「
よせやあい いじめられても 笑み浮かべ ジョークにしたし 逃げる手口は」、「不器用な 医者の手術で あっゴメン 死なせてしまい 後は素知らぬ」、「選別の ミスはあっても まあいいか ちりめんじゃこに 烏賊蛸や蟹」、「完璧を 期して至らぬ 差のメダル メタルでなしの 凡人は紙」
森永のスナック菓子『おっとっと』は、小袋が縦に5つ連なった幼児向きのものが売られていて、横長の箱入りの商品とは違って、それのみに入っている形がある。サンリオやトミカとの提携で、箱入りも販売されればこのブログで取り上げるのにと思いながら、いつもその縦長の袋の連なりを商品棚のフックにかけ直す。その商品を見ながらいつも思うことがある。バスの中で若い母親が赤ちゃんやよちよち歩きの子と一緒に乗っているのを見かけると、それを手渡すことだ。今は見知らぬ人からの食べ物を毒入りを疑うべきなので、筆者の行為は断られるかもしれず、それで想像だけにするが、息子が同じような年齢の頃、バスや電車内で家内は見知らぬ老人からお菓子をいただいたことがある。箱入りのカステラやチョコレートで、飴もあったと思う。彼らは幼ない息子を見て目を細め、「息子さんにあげて下さい」という言葉とともに鞄の中からお菓子を取り出して家内に差し出した。もちろん家内は断らず、お礼を言って受け取った。そのエピソードを聞いて筆者も老人になれば同じ気持ちになるのかと思っていたところ、やはりなった。しかし時代が変わって今は見知らぬ人に気安く食べ物を受け取ってはもらえないだろう。悪意がないことが相手に伝わると受け取ってもらえるとは思っているが、まだ菓子を差し出す行為を試みたことがない。これは家内が勤務している時に聞いた話だが、ある同僚が自宅でクッキーを焼いて持参した。それを他の若い同僚に配ると、彼女たちは笑顔でお礼を言いながら、陰でその菓子をゴミ箱に捨て、「何が入っているのかわからないもんなんか食えるか!」と言い合った。手作りの食べ物を拒否することは理解出来るが、ならば手で握ってもらう高級寿司は食べられず、店頭で売られる弁当も論外となるし、パッケージされた菓子でも工場で何が混入されているかわからない。体にいいと思って使う高級シャンプーや医薬部外品もみな添加物の心配がゼロではない。そこまで話が飛躍するのはおかしいという意見があるが、森永はヒ素ミルクで日本中に悪評が立った会社だ。今でもその会社の商品を買わない人はある。口に入るものは手作りであろうが工場製品であろうが、危険性は絶無ではない。結局食品を提供する側のイメージが大切で、筆者が見知らぬ赤ちゃんにお菓子をあげたいとして、相手の母親が筆者をどう判断するかにかかっている。筆者が怪しいおじいさんと見られることは大いにあり得る。そうなれば袋入りの『おっとっと』でも、母親は注射器で毒を注入したと疑い、バスを降りてすぐにゴミ箱に捨てるだろう。
TVで赤ちゃんや2,3歳の子どもが映ると筆者は必ず笑顔になる。家内が言うには、全然かわいい顔をしていない場合ほどかわいい。そのとおりで、かわいい子は周囲がちやほやすることを本能的に知っていて、確かに見てほれぼれはするが、そうではない子、つまり将来美貌で大いに悩むであろうことが予測出来る子ほど、「頑張れ!」と内心励ましたくなる意味でのかわいさがある。それに実際そういう見栄えしない子はそれを補うために心を優しく保とうとするだろう。自己の欠点に気づくとそれを補おうとするのが生命だ。長年生きて来た筆者の記憶をたどると、確かに女優にでもなれるような美人でもなぜか話しかけたくない場合はあったし、一流会社勤めでがあるが、どう見ても俗物の塊のような不細工な男と彼女が結婚したことを知った時、なるほどと思った。こういうことを昔から世間では「女は愛嬌」という言葉で言い伝えて来た。そのとおりで、愛嬌のない美人は何の益にもならない。むしろ害毒と言ってよい。だが今の若い女性は愛嬌をなぜ他人にまで振りまく必要があるのかと言うかもしれない。そこにすでに愛嬌がない。誰も見ていなくても心に愛嬌を保てということだ。それは生まれ持った不細工な顔立ちを補ってあまりある。赤ちゃんにして顔つきが決まっていることは残酷と言えばそうだが、心の持ちようは本人が決めて行く。その心の反映が顔つきだ。整形してまで理想の顔つきを得たいと思うことは自分の心の否定であって、救いようのない世界をさまよい続けるだろう。さて、『おっとっと』の新しいパッケージ・デザインを見かけるたびに買いはするが、正直なところ、その中身の菓子のファンではないので部屋の片隅に放置したまま1,2か月経つことが多い。開封して形が重複するものは省きながら白い皿に並べる作業がかなり面倒臭いからでもある。それでもいつかは食べねばならず、せっかくブログに投稿するつもりで買ったからには、いつものようにひとつずつ摘まんでは形を調べ、同じものがあればどちらが見栄えがよいかを考えて皿に配置する。今回は前月の終わり頃に買った。仙台のみの販売ではないが、この例から、全国都道府県の名物の食べ物の味がする『おっとっと』が製造される可能性を思う。大阪なら「たこ焼き味」となるが、そういうスナック菓子はすでにあるだろう。『おっとっと』の企画室およびパッケージ・デザイン室は他の会社の商品を睨みながら、独自のアイデアを提供し続ける。それは一言すればいかなる新しい遊び心を反映させるかだ。もちろん教育的効果も含めてのそれで、その意味で筆者のブログも同様のことをささやかながら意図してはいる。学びが遊びということは、「知の遊び」すなわちフィロソフィーで、『おっとっと』から哲学に話がつながるが、馬齢を重ねながらもそれくらいの視野を持たねば面白いおじいさんにはなれない。
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