「
副作用 どんな薬も 持ち合わせ いいことづくめ 無きと気にかけ」、「天を刺す ナイフのごとき 蕾かな カンナ開けば 舞踊り肉」、「ひとりっ子 大事に育て 殺人鬼 健気に育ち 刺されて死んで」、「貧富なき 世界あり得ぬ 子でも知る 心根貧し 金持ち見れば」
今夜「風風の湯」のサウナ室で嵯峨のFさんといつものように隣り合って話をした。筆者が提供した話題は大阪心斎橋の貴金属店に強盗が押し入り、豪華な時計を奪って逃げようとした客を、店員が遮った際に刃物で刺されて重体になっていることであった。そこから話は外国人労働者がいなくては日本の重労働が機能しなくなっている現状へと広がった。帰宅してニュースを見ると刺された店員が死んだことを知った。奪われた腕時計は6000万円台という。さらに豪華な宝石を散りばめれば数億円する時計もあり得るから、時計の機能よりも飾りの価格だ。筆者は時計もスマホも持たずに外出し、電車はまだいいが、市バスでは時間がわからない。それで困惑するが、仕方ないとすぐに諦める。人と待ち合わせしていないからだ。時間を気にしない生き方は社会から忘れられた隠居で、筆者はその身分だが、数分刻みで動いている人でもつまらないことに時間を費やしている。それはさておき、店員を刺した男はすぐに捕まると思っているとやはりそうで、大柄な中国人であった。この一件で中国人の評判が日本で地に落ちるとは思わないが、高級品を扱う店は防犯を強化し、そのことが商品価格に反映して仕方ないことの世間の同意を得るだろう。高級品は金余りの人が買い、6000万円が倍になっても却って彼らは喜ぶ。全く同じ商品が6000円で売られていてもそれが6000万円の価値があることを知るのは1万人にひとりもいない。モノよりその値札を見る。実体を見ようとしない人が多いので政治家や芸能人、スピリチュアル系の人たちの商売が成り立つ。話を戻す。刺されて死んだ人の家族を思うとやり切れない。刺した男は日本人でもよくいるタイプで、白昼の繁華街で同様の強盗をする事件が何度も起こっている。さて、昨日は赤いカンナの花をたまたま見かけ、その感動を詠んだ短歌「町角を 曲がれば赤き カンナ立ち 次に誰刺す ナイフの花は」を投稿の題名に使った。カンナの花は花魁の崩れたキモノか南国の美女の乱れたたたずまいを思わせるが、今日の写真のように蕾は尖った刃物状だ。開花すればその刃先から血がこぼれたように見える。感動はナイフで刺されることに似ている。またそれほどの強烈さがなくては記憶に残らないが、その感動は突飛なイメージの組み合わせによるのではなく、町角の鉢植えの赤いカンナの花ひとつで充分だ。誰もが見落としそうなものに意味を込める。だが昨日の題名の歌を詠んだ翌日の今日、刃物で若者が刺され、血まみれになって死んだ。感動はいつ訪れるかわからないが、事件に巻き込まれることも同様だ。それが生きていることだ。
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