「
チャンスには 縁なき人の 生真面目さ 面白味なく 気づきつままに」、「母が逝き 訪ねる家は 今はなし 環状線に 乗りてさびしき」、「あの人に 会えば驚き いかほどか よき年重ね もっと素敵か」、「文化人 勲章もらい 一流と 自他認めるも 世界は広し」
昨日の火曜日、家内と奈良の大和文華館に出かけた。6年ぶりだ。今回は企画展を見るのは当然として、6年前から気になっていることの解消と、近くの中華料理店でビャンビャン麺を食べることの計3つの目的があった。それがみな思いどおりになった。筆者の住む嵐山から奈良に行くにはふたつの方法がある。京都駅から近鉄で向かうか、大阪に出てからJR環状線で鶴橋に行き、そこから近鉄に乗り換えるかで、交通費はほとんど同じだが、たいてい大阪に出る方法を採る。環状線は好きというほどでもないが、外の景色の見えない地下鉄よりもよい。それに幼少時から母に連れられて環状線によく乗った。そして母の姉の家に行くために京橋駅で京阪に乗り換え、中書島駅までよく行った。昭和30年代半ばまでは香里園はわずかにアパートがある程度で、京阪沿線は田畑が広がる風景が目立った。筆者が3,4歳の頃、京橋駅で蒸気機関車が停まっていて、それに乗りたいと母に言うと、母は切符を買い直して乗せてくれた。京都駅まで行き、そこから市電に乗り換えた。今にして思えば少しの遠回りだが、とにかくお金に困っていたはずの母であるのに筆者に優しかった。筆者の成人後に大阪市内から八尾市内に転居し、やがて筆者は京都に住み、月に一度は八尾に帰ったが、もちろん環状線の鶴橋駅から近鉄に乗り換える。そういう生活が30年ほど続いた。結婚後は家内と帰ることが多く、それは母が京都に暮らすようになってからは市バスで行くことに変わった。母が死んで以降、家内と環状線に乗ると、近鉄に乗り換えて母の住む家に行く気分になる。家は取り壊されて新たに建ち、母より年配の知り合いもとっくに死んだはずで、訪れる必要がない。それにその家でほとんど生活しなかった筆者は行きたいとも思わない。それよりも環状線は昔と同じ環状の線路で、駅はわずかに増えたが、鶴橋や京橋は昔の面影を残している。昨日、大阪駅から外回りの環状線に乗ると、電車はとても空いていて、家内と向かい同士に座った。昔よく乗り換えた京橋駅に着く頃、家内の写真を撮り、今度は家内に筆者を撮らせた。昔なら母への土産の食べ物を買い、鶴橋で乗り換えたのに、その必要がなくなってさびしい。人生はあっという間だ。元気な間に好きなことをし、好きなところに行くべきだ。それにもうひとつ、会っておきたい人にはそうすべきだ。いつでも会えると思いながら、結局そのままになってしまう人が誰にも何人もいることになる。筆者に会いたい人はいないだろう。いてもこのブログで元気なことがわかるし、めったにないことだが今日のように近影も載せる。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→