことは社会や国全体に押し広げられる事実で、混沌の中にところどころに結びついた結晶のタネのようなものがばらばらに存在している。しかし〇の反対を×とするとして、やはり〇はよい。×は扉を閉ざした記号で、それでは何も新たなものは生まれ出られない。筆者が満月や丸い形を好むのは、それが誰でも通過出来る出入口を連想させるからだ。このブログにしても通信の管を通って誰かに読まれ、場合によっては受け入れられる、すなわち心の管を通って〇とされる。さて今日の最初の写真は
去年9月25日、大阪南港のATCギャラリーでの『テオ・ヤンセン展』の最終日に出かけた際、同館で撮った。舞台のようでいて意味不明の区画だ。2枚目は去年10月23日で、これは三条大宮から100メートルほど西にある。小さな人工池に舞台のように造られていて、たまに小学生らがここを中心に遊んでいる。すぐ西の菓子や飲料を中心に販売する倉庫店舗は昔従姉夫婦に初めて連れて行ってもらい、筆者はたまに訪れる。また市内の放置自転車を撤去した後の保管場所がこの円形舞台からすぐ東で、3年前の12月、筆者はその門の前で待ち合わせして嵯峨のFさんから
古い自転車を譲り受け、その直後にその倉庫店舗にふたりで入った。3枚目は今年1月末に梅田地下街で撮った。数年前にも撮った画像がグーグルの「マイ・ドライヴ」に入っていて、筆者が着目するものは何年経っても変わらないことがわかる。ここでは古い撮影より新しいものを載せるが、その古い画像のファイル名から十八番街であることがわかる。
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